第20回 ベトナム ハノイに伝わる工夫茶

2021-03-03 09:51:53

須賀努=文・写真

  お茶の歴史が知りたくて、ここ数年何度かベトナムへ通っている。ところがハノイでもホーチミンでも「資料がないから昔の話は分からない」と言われてしまい、本当に困った。東南アジアならどこの街にも華人街があるのだが、ベトナム戦争、中越戦争の影響もあり、約40年前に華人はベトナムから出て行ってしまい、ハノイには華人街は既に存在しない。ホーチミンも僅かにショロン地区がそれだと言われるが、そこでもお茶の歴史は見つからなかった。

 

ベトナム社会科学院喃漢研究院にて

  最後にハノイにある国家のシンクタンク、ベトナム社会科学院喃漢研究院を訪ねた。ここがベトナムにおける中国関連を研究する最高峰だと言われている。「これがベトナムの伝統的な緑茶だ」と言って、中国製の急須で非常に濃いお茶を淹れてくれた。濃いのだが、ちょっと甘みがあり、悪くはない。

だがその研究員でも開口一番「戦争や混乱で資料は散逸してしまい殆どない」と言い、更に「ベトナムには歴史研究者は極めて少なく、貿易史をやる人などいない」と一蹴されてしまった。フランス植民地時代の話なら、パリのフランス極東学院に大量の資料が眠っているが、誰も整理しないので、行っても無駄だろうとまで言われてしまう。現代のベトナム人はとにかく目先の利益を考えており、歴史を顧みる余裕などないと言われれば、もうそれまでだ。

そういえば友人から「ベトナムで相当古い茶樹が見付かった。中国より古いとの話もあり、茶樹発祥の地は中国ではなく、ベトナムではないか」という話もあった中越国境を訪ねようとしたが、残念ながら樹齢500年の茶樹を見るに留まった。勝手な言い方だが、昔の山中に国境などはなく、その一帯には古くから茶樹があったと確認されたのだろう。

 

エンバイ市郊外 樹齢500年の茶樹

ハノイ郊外のタイグエン県も訪れた。ここではかなり渋い緑茶が作られている。日本では「ベトナム人は皆蓮茶を飲んでいる」と勘違いしている人も多いが、実はハノイなど北部では、相当に濃い緑茶を好んで飲んでいる。それは何故なぜか?80歳を越えた老茶人の所へ行き、この緑茶エスプレッソをご馳走になりながら聞いてみたが、「昔からの習慣」という以外、答えは得られなかった。

 

ハノイの街角で濃い緑茶を飲ませる老茶人

その後、香港で50年以上お茶屋を営んでいる店主(潮州系)にハノイのエスプレッソの話をしたところ、彼はこともなげに「それは潮州人の習慣だろう」という。潮州は現在広東省の一部だが、福建省南部と同じ文化圏に属し、タイなどに大量の華僑を輩出した場所である。そして香港には今でも沢山の潮州料理屋があり、食事の前には必ず濃い鉄観音茶などが入った小さな茶杯が出て来る。まるで食前酒のような習慣がある。

 

タイグエン県の茶農家

確かに、ハノイのお茶はこれに限りなく近い。ではどうやって、この習慣がベトナムに入ったのだろうか。前述の老店主は「勿論生まれる前の話だからよくは知らないが、200年ぐらい前に潮州あたりの人々が大量に海外に出た時期がある。その時、歩いて行ったんじゃないか?」とこれまたこともなげに言う。潮州からハノイ、どう見ても簡単に歩ける距離ではないのだが。

ハノイでお茶屋の6代目を継ぎ、かつ著名なジャーナリストでもあるスオン氏。店内には初代の女性が路上でお茶を売る姿を描いた絵があったが、それは何となく華人との関係を感じさせるものだった。彼が淹れてくれる極上のエスプレッソ緑茶を飲みながら、潮州人の食前茶の習慣を話すと「ハノイでも食事の前に濃い茶を飲む習慣はあります」というではないか。やはりそうだったんだ、この仮説、推測が確信に変わりつつある。

                                                                 

ハノイで200年続く茶荘 初代を描いた絵

更に先日ある高名な先生にこの話をすると、「それは瑶族と関連があるかもしれない」と言われた。瑶族は元々湖南省あたりが発祥の少数民族だが、焼き畑農業を主として、東方に移動したと言われている。そして彼らは茶を持って移住する人々として、茶とは極めて重要な関連があるというのだ。

この先生によれば、瑶族は広東あたりまで来て二つに分かれ、1つはベトナムへ南下し、もう1つは潮州あたりまでやってきて、畲族になったという。もしそうであれば、ハノイと潮州は瑶族を通じて繋がっているとも言え、漢族が潮州からハノイへ歩いて行ったのではなく、瑶族の慣習が両地域に根付いたのかもしれない。

もう一つ、潮汕あたりでは、清朝時代から工夫茶という喫茶法が流行っている。工夫茶は、小さな急須で濃茶を入れて飲むので、これもハノイの喫茶習慣と一致しており、なんとなく真実が見えてきたような気になる。ただ瑶族など少数民族が作る茶は発酵茶が多く、緑茶は漢族が得意としている点など、わからないことも多い。

更に言えば、工夫茶は日本の煎茶道とかなり似ている部分があると聞いた。まさか潮州の工夫茶が畲族と共に日本に渡り、煎茶と結びついて独自の発展を遂げたと考えるのは、さすがに飛躍が過ぎるだろうか。

 

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