コロナ下で開催 共生の祭典――東京五輪で見えたさらなる団結

2021-09-03 16:29:02

于文 段非平 王朝陽=文 新華社=写真

オリンピック史上、東京2020オリンピック(東京2020)ほど特殊かつ難しい大会は恐らくなかった。新型コロナウイルスの世界的流行を受けて開催をやむなく1年延期したことは、オリンピック史上初となった。そして1年後の開幕前夜においても、日本での感染者数が再び増加したことで、最後の最後まで中止の可能性は拭い切れなかった。7月23日から8月8日の会期中は緊急事態宣言下となり、感染拡大のリスクを下げるため、史上初の無観客開催を余儀なくされた。表彰台に上ったメダリストが「セルフサービス」でメダルを受け取り首にかけるのも、前例のないことだ。一方、自宅での観戦を存分に楽しめるようにと、8Kと5Gの技術を用いた中継が行われ、クラウド技術を駆使した全世界での生中継が、中国の技術支援の下で実現した。

国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は開幕に際し、「パンデミックは人類を暗いトンネルの中へと導いたが、オリンピックは恐らくこのトンネルの最深部に差し込む希望の光になる」と述べた。開催国の努力と世界中の支持を得て開催された東京2020は、人類の強さと敢闘精神を体現し、全世界を感動させた。そしてより速く、より高く、より強くのオリンピックのモットーは、パンデミックに立ち向かう人類にとって、さらなる団結を目指すという新たな価値を与えた。人々は新型コロナウイルスという困難に打ち勝ち、団結の力を世界に知らしめることだろう。

 

●注目を集めた開会式

「聖火はどのようにともされるの?」「開催国でどのようなアトラクションが行われるの?」――オリンピックの開会式は大勢の人から関心を寄せられるもので、東京2020も例外ではなかった。

しかし東京都が4度目の緊急事態宣言を発令したことで、感染防止対策などのさまざまな問題が人々を不安にし、世論の半数以上がオリンピックに反対の声を上げた。世界の注目は開会式の内容ではなく、開催か中止かに集まった。

開会式当日、入場もできず選手を見ることもできないメインスタジアムの国立競技場周辺に多くの人が思い出をカメラに収めようと集まる光景は、オリンピックへの期待感を十分に感じさせた。街は静まり返り、会場も無観客ではあるが、人々の心の中の声援と興奮を抑えることはできなかった。「東京在住の私にとって、オリンピックはまさに目と鼻の先で行われるものです。国立競技場の前を通るたびに、東京2020の開催を待ち遠しく思っていました」。鳳凰衛視(フェニックステレビ)の李淼東京支局長は、多くの人々の心の声を代弁した。

東京2020の開幕には象徴的な意義があった。中国各界はオリンピック開催への支持を表明し、市民も期待をもって見守っていた。ある中国メディアは、「日本はさまざまな困難から決して逃げることなく、東京2020を開催した」とコメントした。

駐日本中国大使館の孔鉉佑大使も、「東京での開催は1964年に続いて2度目であり、また、アジアにおける夏季大会の開催国として2008年の北京五輪に続いて行われるものだ。アジアにとっても世界にとっても大きなイベントであり、中日両国の指導者がお互いを支えながら開催を実現するという大切な共通認識のたまものでもある。東京2020の開催は、コロナ下の国際社会が抱く普遍的な期待で、世界各国が着実に運命共同体となりつつあることを示している。違いを乗り越え、共に手を携え助け合っていくことが必要だ。東京2020はオリンピック精神をより高め、コロナ下の世界に勇気と自信と希望を与える大会となるだろう」とさまざまな場で述べている。

期待の中、東京2020が予定通り開幕した。人々は無観客の会場をSNSに移し、国境を超えたやりとりを活発に展開した。森山未來による鎮魂の舞い、アスリートの血管や筋肉、心情を象徴する赤い紐を使ったパフォーマンス……。1824機のドローンが描く、巨大なエンブレムが次第に「人類みな家族」を思わせる青い地球に変わるパフォーマンスは、中国でも大きな話題となった。

日本在住の学者で法政大学名誉教授の王敏氏は、「重厚な文化と精神的意義がある富士山に着想を得て作られた聖火台は、天、地、人の間にある『天人合一』の境地を表現し、さらに人間と自然の調和、人間と環境の共生、人と人との和睦をも意味している。その源流はまさに中国伝統文化の核心であり、中日両国や漢字文化圏、さらにはアジアが数千年にわたって追い求めてきたものだ」と感慨を込めて語った。

本誌の王衆一総編集長は開会式について、「スタジアムのデザインや開会式の構成など、全てが東京2020のモットーである『United by Emotion』(感動で、私たちは一つになる)とコンセプト『Moving Forward(前を向いて生きる力)』に深く結び付いている。さらに東アジア伝統の知恵と日本の文化的特性、国家の象徴の隠喩、グローバル化された国民性など、全く新しいオリンピックの理念が表現されていた」と分析。さらに「今回のオリンピックのスローガンは、従来の『より速く、より高く、より強く』(Faster, Higher, Stronger)に、団結を呼び掛ける『共に』(Together)のひと言が加えられた。これはオリンピック精神のニューフロンティアを象徴し、人類共通の価値に対するさらなる追求を体現している。1964年の東京五輪と2008年の北京五輪は、国家と民族の自信を取り戻すことが共通のテーマだった。今回の東京五輪は、全人類の感染症との闘いというテーマに真正面から向き合っている。よって、スポーツで最高の成績を追い求めることとは異なる意味で、『共に』が人類の新しい目標になった。スポーツとスポーツマンシップで偏見と差別を克服し、多様な発展を尊重することには、非常に現実的な意義がある。『人類の祭典』でもある今回のオリンピックで、平等、包容、団結、尊重などの最大公約数を求めることは、まさに人類共通の価値の探求と、『同じ世界、同じ夢』を守り抜くことを体現している」と総括した。

 

7月23日、第32回夏季オリンピックの開会式が東京で行われ、会場には「共により速く、より高く、より強く」の英文スローガンが掲げられた

 

●競技場での中日交流

今回のオリンピックのメダル獲得数は中国が第2位で日本は第3位と、日本は史上最高の好成績を収めた。中日のアスリートは時に世界を相手に懸命に戦い、時には中日両国が対戦することもあった。しかし、勝敗を超えた両国の交わりを多くの人が目にし、心に刻む場面も数多く見られた。ここには開催経験国としての親しい交わりや、英雄は英雄を惜しむという思い、同門のよしみで抱く深い思い、そして同じアジア人としての共感と誇りがあった。

開催中は、中国人選手が人間の生理的限界を超え、オリンピック精神を力強く表現するさまに感動した日本の人々から祝福の言葉が次々と届いた。

『義勇軍行進曲』を作曲した聶耳が亡くなった神奈川県藤沢市は、セーリングの会場だ。藤沢市の鈴木恒夫市長は、江の島で中国代表選手の優れたパフォーマンスが見られることに期待し、40万人余りの藤沢市民と共に中国チームへエールを送った。東京都東村山市は中国オリンピック代表団のホストタウンとして、中国チームのためにサッカーと卓球の練習場を準備し、チャイナレッドで「加油中国」(頑張れ中国)と書かれた横断幕が市内各所に掲げられた。渡部尚市長は、「中国選手のオリンピックでの活躍を心から期待しており、中国を応援しています」と語った。

1998年の冬季オリンピック・パラリンピックの開催地だった長野県は、冬季オリンピックを控える北京市と長年にわたって良好な協力関係にある。阿部守一知事は、東京オリンピックの盛り上がりが北京にも引き継がれることを願うとコメント、北京冬季オリンピックの成功を祈った。

バドミントン女子ダブルスの準決勝で、中国の陳清晨・賈一凡の「凡晨」ペアは、世界ランキング1位の日本の福島由紀・広田彩花ペアと対戦した。試合後「凡晨」ペアは日本選手のもとに駆け寄り、抱き合いながら励ましの言葉を送った。賈選手は、広田選手が今年6月に右膝前十字靭帯断裂のけがをしたものの、オリンピック参加のために手術を行わない保存療法を行ったため、けがを抱えながら試合に臨んだことを知っていたのだ。「けがを負いながらもコートに立つ広田選手は、実に尊敬に値します」と賈選手は語った。中国選手の称賛と励ましの声を聞いた二人の日本選手は深く感動し、「私たちはコートの上では対戦相手だが、コートを離れれば友人だ」と応え、日本のメディアは「バドミントンで国境を越えたリスペクト」という見出しで報道。当日のYahoo!JAPANのスポーツカテゴリーで最高閲覧数を獲得し、わずか2時間で数万にのぼる「いいね!」を集めた。

競泳女子400㍍メドレーリレーの試合後、カメラは感動的なワンシーンを捉えた。ある選手のインタビューが終わるのをじっと待つ中国の張雨霏選手が、インタビューが終わるや駆け寄り抱擁し、祝福の言葉を送った。それは白血病を乗り越えオリンピックの舞台に立った池江璃花子選手だった。

若いスター選手同士の張選手と池江選手は、2018年のアジア大会ですでに対戦している。その後、池江選手は白血病と診断され、しばらくの間選手生活から遠ざかった。池江選手への言葉を聞かれた張選手は、「See you next year(来年また会いましょう)と言いました。来年のアジア大会まで、私たちは共に成長することができると信じています」と笑顔で答えた。

「中日対決」が最大の注目を集めた種目と言えば、やはり卓球だろう。劉詩雯選手と日本チームの熱戦を解説員として伝えたのは、幼い頃から劉選手と共に練習を重ねてきた福原愛さんだった。二人の20年以上にわたる友情は、中国の卓球ファンから「国を越えた小さな竹馬の友」と評されている。

開会式の生放送を見ていた福原さんは、チャイナレッドが広がる中国代表団の大行進の中から、劉選手の姿を懸命に探したという。劉選手がけがで棄権すると知った福原さんはすぐさま、「けがでオリンピックの舞台から去ると聞いて残念に思っている。でもあなたが金メダリストであることや、これまで歩んできた道は、永遠に消えることはない。私の中では、あなたは永遠に一番素晴らしい人であり、最も尊敬する人」と語る励ましの動画を送ったという。

陸上男子100㍍走の決勝戦では、32歳の蘇炳添選手が9秒98の成績で6位入賞を果たし、アジア人として実に89年ぶりにオリンピック100㍍走の決勝の舞台に立った。

この快挙に、中国人のみならず日本人も「アジアにだって100㍍の俊足がいる!」と強い興奮を覚えたようだ。「我らが英雄 アジアの栄光」と称えた日本のメディアは決して少なくなかったし、日本のネットユーザーも、「アジア人が男子100㍍走の決勝の舞台で活躍するなんて、夢のよう。残念ながら決勝では少しタイムを落としてしまったけど、蘇選手は私に夢を見させてくれた。ありがとう!」「アジア人でもこんなに早く走ることができることを見せてくれた蘇選手。オリンピックを見ていて最も興奮した瞬間だったし、たくさんの勇気をもらった。本当にすごい走りだった、ありがとう!」など、蘇選手への熱のこもった「いいね!」が数多く送られた。

 

張雨霏選手と池江璃花子選手が抱き合う姿は本誌公式ツイッターもアップし、多くの人々の共感を呼んだ

 

●オリンピックを支えた国際チーム

東京2020の成功を裏方として支えたのは、多国籍のボランティアで構成され、さまざまなサービスを提供するテクニカルチームだった。

朱萱楠さんはオリンピック放送機構(OBS)のインターンで、主にメディア配信のサポートを担当。インターンとして7月16日からオリンピック入りし、閉幕後のわずかな休暇を挟んだのち、パラリンピックでも働いた。ハードな仕事と酷暑で厳しい日々だったという。勤務時間は週30時間を超え、炎天下のなか3、4時間立ちっぱなしもしばしばだった。

しかし、この大変さにも価値があると朱さんは感じた。「選手たちの歓喜と悲哀の瞬間を間近で見ると、東京2020の開催意義を強く感じました。勝敗はどうあれ、オリンピックは選手たちが力を発揮し、自分自身と人間の限界に挑む機会を与える場です」

共に働くチームメイトへの思い入れも強まったと語る朱さん。「国際的なチームだから、メンバーは各国から集まっています。その誰もが、オリンピックの成功のために力を尽くしています。そんな彼らと一緒に働くことで、団結することの強さが常に感じられました」と語る。

競技場に目を向けると、さまざまな国籍の人たちが協力し合う姿を至るところで見ることができる。各国代表団には肌の色の異なる選手がいて、外国人コーチも活躍している。競技場の裏方では、会議、報道、技術サポート、後方支援活動など、あらゆるシーンで多国籍の人々が同じ目標に向かい一致団結し、汗を流した。現代のオリンピックは、個人や国家が栄誉を競い合うだけの場ではすでになく、国境を越えた団結を目指し、限界に挑戦し、全人類が共により速く、より高く、より強くという目標に向かって前進していく舞台にもなっている。

 

オリンピック閉会式でIOCの賛辞を受けるボランティアの人々

 

●東京から北京へ

聖火が次第に小さくなり、五輪旗が次の開催国であるパリへと渡され、東京オリンピックは閉幕した。そして2週間後にパラリンピックが開幕した。東京オリンピック・パラリンピックの成功で人類は一致団結し、感染症克服への希望の光がより強くなった。半年後に行われる北京2022冬季オリンピック(北京2022)への期待が高まる中、オリンピックの火は決して消えることはない。

オリンピックが東京から北京へ受け継がれることは、中日両国にとってより多くの期待と展望をもたらす。王敏教授は東京オリンピックの成功を心から喜ぶ一方、スポーツを通じた平和発展に生涯をささげた嘉納治五郎へ思いをはせた。

「嘉納治五郎は国際オリンピック委員会初のアジア人として、アジアでのオリンピック開催を生涯願っていたが、残念なことに、1938年に国際オリンピック委員会のカイロ総会参加後の帰路に肺炎で亡くなってしまった。嘉納自らはアジア開催のオリンピックを見られなかったが、東京、ソウル、北京の各都市でオリンピックが開かれることでその願いはかなった。北京で開かれる冬季オリンピックも、オリンピックで団結を図ろうという初心と、平和を願う心の声が凝縮された大会になるだろう」

王衆一総編集長は「東京2020は感染症との闘いというテーマに向き合った。これは全世界の防災防疫に向けた切なる思いと呼応しており、人類運命共同体の趣旨とも十分に合致する。東京2020と北京2022は、同じ理念で固く結び付いた」と考察。拓殖大学の富坂聰教授は、中国が新型コロナウイルス対策で他国を圧倒する成功を収めた経験を日本も参考にすべきと提言、さらにオリンピックと新型コロナウイルスの関係を文章に例えた。「日本は東京2020で一つの読点を打った。次は北京が冬季オリンピックで句点を打つのを期待している。北京2022が新型コロナウイルス流行収束の世界的な象徴となり、素晴らしい大会を行う様子を全世界に向けて見せてほしい」

今回のオリンピックで唯一華人として聖火ランナーを務めた朱金諾さんも、東京オリンピックの成功を何より喜ぶ一人だ。オリンピックスポンサーの推薦で中日友好交流事業に携わったのがきっかけで聖火ランナーを務めたことに、さまざまな思いがあるという。東京2020が成功裏に終わり、聖火が北京2022に渡ることで、東アジアに属する中日両国が、確固としたオリンピック精神を全世界に広めることを期待している。北京2022がくしくも中日国交正常化50周年の年に開催されることについて、「オリンピックの聖火がともすのは人類の団結と世界の平和。東京から北京へと聖火が受け継がれることで中日友好のともしびも共に伝わり、大きな友好の炎が広がっていつまでも燃え続けることを願っている」と結んだ。

 

IOCのバッハ会長が五輪旗をパリへと引き継ぎ、東京オリンピックは閉幕した

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