第10回 KLの老舗茶荘で

2020-03-20 11:14:45

須賀努=文・写真

イポーから直通列車で2時間半。マレーシアの首都、クアラルンプール(以下KL)に到着した。実はこの街も元々はイポーと同じ、炭鉱開発でできた街であり、以前既に紹介した肉骨茶発祥の地クラン近くに炭鉱があったという。当然華人も大量に流入し、一大都市になっていく。今回はKLの茶荘での出会いを見てみよう。

KLのチャイナタウンと言えば、パサールスニ。ここに数軒の老舗茶荘が残っているとの情報があり、訪ねてみた。観光客で賑わうこの街のほぼ中心にあったのが、老舗の風格を備え、またきれいに改修されていた広滙豊茶行だ。ここは数年前にKLに来た時にも寄った記憶があり、六堡茶がマレーシアで飲まれていること確認した場所でもあった。

 

広滙豊茶行

残念ながらオーナーは不在でこの店の歴史を詳しく聞くことはできなかったが、1929年創業というから90年の歴史を誇り、KLでも最も古い茶荘であろう。そして現在もマレーシア茶業公会の理事長職にあるというから、訪ねるべきはここだろう。親切な店員が、公会会報を見せてくれ、現在の会員一覧で他のメンバーも分かってきた。

その中でこの付近にあるお茶屋として、建源茶行を紹介された。このお店、チャイナタウンの端にあり、言われなければ気が付かなかった。店に入ると華人男性がヨーロッパから来たお茶好き女性たちに英語で詳しい説明をしていた。その横にいた若者を捕まえて話を聞く。彼が3代目の許健川さん。

 

建源茶行 3代目許健川氏(右)と

1945年創業とあるが、第二次大戦前に彼のお爺さんが安渓からKLにやって来て、自転車で茶を売り歩いて始まったという。その後事業が成功し、小売りの店だけではなく、卸業にも力を入れている。1960年に作られた中国茶輸入組織である岩渓茶行には、輸入専門会社、聯隆泰を作って参加している。香港やシンガポールの茶行との商売も多かったという。

1980年代以降は中国から直接茶を輸入し、マレーシア内の茶荘に供給する役割を担っており、今でも付き合いのある茶荘は多いが、その量は徐々に減ってきている。1990年頃に台湾から茶芸が入って来なければ、茶の消費量はさらに落ち込んでいただろうとも言う。若い3代目はこの困難な状況をどのように乗り越えていくのだろうか。

許さんによれば、チャイナタウンから少し外れた場所にもう一つの老舗茶荘があるというので歩いて行く。そこはインド系、アラブ系のにおいが立ち込める一角だった。本来中国系が移民した場所の近くには大体インド人街などもある。貿易や商売に適した場所として目をつけるところは大抵同じ。彼らによって初期の街は築かれていったということだろう。

高泉發茶行、こちらも1931年に創業した、広滙豊と並ぶKLの老舗だ。かなり広い店内は薄暗かった。小売りのお客はあまり来ないようだ。3代目の奥さん、黄月華さんが出てきて対応してくれた。聞けばご主人、高さんは2018年に87歳で亡くなったという。今は息子さんとこちらを切り盛りしている。

 

高泉發茶行 3代目夫人黄さんと

最初はこちらが何者か分からず、少し警戒しながら話していた黄さんだったが、ご主人の故郷が安渓大坪であること、私がミャンマーの大茶商、張彩雲(安渓大坪出身)とその一族の歴史を細かく調べてきたことを話すと、相当に驚いており、急に会話が滑らかになった。因みに安渓大坪は今でも殆どの人の苗字は張か高のどちらかであり、茶業を行っている高さんなら、大坪出身と当たりが付く。台湾で包種茶の産地として知られる坪林や鉄観音の木柵の茶農家に高さんや張さんが多いのも大坪出身であるからと言われている。

黄さんの家は福建系ではなく、潮州系(客家?)らしいが、ご主人の親戚がマレーシアに渡る際には、張彩雲から資金援助があったとの話しが出て、こちらも驚いてしまった。そこから張源美の末裔が東南アジアのどこに行ったとか、林金泰の末裔とは数年前にコンタクトがあったとか、如何にも老舗らしい話題がどんどん出てきて、茶の歴史はどこまでも繋がっていくのである。

 

高泉發茶行 パッケージ

高泉發には、少し前まで日本人観光客や日系航空会社の関係者も沢山来て、中国茶を買っていっていたことも話してくれた。最近は誰もが自ら中国に行き、お茶を直接買うことができるので、皆来なくなったよ、と黄さんは寂しそうに語る。だがこれは日本の経済力が落ちてきて、人々に余裕がなくなったことが一番の理由ではないか、とも言えそうだ。

最近はマレーシアでも「茶はペットボトルで飲むもの」とか、「ドリンクスタンドで買うもの」、というイメージが若者を中心に膨らんでおり、老舗茶荘が生き残っていくには大変な時代となってきている。先人たちが苦労して海を渡り始めた商売を、現在の華人たちは守り抜いて行くのだろうか。それとも華人らしい独自の発想で、全く新しい展開があるのだろうか。今回マレーシアの茶荘を幾つも訪ね歩いてみたが、マレー系やインド系にも興味を持たれる茶業が必要なようだ。

 

高泉發で販売する紅茶粉

 

 

 

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