野村万作・萬斎 狂言北京公演 庶民の喜怒哀楽 共感呼ぶ

2018-10-31 19:32:03

王衆一=文

 

狂言のファンが一斉にスマホを舞台に向ける熱狂ぶり(写真王衆一/人民中国) 

 8月10日夜、北京市内にある天橋芸術センターは人であふれかえっていた。日本の人間国宝である狂言師の野村万作氏と、その息子――2020年東京オリンピックパラリンピック大会の開閉幕式の総合演出を担当し、将来は人間国宝となるであろう野村萬斎氏、そして18歳ながらすでに人気を集める孫の野村裕基氏らが、中日平和友好条約締結40周年を記念し、北京で狂言公演を行った。野村家の3世代が同じ舞台に立つのは1回限りにもかかわらず、公演の20日以上前に、ネット販売での公演チケット約900枚がわずか30分で完売となるほどの人気だった。

大人気、大成功の公演
 夜7時きっかりに舞台は始まった。今回の公演の演目は三つ――主人の酒をこっそり盗み飲むのが好きな2人の使用人が、主人から棒に縛りつけられてしまう。ところが悪知恵を働かせた2人は、ついに酒を飲むことに成功するという「棒縛り」。長年妻を頼りとして生きてきた盲目の夫が、神仏の霊験により開眼する。しかし開眼の条件を巡り、妻と離別するか元の盲目に戻るかの厳しい選択を迫られる「川上」。三つ目は、屋敷中にキノコ(茸)が生えて困り果てた主人が、怪しげな山伏に茸退治を頼む。ところが逆に茸はどんどん増えて行くという「茸」。

 

演目の「茸」では、こっけいな演技で会場を盛り上げた野村萬斎氏(左から3人目)と裕基氏(同5人目) 

  今回の公演で中国の観客は、「川上」での万作氏の素晴らしい高度な演技や、「茸」での萬斎氏の相手をじらすひょうきんな笑い、頭にかさをかぶった裕基氏が演じる思わず笑い出すほどかわいらしいキノコ、さらに「棒縛り」で2人の使用人が見せる笑いと怒り、歌と舞いを、同時進行で映し出される字幕を通して楽しんだ。2時間の上演中、客席には笑いと拍手が絶えなかった。

  上演終了後、観客の嵐のような拍手の中、野村親子と役者たちは再び舞台に立ち、あいさつした。「観客の皆さんの反応は、字幕の力のおかげだと感激しています。日本での公演では、観客は室町から江戸時代に定まった台詞を聞くだけで、一字一句の字幕はありません。しかし今日、中国の観客の皆さんは現代の中国語に翻訳された字幕を通して狂言を楽しむことができ、本当に深く理解してくれたと感じています。海外の公演の方が意外にも国内より反応が良いのですが、それが少し皮肉な意味だとしても、私は本当にうれしく感じました」と万作氏は感慨深げに語った。観客席は大変な盛り上がりぶりだった。役者を紹介するコーナーで、司会者が写真撮影はオーケーと伝えると、観客はサーッといっせいにカメラを舞台に向けていた。

「この辺りの者」に価値観
 狂言の上演では、人物が登場すると始めに、「この辺りの者でござる」というせりふを言う。これは狂言の物語が、市井の人々に焦点を当てたものであることを示している。こうした小人物は欲望や欠点を抱え、またユーモアや知恵、善良さがあり、運命をそのまま受け入れて生きている。筆者の取材に対して萬斎氏は、「人間を否定せずに肯定しているということは、人間賛歌の劇として、一生懸命生きている人たちにとってはきっと共感していただけると思うし、嫌なことも笑い飛ばすのが狂言なのです。すごいかっこいいヒーローは出てこないけど、皆さんと本当に親しくなれる人物、名前のない人たちがたくさん出て来て、楽しめるのが狂言ですので、きっと楽しんでいただけると思います」 
 まさに狂言の演目の庶民的に作られた内容は、国境と文化を越え、世界各国の人々に共感を呼び起こす。生きる幸せを感じ、生と死を深く悟り、生命を謳歌することに、狂言芸術の庶民性と前向きに生きる力が込められている。元文化部副部長の劉徳有氏の狂言に対する考えは、実にユニークだ。彼は、「室町時代に生まれた狂言は、多くの演目が当時の人々の生活を反映し、彼らの願いを表現していた。この点は、京劇も含めた中国の伝統劇と大変よく似ていたり同じだったり、互いに通じ合うところがある」と語る。 
 「この辺りの物でござる」というせりふは、狂言の価値観を反映している。異なる文化間の「あちらからこちらまで(詳細)」を違和感なく理解したいならば、字幕の翻訳は必ず現地化しなければならない。つまり、「こちらの人」の言葉で「こちらの人」の物語を述べるということだ。劇場での観客の反応と万作氏が字幕を賞賛したことは、その証しだ。公演後、ある観客が私にこう話しかけてきた。「狂言というこの生真面目で堅苦しい笑いに、古典的でいて庶民の味わいあふれる中国語の字幕を結び付けたことで、素晴らしい効果がありましたね」

 

野村萬斎氏に取材している本誌の編集長王衆一氏

 筆者は、三つの演目のせりふを翻訳し、会得するところがあった。一つは、翻訳の文章は大衆で使われる現代口語であること。ポイントとなる会話には芝居のせりふのスタイルを残さなければならない。二つ目は、翻訳は単語の対応にはこだわらず、むしろセンテンスを、同じ文脈の中で極力翻訳の跡を感じさせないよう中国語に置き換えること。三つ目は、各文章を「意を取り形を捨てる」ように翻訳をし、その場の観客などの反応を大切にすることだ。
民族と世界 伝統と現代
 日本では、伝統演劇の芸術家には、古典劇の定型化された決まり事をしっかり守り継ぐ一方で、シェークスピア劇にも挑戦し、さらに映画に進出する人も少なくない。1985年、当時まだ19歳だった野村萬斎氏は、黒澤明監督の映画「乱」で鶴丸を演じている。彼は狂言の演技を究めるとともに、現代劇や前衛劇にも情熱を傾けた。国内外で有名な演劇監督の作品でも重要な役柄を演じている。さらに、自らも演劇の演出を手がける。かつて萬斎氏は筆者に、作家では中島敦が特にお気に入りで、「李陵」「山月記」「名人伝」などは何遍読み直しても飽きない、と話してくれたことがある。2005年、彼が演出した「敦――山月記名人伝」が東京の世田谷パブリックシアターで上演され、大成功を収めた。 
 自分の息子がこうして狂言の枠を超え、さまざまな模索をしていることについて、野村万作氏はこう話す。「彼と私は時代が違います。いまは映画やテレビ、芝居などに挑戦するチャンスが多いですから。彼は狂言的な方法で、現代性を表現する可能性を探っているのです。これは伝統劇である狂言の刷新に役立つと思います。狂言の美学と世界を、その他の演劇システム、演技スタイルと結び付けることが実現できると思います」 
 今年2月、萬斎氏は広末涼子さんとダブル主演で、戦禍を逃れて上海の内山書店で暮らしていた当時の魯迅夫婦を描いた「シャンハイムーン」に出演した。2人はそれぞれ魯迅と妻の許広平を演じた。この芝居は狂言と同様に、人間の内面にある複雑さを追究し、魯迅のさまざまな面をあぶりだした。萬斎氏は筆者にこう語った。「演劇の大作家井上ひさしの作品はどれもすべて素晴らしい。人間への深い洞察がある。実は魯迅は日本に好感を抱いていたようだが、日本の当局はひどく嫌っていた。芝居では、中日両国のさまざまな人たちを描いている。私にすれば、中国人の立場から日本を見る良いチャンスを得たと思っている。将来、この芝居が中国の観客に上演できるよう願っている」 
 萬斎版の魯迅には興味を引かれるが、中国の観客は、彼の2020年東京五輪での総合演出にもっと期待している。1964年の最初の東京五輪のテーマが「戦後の平和と復興」だったならば、2020年東京大会で萬斎氏が演出で構想する「鎮魂と再生」は、歴史の悲劇と環境破壊への深い思索を反映している。

 萬斎氏はこのテーマについて、狂言の命の哲学を反映した明確な考えがある。「オリンピックを開催することで、人はスポーツ競技を戦争の代わりとした。これは人類の知恵だ。そういうやっぱり生きていることを最終的には謳歌し、歌い上げたいなと思っています。ピョンチャン、そして東京、北京とずっと、アジアでオリンピックは続くということは、ある意味ですごいことですよね。われわれアジアの人間が頑張ってる証拠だと思います。夏季のオリンピックも素晴らしかったですけれども、冬季オリンピックのどういうふうに中国が変わるのかということは、大変楽しみに期待しております」

「初心忘れるべからず」の文化交流
 万作氏と中国の交流の歴史は長い。彼と劉徳有氏は、長年の親しい友人だ。今回の中国公演について、万作氏は事前に自分と同じ歳であるこの旧友に知らせ、ぜひ北京で会いたいと希望を伝えた。公演のリハーサル前、劉徳有氏は劇場に赴き万作氏と対面した。二人の旧友は親しみを込めて握手し、昔を懐かしみ旧交を温めあった。

古くからの友人と再会して親しく語り合う野村万作氏と劉徳有氏(写真沈暁寧/人民中国) 

 万作氏は、1950年代に日本を訪れた梅蘭芳など、中国の京劇の大家と交流があった。彼は筆者に当時の思いを語った。「私が京劇を見て本当に感動したのは、梅蘭芳先生が日本で講演をなさった時でした。その時に梅蘭芳先生、袁世海先生、李少春先生たちの演技を見て本当に感動しました。それから狂言をぜひ中国の人々に見てほしいなぁと思うようになったんですね」 
 狂言と同じように600年以上の歴史を誇る中国の昆劇に対し、万作氏は敬意を払う。98年、彼と中国の有名な昆劇俳優である張継青女史は「秋江」で共演した。これは昆劇と狂言の初めての共同公演で、各方面から高い評価を受けた。月日はたったが、いまだに万作氏は当時の交流で学んだことは少なくないとし、「昆劇との共演で学んだことは非常に多かったです。二つの優れた伝統劇が一つとなり、各国の観客みんなが理解できる形式美を作り上げました。能楽と昆劇は、すでに世界文化遺産となっているので、将来またいっしょに共演できることを願っています」 
 今回の公演は大成功だった。万作氏は喜びとともに、わずか1回だけの上演で、多くの観客の求めに応えられなかったことを申し訳なく思っている。彼は、「必ずまた機会を作って、さらに多くの観客の皆さんに笑いを通して『和楽』の中にある『平和』の精神を理解していただきたい。狂言の美を分かち合うことで、日中友好に花を添えたいと思います。北京の町で見かけた『不忘初心』というこのスローガンに感動しました。これは、わたしたちの能楽を大成した世阿弥の、『初心忘れるべからず』という言葉です。中日の間には似たような文化的蓄積があります」 
 今回の公演について劉徳有氏は、劇場内の若い観客たちの熱狂振りを見て、「東アジアの国々は、本当に人々の心を通い合わすことができる。今年はちょうど中日平和友好条約締結40周年に当たるので、中日は共に条約の精神の『初心』を忘れずに、平和と友好、協力、ウインウインの目標に向かって発展していくべきだ。心の交流の最も良い方法は、やはり文化交流だ。かつて魯迅もこう語っている。もしわれわれ(中日)二つの民族の間の隔たりをなくしたいのならば、もっとも良い方法は文芸による相互交流である――。私は、文化芸術による交流は良い結果を生んできたと考えている。今、私たちは、これまでの基礎からさらに一歩進めなければならない」
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