余白(余白)

2020-02-26 13:55:35

/福井ゆり子 翻訳/編集=銭海澎

 

「デザインは余白が9割」。こう書かれたデザイン本を見かけ、なるほどと唸ってしまった。余白とは、白い部分、絵や文字がない部分を指す言葉であり、たしかに全面にいろいろ盛り込んだようなデザインは、パッと目を引くポイントないため、訴えたいことが分かりにくく、しつこい印象を与える。余白をうまくとることで、ポイントを分かりやすく伝え、すっきりと見せることができる。

“成功的设计余白占九分”。看到设计类书籍中这样写道,我赞叹不已。所谓余白,就是没有图片和文字的空白部分,的确,如果设计时将所有空间都填满各种要素,缺少让人眼前一亮的重点,就会给人一种浓艳感,难以理解作者想要表达什么。而通过巧妙留白,能清楚地传递重点,让人看起来赏心悦目。

 

今もデザインの世界で大切なものとされているこの「余白」は、実は伝統的な日本画においても大切な要素であり、日本画の特徴の一つともなっているものである。例えば俵屋宗達注1の『風神雷神図』を思い浮かべてみよう。絵のテーマである風神や雷神よりも、むしろ大胆な余白の取り方にこの絵の妙があると思えてくる。

“余白”至今都是设计界最为重视的表现手法,实际上它也是传统日本绘画的关键要素,堪称日本绘画的特征之一。比如,大家可以联想一下俵屋宗达的《风神雷神图》。这幅画的绝妙之处相比其主题风神、雷神来说,应该在于其大胆的留白。

 

余白とは、すなわち「余地」であり、鑑賞者が想像をめぐらすための「余地」である。余地があることで、鑑賞者は作品の中に自分を投影させ、共感することができる。その表現されていない部分を自分の想像で補完することにより、作品の中に入り込むことができるのだ。全面にびっしりと描き込まれた絵は、10割が画家の主張で満たされたものだと考えると、しつこく、うるさく感じるのも当然だろう。

余白,也就是“余地”,是留给鉴赏者进行充分想象的“空间”。有了余地,鉴赏者就会让自己置身于作品中,从而引发共鸣。通过自己的想象,将作品未表现出来的部分补充完整,由此深入到作品中。再看那些将整个空间密密麻麻画满的作品,10成空间都充斥着画家的主张,自然要给人一种压迫感和厌倦感。

 

でも、その主張を6割に抑え、残り4割を余白のままにしておけば、その余白に鑑賞者は自分の想いを入れ込むことができる。こうした「全面的に主張せず、余白・余地を残して、鑑賞者の共感を呼び起こす」手法は、日本で古くからずっと行われてきた。短歌・俳句などの「ミニマム」文学も、余分を削ぎ落して本質的な部分だけを残し、残りを鑑賞者に委ねる、つまり「余白」を大切にしたものだと言うことができる。日常生活上でも、「言わぬが花注2」と、すべてを言うことを良しとしない表現を見ることができる。

不过,如果画家将自己的主张控制在6成,余下的4成空间留白,鉴赏者就可以在余白中融入自己的想象。这种“不全部表达自己的主张,而是留有余白、余地,唤起鉴赏者共鸣”的表现手法,是日本自古以来就沿袭的手法。短歌、俳句等“袖珍”文学,也是剔除多余的修饰,只留下精髓,将想象空间交给鉴赏者,即珍视“余白”的文学形式。在日常生活中也有“不说为花(妙)”这样的词汇,表达“把一切都说出来反倒不好”的涵义。

注释

 

注1俵屋宗達は、16世紀後半~17世紀前半に京都で活躍した画家。扇の絵付けや屏風絵など紙製品全般の装飾に従事。『風神雷神図』は宗達の最高傑作と言われる屏風絵で、国宝に指定されている。

俵屋宗达是16世纪后期~17世纪前期活跃在京都的画家。主要从事所有纸制品的装饰,如扇面及屏风的绘制等。《风神雷神图》是被誉为宗达最高杰作的屏风画,被列为日本国宝。

 

注2物事ははっきり言わないほうが趣きがある、口に出して言ってしまっては差し障りがあるので、言わない方が良い、などという意味。「これから先は言わぬが花だ」などのように使う。

表达凡事不明说更意味深长;一出口可能会冒犯他人,还是不说为妙等涵义。具体用法比如:“至于后事如何,还是不说为好(不言自明)。”

 

 

 

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