翻訳者たちの挑戦

2021-09-14 15:22:16

馬場公彦=文

北京には梅雨がないはずなのに、今年はいやに雨が多い。それもしの突くような豪雨だ。6月末、北京大学での学期末試験、7月半ばの卒業式、7月下旬までのサマーキャンプが終わり、キャンパスは学生が帰省してひっそり閑とした晴れ間の木立を、終日セミが鳴き交わしている。

先学期、受け持った大学院修士1年生の授業科目の一つに「漢日筆訳案例分析」というのがあり、中文和訳の手ほどきをした。授業のシラバスには二つの目標を掲げた。与えられた誰のどんなジャンルの作品でも引き受ける「全天候型翻訳者」になること、意味を正しく伝えるだけでなく、著者の意図をくんで読者を感動させる「売り物になる訳文」を仕上げることである。

この角度をつけた目標には意図がある。AI翻訳が登場し日進月歩で性能を向上していることへの危機感である。ある出版社を取材した際、そこの編集者は、原文を機械翻訳して海外作品を吟味するのだという。ある韓国語の小説を機械翻訳で読んで、涙を流した編集者もいるとか。むろんその作品の版権をオファーした。

日々自分の中国語の聞き取り能力の貧しさに嫌気がさし、話が込み入ってくると分かったふりをして相づちを打つのが耐えられなくなっている私は、とうとう意を決してAI録音筆写機(ボイスレコーダー)を購入した。携帯電話より一回り小さなサイズながら電動自転車1台分くらいの大金であった。だが、使ってみてその音声識別の能力と容量に驚いた。音声の中国語への自動転写、日本語への同時翻訳が、流れるように表示される。日本語だけで8カ国の言語に対応している。支離滅裂で噴飯物の訳語も頻出するが、AIは学習し長足の進化を遂げていく。イヤホンを当てれば相手の外国語が母語になって同時に流れてくるような製品が商品化される日はそう遠くないだろう。

そうなるといったい翻訳者の役割はどうなるのか。翻訳・通訳術を教授する立場のわれわれにとって想像したくない近未来だ。少なくとも定型の文章、たとえば保険の約款・法律の条文・各種契約書・製品の取扱説明書、さらには新聞や放送のニュース記事などは、AI翻訳に徐々に置き換わっていくことだろう。

そこで、上記の授業では、翻訳という仕事においてなおも人にしかできない領域、とりわけ人間の創造力を発揮した、定型化しにくく規則性に縛られない自由度の高いジャンルの文芸作品を主に取り上げたのである。そこで求められる人工ならではの技能とは何か。

それは感情の読解と適切な文体の模索である。たとえば対話の中でAさんの提案にBさんが「いいですよ」と答えたとする。今の技術水準では、機械は「好吧」としか表示しないだろうが、対話の場面設定、Bさんの口調・表情・性格、Aさんとの関係などから、賞賛・受諾・しぶしぶ承諾・敬遠・不服・拒否など、さまざまな幅の広いニュアンスが想定される。

授業では素材の一つとして相声(中国漫才)のスーパースター郭徳綱による自伝的回想録の一部を翻訳させた。これは独白の体裁だが、芸人の弟子たちに囲まれた席での問わず語りの状況設定がふさわしい。するとこの文体は、ちょうど日本の居酒屋でのおやじトークの文体を借りると収まりがよい。

いま計算機科学は人の表情や口調などから感情を電算処理する技術を開発しており、それをAI自動作曲に活用し商品化するところまで進んでいる。チェスや囲碁で名人がAIに敗れ、俳句や短歌や漢詩やひいては小説までAIが自動生成するようになっている。

翻訳・通訳者の挑戦はいっそう厳しくなるだろう。AIがカバーできないフロンティアを開拓し、不得意な領域で磨きをかけるために、われわれも人知を働かせていかねばならない。

 

翻訳における文体の選択について講義。7月6日、西安交通大学にて(写真提供・筆者)

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