中日をつなぐ伝統文化③ 印章

2022-07-28 17:05:29

王敏=文・写真提供

中国における印章の起源 

印章は中国伝統文化の代表の一つだ。文物や史料によると、少なくとも春秋・戦国時代(紀元前770~前221年)に出現し、戦国時代には一般的に使用されていた。 

紀元前221年、秦の始皇帝は中国を統一し、官印制度が制定された。皇帝が用いる印を「」、臣下が使うものを「印」と称し、印文にを用いることを正式に決め、印章の材質やサイズ、形、などで階級や役職を表すようになった。漢の時代になると、丞相や大将軍の印は「章」と呼ばれるようになった。そこから、「印章」という言葉が生まれた。漢の時代には、印章が広く使用されるようになり、諸国の王が皇帝からその信頼と統治の証しとして印章を授けられるようにもなった。 

隋・唐の時代になると、書画などの芸術品に印章が使われ始め、篆刻も印章も芸術とされるようになった。 

日本に広まった印章文化 

日本の印章の歴史は、中国から贈られた金印に端を発するとされている。北九州で発見された「漢委奴国王」と刻まれた金印(57年)や、歴史書に記載された卑弥呼に贈られた「親魏倭王」の印(238年)もその実例だ。ただし、当時の日本ではまだ漢字が知られておらず、印章を使う風習もなかったため「漢委奴国王印」が実際に印を押す用途で使用されたかどうかには懐疑的な意見もある。 

印章が本格的に使われるようになったのは、大化の改新の後、701年、大宝律令の制定とともに官印が導入されてからだと言われている。印章が芸術として日本に伝わったのは江戸時代からのことだ。承応2(1653)年に渡来した臨済宗黄檗派の禅僧・(1596~1672年)は日本篆刻の祖とされている。独立性易は学識が深く、書が巧みで、中国にいた頃から著名だった。彼は(1592〜1673年、1654年に来日した禅宗の僧)と共に江戸を訪れ、正しい書法を啓蒙し、明代の篆刻、そして、初めて石印材に刻する方法を伝えた。 

その後、延宝5(1677)年に渡来した(1639~96年)は、徳川光圀に仕え、篆刻を多くの人々に伝え、独立性易と共に日本篆刻の祖とされている。江戸時代後期以降、篆刻は大いに隆盛し、日本各地に広まった。 

現代中日の印章文化 

古くから権力の象徴として印章は重用され、芸術としての篆刻も流行し、その後、歴史の変遷を経て、印章は一般庶民の生活を円滑に行うための制度として確立された。それが今日の独特な日本の印章文化だ。 

現代の日本では、生活や実用品として用いられる印章は、市町村に登録した実印、銀行などの金融機関に登録する銀行印、届け出を必要としない認印の3種類に大別されている。自分自身の名を書面に押印してその意思決定の証しとし、印章は日本の社会生活に深く根差している。 

一方、中国では印章の歴史が長く、書道などの芸術と結び付いた独自の印章文化が形成されているものの、日本のように身近なアイテムとしての印章はほとんど民間に定着していない。 

しかし、新型コロナウイルス感染症の流行に伴い、テレワークが推奨され、またペーパーレス化が進み、押印の慣習、慣行は逆風に晒され始め、日本独自の印章文化も岐路に立っているようだ。 

旅情の品格 

日本独自の印章文化は、スタンプラリーという旅の楽しみ方を生み出した。近年、中国でもスタンプラリーが流行し、多くの観光地が独自のスタンプを発表し、スタンプラリーファンを引き付けている。 

 

イベント「中日友好スタンプラリーin関西」の和歌山県のスタンプと専用用紙 

中日国交正常化50周年を記念して、今年4~9月、中国駐大阪総領事館が主催し、中日両国の地方政府が共催するイベント「中日友好スタンプラリーin関西」が関西地区の二府四県(京都府、大阪府、和歌山県、奈良県、兵庫県、滋賀県)で開催されている。このイベントは、両国の人々に親しまれているスタンプラリーの形で、中日友好に関わる観光地を訪れ、両国友好交流の歴史を再認識してもらうことを目的としている。 

最初にイベントが行われた場所は和歌山県だ。4月9日、和歌山大学、近畿大学、大阪公立大学の中国人留学生は、和歌山信愛大学の日本人学生と共に、空海――遣唐使として中国に渡り、真言密教を日本に持ち帰って広めた――が開いた高野山真言宗総本山を訪れた。それから、山東省と和歌山県の約40年にわたる深い友好関係を象徴する孔子像を所蔵する和歌山県立博物館を見学した。最後に、唐の時代に中国から日本に渡ったが770年に開いたで、両国友好に尽力した廖承志・中日友好協会初代会長が同県日中友好協会に贈った書「中日友好 千年萬年」の記念碑を見学した。中日両国の若者たちは、美しい景色を楽しむだけでなく、中日友好交流史を再認識し、三つのスタンプも集め、「有意義な旅だった」と感想を述べた。 

大阪公立大学大学院機械工学科の李沢林さんは、「初めて和歌山県に来て、和歌山県の歴史や文化遺産にとても興味を持ちました。このイベントを通して、和歌山と中国のつながりを知っただけでなく、日本人の友達もできました。疲れましたが、楽しい一日でした。また彼らに会えることを楽しみにしています。そして、このような中日交流を促進するイベントにまた参加できることを楽しみにしています!」と話した。 

中日両国で数千年にわたり受け継がれてきた印章文化は、今日、両国民の友情をつなぐことができる強い文化的な絆となっている。 

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