中秋

2022-10-01 17:05:58

姚任祥=文 

旧暦の8月15日は中秋節。8月は旧暦の秋(7~9月)の2番目の月であることから、「仲(2番目の)秋」とも呼ばれる。「花好月円人団聚」(花は美しく、月は丸く、家族は集う)と言われるように、中秋の明月が最も明るく丸いことから一家だんらんの象徴とされ、中秋節は中国人にとって家族が集う日でもある。  

古代の王は、春になると太陽を祭り、秋になれば月を祭っていた。史書によれば、「中秋」という言葉が最初に登場したのは東周(紀元前770~同256年)の『礼記』で、「中春(春二月)には昼に土器の太鼓をたたき、『詩経』を歌い、暑気の到来を祈る。中秋(秋八月)に夜気の到来を祈るのも同様に行う」とある。中秋は、遠く2000年も前から文人たちが月を愛でる風雅な催しになっていたのだ。 

唐代になると中秋は恒例の祭日として定着し、宋代(960~1279年)には民間の慣習・伝統行事として広がっていた。孟元老の回想録『東京夢華録』(東京は開封の名称)には、「中秋節の前、もろもろの酒店はみな新酒を売り出し、店先の飾りを新しく構える。中秋節の夜、富貴な家はあずまやを飾り、庶民は酒屋の酒楼に集まり月見をする」と、当時の人々が中秋節を祝うにぎやかな情景が描かれている。 

  

中秋節の飾りを楽しむ客でにぎわう上海の城隍廟(vcg) 

明・清時代になると、中秋節は旧正月の春節に次いで重要な祭日となった。こんな言い伝えがある。元代(1206~1368年)末期、モンゴル人は武力によって漢民族に対して残虐な支配を行い、漢人の謀反を防ぐために民衆が武器を持つことを禁じた。さらに10世帯で1本の包丁を共用するおきてを定め、厳しく監視した。 

このような厳重な監視の下では、鬱憤を募らせた漢人が反乱を起こそうにも連絡を取り合うすべがなかった。そんなとき、すでに蜂起していた朱元璋(1328~98年)は、ある策を思い付いた――中秋節に月餅を食べる風習を利用し、大量の月餅を作って餡の中に「八月十五日に蒙人を殺す」と書いた紙切れを混ぜて庶民に配ったのだ。中秋節(8月15日)の夜、月餅を食べて紙切れを見た各地の義兵がこぞって参集し、反旗を翻してモンゴル人の支配を覆したという。 

中秋節には美しい神話もある。「嫦娥奔月」の物語だ。はるか昔、天上に一度に10個もの太陽が現れ、人々はひどい暑さに苦しめられていた。そのとき、怪力無双の后羿という勇者が現われ、神弓で一気に九つの太陽を射落とした。それから后羿は人々から敬愛を受け、若くて美しい娘・嫦娥を妻に迎え、仲睦まじく暮らすことになった。 

ある時、后羿は天の女神・西王母から飲むと仙人になれる不老不死の霊薬をもらった。しかし、嫦娥と離れ離れになりたくない后羿はこれを飲まず、嫦娥に預かってもらった。ところが、逢蒙という后羿のずる賢い弟子がこのことを知り、后羿が留守の隙を狙って嫦娥に霊薬を差し出すよう脅し迫った。嫦娥は応じなかったが、切羽詰まった焦りのあまり霊薬を飲み込んでしまった。とたんに体が軽くなり、仙人となった嫦娥は月の世界へと駆け上って行ってしまった。   

それから后羿は、月に向かって嫦娥の名を叫び続けたが、嫦娥を連れ戻すことはできなかった。悲しみに暮れる后羿は、祭壇を設け、そこに嫦娥が好きだった甘い菓子や果物を並べ、はるか遠く月の宮殿にいる愛妻に供えた。それを知った人々も一緒になって嫦娥を拝むようになり、以来、中秋節には月を祭るのがお決まりの風習となったという。 

日本人にとって月となじみ深いのはウサギだろう。これは嫦娥の神話にも登場する玉兎だ。嫦娥は、体が軽くなり天へと上っていくとき、慌てて飼っていた白ウサギ(玉兎)を抱き上げた。こうして玉兎は嫦娥と一緒に月宮にたどり着いた。 

月宮にいる玉兎は、夜に杵で臼の中の不老長寿の霊薬をつくという。文人墨客がこれを詩に詠むうち、玉兔も月のシンボルの一つとなった。この神話が日本に伝わり、月には餅つきをするウサギが住んでいるという話になったのだ。 

  

ライトアップされ中秋の名月に映える「江南三大名楼」の一つ、武漢の「黄鶴楼」(vcg)   

中秋節で一番大切な風習は、月餅を食べることだ。「月餅」という言葉は、南宋の地理・風習を記した呉自牧の随筆集『夢梁録』に初めて登場する。当時の月餅は菱形だったが、次第に円形へと変化していった。明代の旅行案内書とされる『西湖遊覧志余』に、「八月十五日を中秋といい、人々はだんらんの意を込めて月餅を贈り合う」とあることから、月餅は明代から中秋節には欠かせない祝祭日の食べ物となっていたことが分かる。 

粽と同じように、月餅も地方によって異なり、種類も多い。最も一般的なのが広東式、北京式、蘇州式の3種類だ。 

広東式の月餅は、外の皮は西洋菓子に似て、中の餡は甘くこってりとして、作り方は一番凝っている。北京式月餅の皮はお焼きのようにサクサクして香ばしい。蘇州式の月餅の皮はパイのように薄い層をいくつも重ねてあり、白く柔らかい。最近ではメーカーが絶えず新製品を作り出していることから、外見も味もバリエーションがぐんと増え、種類はすでに1000を超えているだろう。 

  

とろりとしたカスタード餡が人気の月餅詰め合わせ(vcg)   

月を祭り、土地神を拝むのも中秋節の伝統行事だ。中秋は古代から「祭月」の礼があり、その際に祭るのも月の女神で、「月娘」とも呼ばれる。これはまた嫦娥が月に上る神話の原点ともなっている。中秋節の日、日が暮れて月の出を前に、人々は庭に祭壇を作り、だんらんを象徴するザボンなどの旬の果物や月餅、茶などを供えては、月に対して香をたき、拝む。 

旧暦の8月15日はちょうど土地神の誕生日でもあり、人々はこの日に土地神を拝む。香をたいて供物を供える他、田畑に竹ざおを一本挿す。この竹は土地神が持つつえを象徴しており、その先に神様に供える紙銭を結び付け献上することで、翌年の豊穣を祈願するのだ。 

この他にも、各地方にはそれぞれ異なった中秋節の風習がある。例えば台湾では「聴香」と「偸俗」だ。「聴香」とは、女性が中秋節の夜に香をたいて黙とうし、神様に聞きたいことを唱える。そして香を持って出掛け、道で誰かが話すのを聞くと杯を投げ、それが答えかどうか神様に聞くという一種の占いだ。 

また「偸俗」は、未成年の少女が中秋節に他人の畑から野菜を盗み、見つからなければ、将来、理想の夫に巡り会えるとされる。何とも変わった風習だが、今ではこうした面白い風習の多くは、とっくに廃れてしまっている。 

 

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