東アジア文化都市·泉州(6) 神と共に楽しむ伝統芸能

2021-08-02 14:17:14

袁舒=文

陳剣=写真

 西街には「通政巷」という路地がある。午後3時半、路地の赤れんがの古い建物の前には小さな列ができていた。門が開くと、人々はそそくさと中へ入っていく。入口の看板には「泉州嘉礼館」の文字。ここは泉州糸操り人形劇団の劇場で、毎週火、木、土、日曜の午後4時半から市民向けの公演を行っている。

 糸操り人形劇は、泉州の伝統芸能であり、古くは「懸絲傀儡」と呼ばれていた。秦の時代に生まれ、晋代に中原地帯の士族の南下とともに福建省に伝わり、唐代末期から泉州で広く普及し、隆盛を極めた。

 この糸操り人形劇は福建省南部では「嘉礼戯」と呼ばれ、神々への「嘉礼(最高の贈り物)」とされている。古くから、糸操り人形劇は人々を楽しませるための民俗芸術であるだけでなく、民間の宗教的な信仰とも密接に関係してきた。願ほどきをしたり、神々の誕生日を祝ったり、死者の魂を供養したりする宗教的な儀式や、結婚、出産、引っ越しなどの祝い事のとき、地元の人は糸操り人形劇の芸人を招いて劇を披露してもらう。

 糸操り人形劇の上演時に、客席の最前列が空いていて、大きな赤い布が掛けてあるのをよく見掛ける。これは、神々が降りてきて、人々と一緒に劇を楽しむために用意された特別な席だ。時として、糸操り人形劇は神様のためだけに上演される。神様に感謝するために、明け方の3~4時に人形劇団を呼んで上演することもあるとか。この人と神が共に楽しむ伝統芸能の形は日本の能楽と似ているところがある。

 糸操り人形劇のこのような特殊な役割と位置付けから、人形劇の芸人は他の芸人よりも社会的地位が高い。かつて芸人は「戯子」「脚色」と呼ばれ、下層階級に属し、科挙の試験を受けることを許されなかった。しかし人形遣いだけは「先生」と尊重され、科挙を受けることもできた。泉州には「前棚嘉礼後棚戯」という言葉がある。これは、同じ儀式や祝い事で同時にいくつかの劇団が招待された場合、必ず糸操り人形劇が最初に上演される決まりのことである。

 本日の公演が始まった。最初の演目は『小沙弥の山下り』という劇で、小沙弥が日ごろ読経を怠ったせいで、雷雨の日に嵐の苦しみから逃れるために仏陀の加護を求めようにも失敗してしまうというコミカルな話だ。舞台で走り回ったり、突然倒れたり、地面に座って木魚をたたいて経を唱えたり、人形遣いの操作で命が吹き込まれた小沙弥は生きた人間そのもの。この時、人形遣いの表情と人形の感情は一体となっている。

 操り人形は糸板、糸、そして人形の三つの部分から構成される。人形の動きの種類によって、糸の数が異なる。シンプルなもので8本、最も複雑なものは36本あり、全て人形遣いの両手で操作される。泉州糸操り人形劇団で20年以上働いてきた呉暁暉さん(44)は、「人形遣いの動きは一見軽やかで簡単そうですが、容易に習得できる技じゃありませんよ。1体の人形の重さは約2㌔です。人形をスムーズに動かすために、人形遣いは若いころから毎日、ガラス瓶に水を入れて糸につるし、それを持った腕を平らに伸ばして腕力を鍛えます。毎回30分間伸ばしたままにします」と稽古の大変さを振り返る。

 軽快な太鼓の音と共に、ステージ上の小沙弥がぴょこんと立ち上がり、劇が終了した。会場からは大きな拍手が沸き起こった。

 

新式の糸操り人形劇『清秋夢』を演じる呉暁暉さん。呉さんの体の動きと人形の動きが巧みに一体化している。後ろに祭られているのは、福建省南部の人々が戯神と称える「相公爺」だ

関連文章