「996」で働くのは幸せか

2021-05-26 11:05:34

鮑栄振=文

いまの若者たちの労働環境を見て、筆者は30年以上前、ある日本人弁護士からこう言われたのを思い出した。「『四つの現代化』を成し遂げるために頑張っている中国の若者たちは、最も苦労した世代になるんだろうね」

当時の筆者も、自分たちの世代が「四つの現代化」を成し遂げれば、次の世代はそんなに苦労することはないだろうと思っていた。しかし、現実を見る限り、その予想は甘かったようだ。昨今では、仕事に追われ、強いストレスを感じている若者が数多くいる。その原因の一つが「996」という働き方だ。

 

議論巻き起こした「996」

「996」とは「午前9時から午後9時まで週6日出勤」という勤務体制(1)を表したものだ。中国のある大手IT企業が2016年9月、この「996勤務制」を導入したのが発端とされる。日本で言う「ブラック企業」の勤務形態だ。

この「996」を巡っては、中国社会全体を巻き込む議論となった。例えば、ソフトウェア開発プラットフォームの「GitHub」(ギットハブ)に「996・ICU」というプロジェクトが立ち上げられ、そこに中国のIT技術者たちが過酷な残業の実態を次々と暴露し、過度な残業を強いるブラック企業をランク付けする投票が行われたという。

この「996・ICU」という名称は、「996」が常態化した過酷な労働環境の下で体調を崩した社員が、ICU(集中治療室)に運ばれることを風刺したものだ。ここに名が挙がった企業の中には、EC大手のアリババグループや「京東」(JD・com)、ドローン大手の「DJI」など中国の著名なIT企業もあった。

一方、こうした動きに対して『人民日報』も、「強制的な残業を企業文化にすべきではない」と題する論評を掲載。すると他のメディアも続々と「996」批判を展開。「996」は瞬く間に社会のホットトピックとなった。

「996」の議論をさらにヒートアップさせたのが、アリババ創業者として日本でも有名なジャック・マー(馬雲)氏の発言だ。マー氏はアリババ社内の交流会で、「996で働けることは幸せなことだ。多くの企業や個人にはそんな機会すらない。若い時に996で働かなかったら、いつ996で働くというのか」などと語ったとされ、「996」を擁護する姿勢を見せた。

このマー氏の発言に対し多くのネットユーザーは、企業の経営者としてあまりに身勝手だと反発。次々と「中国でも指折りの成功者の創業時代のエピソードと、現在の若者の労働時間の話を結び付けて語るのはおかしい」「仕事に真剣に取り組むことと残業を強いることは全く別の話だ」などと批判した。

実際のところ、経営者たちも若者たちのこうした考えを知らないわけではないだろう。だが、経営者としてはアグレッシブな企業文化を好み、長時間労働を強いる勤務体制を築いているのだ。このため、長時間労働の代名詞となった「996」以上に過酷な「807」(午前8時~深夜0時を週7日)、あるいは「716」(午前7時~未明1時を週6日)の環境で働く人も多い。こうした長時間労働が横行する理由について、「インターネット企業の利益率が全体的に低下する中、プログラマーらの人件費を抑えつつ生産性を高めたいとの(経営者側の)思惑がある」との分析がある。

 

「996」は労働法違反

実は「996」を巡る議論は、このところ下火になりつつあった。ところが今年初め、ある事件が明るみに出たことによって、中国では「996」や「過労死」に関する議論が再び巻き起こった。

昨年12月29日未明、中国のネット通販大手の「拼多多」(ピンドゥオドゥオ)に勤める23歳の女性が会社からの帰宅途中、路上で倒れて急死した。倒れたのが午前1時半という未明の時間帯だったことから、長時間労働を続けた末の過労死ではないかと疑義をただす声が各所から上がった。

この事件を通して、日本の経済学者・森岡孝二氏が十数年前に指摘した『働きすぎの時代』(05年、岩波新書)に、中国社会も突入したことを改めて認識した人は少なくない。また、15年12月に日本で起きた、大手広告会社の女性社員(当時24歳)の自殺事件を思い出した。亡くなった社員は「毎日次の日が来るのが怖くてねられない」などと悲痛なメッセージをSNSに書き込んでおり、亡くなる前には残業時間が100時間を超えた月もあった。

そもそも、「996」は中国の「労働法」違反である。

中国では原則として、一日8時間・週40時間の標準労働時間制が適用されている。「996」は明らかにこれに違反している。また、「996」の勤務体制で従業員が毎日平均3時間残業すると仮定すると、週の残業時間は18時間、ひと月では72時間に達し、労働時間の延長について「月36時間を超えてはならない」と定めた労働法第41条にも違反する。

再燃した議論にも、一部の経営者たちはどこ吹く風(2)といった様子だ。このような現実について、技術系メディア関係者の李超凡氏は次のようにコメントしている。「私ではこのような社会問題について有効な解決策を打ち出すことはできないし、996という病的な慣行を変えることもできない。経営者が996を正当化するのをやめ、従業員一人一人を尊重する姿勢をとってくれることを望むばかりである」

しかし、主に人事・労務関係の法律業務を取り扱ってきた筆者としては、「996」問題は十分に解決可能であると考える。その理由としては、まず、中国の労働法制の整備が行き届いていることが挙げられる。中国では「労働法」を中心とし、異なるレベルの複数の関連法令からなる労働法体系が構築されている。08年から施行された「労働契約法」では、従業員の権利を強力に保護している。

また、コンプライアンス(3)(法令順守)を重視する企業が増えてきていることも理由の一つである。例えば、法務部を設置し企業活動において法令違反が生じないよう注意する。また、もし法令違反が生じても法にのっとって適切に対応する――そうした責任ある態度が求められる時代になっているのである。

さらに、中国の各レベルの労働管理機関が企業の監督を非常に厳しく行っていることも、「996」解決の肯定的な要素だ。筆者が知る実際のケースとして、何年か前、ある日系企業が法定時間を超えて従業員に残業をさせていることを現地の労働監察大隊(労働基準監督署に相当)が知り、直ちに会社に立ち入り調査が入り指導が行われた。

無論、それでも就職差別や労使関係の短期化、長時間残業の常態化、賃金未払い(4)、労働安全衛生対策の不備など労働に関する問題は多岐にわたり数多く存在している。

中国のスーパーインフルエンサー(5)(影響力の大きい人物)の一人、中国政法大学教授・羅翔氏は、「自由に制限を加えないのであれば、必ずや強者が弱者を搾取する事態となる」と語っている。企業と従業員が共に健全に成長していくため、ひいては中国社会全体が安定した発展を成し遂げるためには、労働法や労働契約法などの法令を常に厳格・適正に執行し、違法行為への規制を強化し、「996」を含め、これらの問題の解決に緩まず取り組んでいくことが肝要だろう。

 

1)勤務体制 工作制

2)どこ吹く風 无动于衷

3)コンプライアンス 合规

4)賃金未払い 欠薪

5)スーパーインフルエンサー 超级大咖

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