中国の器

2021-01-13 16:00:36

姚任祥=

著者プロフィール

 

姚任祥(Yao Renxiang)

1959年生まれ。著名な京劇女優・顧正秋(1928〜2016年)の末娘で、国学の巨匠・南懐瑾(1918〜2012年)の弟子。16歳で芸能界にデビュー、初期の学園アイドル歌手の一人。現在、台湾を代表する建築家・姚仁喜の妻で、3人の子の母親でもある。宝飾デザイナーで、美をこよなく愛し、20年来、さまざまなジュエリー作品のデザインを手掛けている。また作家としても活躍し、海外に留学する子どもたちが中国の伝統文化を忘れないようにと、『伝家』を出版した。

 

『伝家』とは

 

台湾の女性作家・姚任祥さんが7年の歳月をかけて書き上げた力作。春・夏・秋・冬の全4冊からなり、それぞれ六つのコーナーに分かれ、優雅な文体と美しい写真により、中国人の生活様式と伝統文化を季節ごとに描き出している。著者は、自身の家に代々伝わる「家伝」を通して、この本を読んだ人一人一人が自分の家に「家伝」を持つことを願っている。同書は、中国人なら誰もが持っておきたい伝統文化の百科全書であり、外国人が、古今を通じた中国人のライフスタイルとそこに宿る

 

連載開始にあたって

 中国の文化人・姚任祥さんの手による美しい文章と図版の『伝家』は出版以来、大変好評で、日本語版の出版準備も着々と進められている。今回、中国側の新星出版社と著者・姚任祥さんの承諾を得て、『伝家』の中から中国の普通の暮らしの中にある伝統的な知恵と美学に関するものをえりすぐり、本誌で連載・紹介する。今、中国の若い世代の間では伝統文化が再認識されるようになり、同書にある多くの内容が現代中国人の日常生活で復活しつつある。そうした中国人のライフスタイルの変化もこのコラムからうかがえるだろう。また、東方の国々が共有する文化的な価値観の探求は、本誌の創刊から変わらない趣旨の一つでもある。この連載が、東方の伝統文化への郷愁を喚起し、その素晴らしさを再発見する一助となれば幸いだ。

(総編集長・王衆一)

 

中国の器の造形的な特徴と工芸美は、各王朝や各年代の生活と美学の変遷、さらに外来文化の影響を反映している。また、人文的な情緒を結び付けるとともに、生命の哲学を表し、誇り高く輝かしい歴史を留める。

私が器に注目するようになったのは、幼い頃に見た京劇で、俳優が持つ杯の底に角のように尖った3本の脚があるのに気付いた時からだ。あのように変わった造形は、見たことがなかった。後に年配者から聞いたのだが、古代、戦の合間に酒を飲む時は食卓がなかったので、代わりに酒器の尖った3本の脚を土に差して安定させていたのだという。

私が大きくなってから、博物館へ見学に行った時のことだった。6000年前の新石器時代の展示品に、川の水をくむのに使った底の尖った器があるのを見つけた。器の両側には「耳」も付いていて、ひもを通して持ち運べるように作られていた。

こうした昔の人の知恵には本当に頭が下がる。炊事に使う器に目を向けると、あるものは火を起こしやすいように、あるものは火の温度を保つために工夫されている。私は、これらの器からうかがえる古代の生活の様子を想像し、はるか昔の台所に思いをはせた。

私が最も好きな器の材質は青銅だ。器に付いている耳、柄、ふた、ふたの取っ手、どれもが好きだ。これらは全て実用性を重視して作られたものだが、常に美的感覚と縁起の良さを兼ね備えている。次に好きなのは、龍や鳳凰、鳥獣の形をした器で、その造形は多様で均整が取れ、想像力に富み、そこから当時の動物の種類や移動の状況さえ伝わってくる。

中国の磁器は古代より伝えられてきている。英語で「China」は中国という意味だが、同時に「磁器」という意味でもある。中国の磁器は後漢(25〜220年)の後期に確立し、以降400年余りの第1次発展期を経て、唐(618〜907年)の時代には「釉下彩絵」(釉を施す前の絵付け)の工芸が発達し、絶頂期を迎えた。

宋代(960〜1279年)からは「八大磁器窯体系」(八つの有名な磁器生産の窯)の成熟と、地方の特色に富んだ磁器の出現によってその名は広く知られ、最も輝かしい時期を迎えた。その後、青花磁が元代に成熟し、明・清の主流になった後、景徳鎮が中国磁器生産の中心となり、その鮮やかな色彩は今日まで受け継がれている。

 

伝統的な陶磁器をインテリアとして生かすのは現代の中国人の日常といえる

 

青磁・白磁と「八大磁器窯」

中国の陶磁器の発展史を振り返ると、陶器の誕生から大きく発展し、技術が最高峰に達した唐・宋代には「南青北白」「八大磁器窯体系」などの言葉が生まれた。これは異なった自然条件の下で、「南方地域は青磁がはやり、北方地域は白磁がはやった」現象を説明したものだ。青磁の特色は、原料の土に酸化鉄の釉を施していることにある。

中国南方地域の窯元は、地元の鉄分を1~3%含む陶土を用いる。この土で作った器は還元炎で焼くと、きらきらと輝く釉の色が現れる。後周の第2代皇帝・柴栄(921~959年)は、「雨過ぎて空青く、雲破れるところのような色(の青磁)を作れ」と命じ、汝窯(青磁)の釉の美しい色を欲したとも言われている。後漢時代にはすでに成熟した青磁が完成していた記録が残っており、魏・晋・南北朝時代(220〜589年)には磁器の主流となっていた。

白磁の陶土には「淘選」(雑物を取り除くこと)されたものを選び、除鉄技術を駆使して生地の色を白くする。そこに透明感のある釉を施して高温で焼き上げるため、完成した白磁は銀のように輝き、雪のように白く、「類銀似雪」と言われた。完成度の高い白磁は隋・唐の時代には大変はやった。中国北方地域の邢窯(現在の河北省)は白く輝く上質な白磁を多く生産していたため、「天下の貴賎なく、広く之を用いる」と言われた。

「八大磁器窯体系」の八つとは、北方の①定窯(河北省、白磁系)②耀州窯(陝西省、青釉刻花磁系)③鈞窯(河南省、窯変釉磁系)④磁州窯(河北省、白地絵黒花磁系)、南方の⑤龍泉窯(浙江省、青釉系)⑥越窯(浙江省、青磁系)⑦建窯(福建省、黒釉磁系)⑧景德鎮窯(江西省、青白磁系)を指す。

今風に言えば、人気の窯は「ブランド品」だ。どの「ブランド」窯元も、流行の特色ある磁器を競って生産し、互いに器の形や釉の色を参考にし合い、客好みの製品作りを競い合った。

主に青磁を生産する南方の窯元でも、白磁の形と釉に挑戦することがあった。例えば福建の徳化窯は、明代に氷のように透き通る白磁器の製品を大量に生産していた。また北方の耀州窯の青磁は、陶土の材質からオリーブグリーンに似た色の磁器を生み出し、南方青磁の鮮やかな緑の色合いとはまた異なる品格を醸し出していた。

歴代の陶磁器の中には、風格と造形が唐代の三彩や宋代の絞胎器(しま模様のある練り込み)のように、一時的な流行で終わってしまったものもある。唐三彩は低温で焼く陶器で、釉の銅、鉄、コバルト、マンガンなどが含まれている鉱物に、溶剤として大量の鉛を加える。約800度の低温で焼き上げると、黄色、褐色、緑色を基本とした3色になる。出土した器物から、唐三彩の多くは副葬品であることが分かっている。

宋代の絞胎磁器は、一般的に白黒、あるいは褐色が混じる白い陶土を使う。この陶土を縄のようにより合わせて加工すると、2種類の陶土が縦横に絡み合った独特なしま模様ができる。絞胎磁器の多くは豪族や貴族が使っていたとされるが、元代以降はその伝承が途絶え、焼き方を知る者がいなくなり、その美しい模様は後世の謎となっている。

 

 

 

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