異国の地で新たな挑戦

2020-01-22 15:13:29

馬場公彦=文・写真

昨年8月末日、定年退職した。30年間勤め上げた会社だった。還暦を過ぎた29年目あたりから、年齢のこと、退職後の身の振り方について、考えるようになった。このまま同じ会社に居続けるという選択肢はなくはなかった。前の会社と合わせて同じ業界で35年間働いてきた。同じ業種を続けたくはなかった。同じ会社で同じ業務を繰り返すこともしたくなかった。人に使われることにも、人を使うことにもうんざりしていた。

子どもの養育からは解放された。父を5年前に亡くした後、この夏、母が他界した。これからの自分の人生の前には、自分のためだけに使える時間のレールが延びている。動力車をどこに向かって走らせようか。

ぜいたくな暮らしをするような金もうけの才覚がないことは分かっている。ゆったりまったりのスローライフは結構だが、自分はそれには向かない性格である。還暦後にして定年後の第2の人生は、自分のやりたいこと、これまでやれなかったこと、人の役に立つことをやりたい。幸い体だけは頑丈にできている。

そんな願望を抱きながら、真っ白な模造紙にこれから生き方の設計図を素描していた。そんな折、縁あって新たな就職口が見つかった。

職場は北京大学。これまで本格的には取り組んだことのない、教育の世界だ。旅行や出張で、海外に出掛ける機会はわりに多かった。中でも最も訪問回数の多い都市は北京であった。ここ10年ほどは年に1、2回は必ず訪れる。とはいえいつもわずか数日。留学や長期滞在の経験は皆無だ。会社の書架の本や文具を20箱近い段ボール箱に詰めて自宅に宅配し、公務机の回りをまっさらの状態に戻した数日後の92日、北京へとたった。

着任して最初の2週間ほどは「備課(授業の準備)」に追われて、キャンパス内にある宿舎と研究室を往復するだけの生活が続いた。学校の外に出て、母語話者たちの交わす中国語の海に飛び込む自信がなかったこともある。買い物や食事の用事に迫られて、次第に行動半径を広げていった。伸びきった髪に観念して、一念発起して一人で共享単車(シェア自転車)に乗ってスマートフォン(スマホ)の地図アプリ、高徳の導航(GPSによる道案内)を頼りに理髪店に出掛けた。北京に来て以来、宿舎からの最長距離であり、外国で理髪店に入るのも初めてだった。

実は北京に来たその日の早朝、羽田空港行きのバスの車内にスマホを置き忘れてきてしまった。北京に着いたその足で中国移動に赴き、最新の華為製のスマホを購入せざるを得なくなったのだ。ところがこのスマホの性能が素晴らしい。通信速度は速く、写真は鮮明、機能は充実、おまけに通信費は桁外れに安い。以後、日本から持参したデジカメは一度もシャッターを押すことなく、スマホなしでは一日たりとも生き延びていけない状態になってしまった。

ヘア・カットは36元(600円弱)。いつも使う日本の1000円カットより安い。はさみをさばく青年の二の腕にはタトゥーが垣間見えたが、愛想がよかった。しかもシャンプーが2回付いていた。

これから北京で、中国で、どんな暮らし、どんな仕事が待っているのか。ありのままをスケッチしていこうと思う。

 

これからの職場となる北京大学の西門。どんな暮らしと仕事が待っているのだろうか……

 

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