老酒と上海ガニ

2021-08-27 15:54:15

劉徳有=文

老酒と上海ガニの取り合わせ

秋の味覚ぞ天下一品

 

まずカニの話から――

三面海に囲まれた遼東半島の港町・大連に生まれた筆者は、幼いころ海のカニをよく食べたが、川ガニは地元の人たちから敬遠されていた。長じて北京に来てから、カニといえば、もっぱら川ガニを指し、中でも蘇州近くの陽澄湖でとれる「大閘蟹(チュウゴクモクズガニ)」が有名で、たまにありつくことがあったが、今は交通が便利になり、旬の秋口になると、養殖された「大閘蟹」がふんだんに南から北方へ輸送され、家庭の食卓に上るようになった。

 

有名な「大閘蟹」(写真・劉徳有氏提供)

「大閘蟹」――この名前はたぶんカニの捕り方から来ているのだと思われる。川ガニは毎年3月から4月にかけて波打ち際で産卵・ふ化し、脱皮しながら大きくなるにつれて、川や湖にさかのぼり、成長していく。昼間、石のかげに隠れ、夜間活動する習性を利用して、捕るときは、竹で編んだ堰(閘門=水門)のようなものを仕掛け、明かりを灯すと、カニたちが集まり、竹の堰にいっぱいしがみつくことから「大閘蟹」と呼ばれるようになったとか。陽澄湖が上海の近くにあることから、日本人の間では「上海ガニ」の愛称で呼ばれている。

ところで、人類はいつ頃から誰が最初にカニを口にするようになったのだろうか?

「初めてカニを食べた人には頭が下がる。勇士でなければ、誰にそんな勇気があるだろうか」とは、中国の文豪・魯迅先生の言葉。たしかにあのグロテスクな怪物を最初に口にした人はすごく勇気のいることであったに違いない。魯迅の言葉は今の中国では、物事を初めて試みる人や革新者をほめたたえるのによく使われている。

伝説によれば、人間がカニを食べるようになったのにはあるきっかけがあったという。

昔々、川や湖に、体が甲殻に覆われ、8本の足と2本のハサミを持った醜いシロモノが横行し、田んぼを荒らすばかりか、ハサミで人をはさむ。時あたかも禹王の治水時代。禹王は部下の巴解を治水の監督に派遣するが、「人をはさむ」例のシロモノが邪魔で、工事を遅らせ、往生する。そこで、巴解は人夫に溝を掘らせて、熱湯を流した。例のシロモノは次から次へと溝に落ち、真っ赤にゆでられて、あたり一面にいい匂いが漂った。巴解はみんなが止めるのを押し切って食べてみると、あごが落ちるほどおいしい。それ以来、人々はカニを食べるようになったとさ。

伝説は伝説として、カニはいま中国ではいろんな形に料理されて食卓に上っているが、油で揚げたり、野菜と一緒に炒めたり、スープのだしにしたり、カニの子をギョーザや「湯包」「小籠包」のような肉まんの具にしたり、時代の移り変わりに従って新しい食べ方がどんどん編み出されている。2016年9月、杭州でG20が開かれたとき、晩餐会に出された14品の料理のうち、「南宋蟹醸橙」はその日のメニューの目玉として注目された。これは南宋の文人・林洪の家庭料理の一つで、橙(オレンジ)をくりぬき、少しばかりの果汁を残して、カニの子やカニ肉を詰め込み、瀬戸物の器に移して酒や酢と水を入れ、とろ火で煮込む。食べるときに塩を少々振りかければOK、参会者の絶賛を博したことは言うまでもない。

しかし、何といってもカニは蒸籠などで蒸して、めいめいが思い思いに皮をむきながら、みじん切りのショウガを浸した酢につけて食べるのが一番ポピュラーで、最高においしい。まさに天下一品の秋の味覚といえよう。

カニは中国の詩人や文人墨客の間でも人気があり、歴史上、カニに関する多くの詩文が残されている。

 

蟹螯即金液, カニは ほかならぬ金液じゃ

糟丘是蓬莱。 仕込み酒屋は 蓬莱仙境

且须飲美酒, 美酒は飲んだぞ さぁ飲んだ!

乘月醉高台。 月明かりの下 高台に酔いしれぬ

 

これは、詩仙・李白の詩の一節。カニをつつきながら酒をたしなむ李白のしたり顔が目に浮かぶようだ。

また、南宋の愛国詩人・陸游も、詩作でカニと酒に触れている。

 

秋夕高斎病始軽, 秋の夕日部屋に射しこみ         

病快方へと向かう

物華凋落歳崢嶸。 万物ことごとく凋落して

歳月険し

蟹黄旋擘饞涎堕, 肥えた蟹を両手で裂けば

涎が垂れて 

酒渌初倾老眼明。 杯に酒を注げば

霞んだ両目もキラキラ光る

 

カニと酒の取り合わせといえば、老酒が定番。日本でいう老酒とは、中国の文豪・魯迅のふるさと――浙江省の紹興で生産される黄酒で、一種の醸造酒である。黄酒は昔から中国各地で生産されているが、北方の黄酒の原料はアワが主で、揚子江以南の沿岸地方で醸造される黄酒の原料はもち米。黄酒の王はもちろん「老酒」の名で親しまれている「紹興酒」であろう。

 

娘の嫁入り祝いに使う紹興酒「女児紅」(写真・劉徳有氏提供)

こんな話がある。1962年の秋、自民党の長老・松村謙三氏が北京に見えたとき、歓迎宴のごちそうにカニ料理が出た。中秋のカニは昔から中国で珍重され、卓上に四川省の大麹酒、吉林省通化の赤ワインと紹興酒の3種類の酒が用意された。「中日友好と文化交流のために乾杯!」。主人の音頭に応えて、松村氏が大麹酒の杯を取ろうとすると、主人はニコニコしながら、「今日はこっちでいきましょう」と、紹興酒を勧めた。ゆでた川ガニは紹興酒に限るのだ。

さて、紹興酒を作る原料だが、仕込みには江蘇省丹陽県のもち米、こうじには小麦を使うが、特に水がやっかいで、冬、紹興県鑑湖の湖心から凍らない水をとってこなければならないという説がある。しかし、小麦の方はさほどやかましくなく、近辺でとれる小麦ならなんでもいいようだが、水はたとえ湖心でなくとも、絶対に鑑湖の水でなければならず、「鑑湖の水なくして、紹興酒なし」とまで言われているほどだ。

紹興酒には、状元紅、花雕、加飯、善醸、香雪など種類が豊富で、甘口のものもあれば、辛口のものもあり、アルコール度数は16~18度。日本酒よりやや強く、おかんをして飲むと殊の外おいしい。また、紹興地方に「女児紅」というのがあって珍重されているが、これは、女の子が生まれた家庭で、親が「花雕」をかめに入れて地に埋め、娘の嫁入りの祝いに使う酒である。少なくとも十数年から20年経過しているため、コクがあって喜ばれている。そこで思い出したのが、1950年代から70年にかけて「民間大使」として北京に在住していた西園寺公一氏の話。

「戦争前に祖父が中国の要人から贈られたという70年の紹興酒を飲んだことがある。よく枯れていて、しかも、あんなに豊かな、深みのある味と、香りはなかなか得がたいものである」

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