風に舞う本と職人のこだわり

2021-08-19 13:05:30

袁舒=文

秦斌=写真

空気に花の香りが漂う4月の北京。「龍鱗装」無形文化遺産伝承者の張暁棟さんは早朝、北京郊外にあるアトリエに到着した。白いカーテンをゆっくり開けると、黄金色の陽光が部屋いっぱいに広がり、壁に掛けられた「千頁画」や龍鱗装の本を照らし、光と影が交錯する美しい情景をつくり出す。窓際に置かれた中国式の茶卓で、張さんはプーアール茶を入れ、ビャクダンのお香に火をつける。黄金色の陽光と共にけむりがゆらゆらと立ち上り、ほのかに消えてゆく。全てが整ったところで、お茶を手に取り、籐椅子に腰掛け、未完成の作品を静かに眺める。彼の一日の仕事が始まった……。

 

『三十二篆金剛経』を開く張暁棟さん。「この作品を開くと、まるで色鮮やかな龍のようで、風が当たると本のページが優しく舞い、そこに描かれた絵に命が吹き込まれているように見えます」

 

よみがえる龍鱗装

龍鱗装は唐の時代に、書籍が巻物から冊子へと移行する時期に生まれた装丁方法だ。長尺の紙をベースにして、その上にページを均等にずらして貼り付けていく。閉じた状態の外見は巻物と同じだが、開くと各ページがきれいに並んでめくれ上がり、うろこのような状態になるため、龍鱗装と名付けられた。その登場により、巻物の長さが大幅に短縮され、閲覧、検索しやすくなっただけでなく、ページを保護することもでき、読書の楽しみも増した。しかし、非常に精巧で手間ひまのかかる制作過程を要するため、その活躍は線香花火のようにはかなく終わってしまい、制作技術は失われ、古代から残っている実物も北京の故宮博物院に所蔵されている『刊謬補缺切韻』のみとなってしまった。

「龍鱗装は製本の歴史に大きな変革をもたらしました。それによって本にはページとそれをめくるという概念が生まれたのです」と張さんは語る。

1981年生まれの張さんは、瀋陽航空航天大学で工業デザインを専攻した後、印刷業界で働いていた。2008年という中国人にとって特別な年、オリンピックが開催され、社会の現代化が加速し、インターネットが急速に発展し始め、読書も徐々にデジタル化した。もともと紙の本が好きだった張さんは、この変化に直面して、人はなぜ本を必要とするのか、紙の読書は今後どうなっていくのか、と振り返って考えるようになった。「この疑問について考えずにはいられませんでした。幸いなことに、中国には数千年にわたる製本の歴史があるので、それを整理するところから答えを得ようと考えました。龍鱗装に関する記載を目にした時、私は驚きました。『閉じれば巻物、開けばページが規則的にめくれ、風が当たれば華麗に舞いだす』。その表現に、当時、私の頭の中には、非常に近代的で科学技術的なタービンブレードのイメージが浮かび上がりました。龍鱗装は、過去のものではなく、現代のものであり、未来のものでもあるはずだと直感しました」。研究が進むにつれ、張さんは龍鱗装の技術が失われたことをますます残念に思うようになり、自分で龍鱗装の本を作ることを決意した。

張さんは龍鱗装を復元するために、故宮博物院の文化財専門家や古画修復の研究者、印刷業界の大家たちを訪問し、さまざまな資料を調査・検証した。数え切れないほどの試行錯誤を繰り返し、一部屋分の失敗作を出した2年半後、ようやく初の龍鱗装作品『三十二篆金剛経』を完成させた。

 

『三十二篆金剛経』をめくり棒でめくる張暁棟さん

 

思いがけない贈り物

「『龍鱗装の復活をこの目で見届けたい』。当時はその一心でした」。張さんは、失われた龍鱗装を追った月日をそう振り返る。「当時は郊外に小さな家を借りて住んでいましたが、仕事を辞めて研究をしている間は固定収入がなく、時には家賃を払うのもやっとという厳しい状態でした。手元には小銭しか残っていなかったので、食事もままならない状態でした。子どもの頃から自立している方で、やると決めたら最後までやり通すし、人の言うことはあまり聞かないし、あまり深く考えない性格なんです。逆に結果とかいろいろ考えていたら、今のこの作品はなかったのかもしれません」

 

貼り付けたページにアイロンをかける張暁棟さん

この過程で張さんは、「人が何かをしようと決意すると、いろいろな物事が自分のもとに集まってくるようになるものだ」と感じたという。中国の装丁技術を整理していく過程で、偶然、恩師の友人から考古学的資料として復元された龍鱗装の本を見せてもらい、それに魅せられて自分でも作ってみたいと思ったとき、かつて読んだ『三十二篆金剛経』のイメージが頭の中に自然とよみがえってきたという。それは何かの力に引っ張られる感覚だった。「歴史の歯車が前へ前へと進む中で、自分はただその中の一人の担い手に過ぎないのではないかと思うことがあります。龍鱗装は本来、現代や未来にもあるべきものであり、それは私がどうこうしたからではなく、龍鱗装自身がそのような歴史的使命を背負っていたのだと思うんです」

かつて、チベット自治区のポタラ宮で張さんの作品展が行われたことがある。高原の乾いた空気は、紙の繊維に含まれる水分を乾燥させ、丁寧にアイロンをかけて平らにした龍鱗装のページは全部丸まってめくれ上がってしまった。これは残念な「アクシデント」だったが、来場者が絵に近づき、丸まったページを手でなでてならそうとすると、その一瞬だけ仏像の絵が現れ、なでる角度によって異なる情緒を醸し出し、それまで平面だった絵に生き生きとした禅意が加わった。この光景に、張さんは興奮し、北京に戻った後、龍鱗装から「千頁」という芸術を考案し、角度や光の加減でさまざまな情景を表現する「2・5次元」の絵画を生み出した。千頁は、ポタラ宮から自分への思いがけない贈り物であり、龍鱗装の再生でもあると張さんは考えている。

 

千頁画『法海寺壁画』

 

製本職人と渡し守

無形文化遺産の伝承者、国際的芸術家……これらは張暁棟さんの肩書きだが、彼は製本職人と呼ばれることを一番好んでいる。彼は毎日紙と墨汁の香りが漂う作業場で、優しく静かな歌に合わせて、指先で1ページ1ページと対話しながら、0・1㍉のディテールを繊細に調整し、温かみのある本に仕上げていく。「立派な本を多く集めた書斎がある家は、そこに住む何世代もの人に影響を与える風水や環境になります」。そんな信念を胸に、張さんは本作りの道を淡々と歩んでいる。

そして時には、一人で小船に乗って、歴史に埋もれた伝統工芸を記憶の中からよみがえらせ、再現したり、新しい芸術形式で新たな意味を与えたりする、渡し守のような存在でもある。「文化には古今東西の隔たりはなく、あるのはその時代の社会環境と人々の需要だと思います。私の努力が、不毛の丘に降る時雨のように、忘れ去られた伝統文化に新たな命を与え、それを古代から現代に、そして未来へと引き渡していければ幸いです。読書の未来は二つの道に分かれると思います。一つは電子書籍で、人々は断片的な時間を利用して知識を得ることができます。もう一つは、私たちが見落としているかもしれない本の機能を発揮させた読書の形で、目、耳、鼻、舌、体の知覚を満足させることができ、装飾性とコレクション性を兼ね備えています。手作りの本にはそのような特性があると思います」

そう言って、張さんは作業に戻り、0・1㍉単位の誤差を慎重に調整しながら、紙から伝わる温度を指先で感じ取っていく。彼と紙や本との物語はこれからも続いていく。

 

『三十二篆金剛経』を完成させた後、張さんはさらに4年かけて「経龍装」の『紅楼夢』を完成させた。経龍装とは「経折装」と龍鱗装を組み合わせたもので、絵と文字を均等に読者に見せることができる。同書は8冊1セットで、1冊の重さは25㌔、ページを全て開くと79.6㍍になる

 

張暁棟さんによる初の油絵を元にした千頁画、ブリューゲルの『叛逆天使の墜落』。千頁の手法は絵の中の人物の動きをより生き生きとさせ、新たな鑑賞性を生み出した。張さんは、芸術は中国と西洋の異なる哲学体系を橋渡しする重要なプラットフォームであると考えている

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