豪放磊落の人・陳毅副総理

2018-06-19 15:17:15

 劉徳有=文  

 陳毅副総理の豪放磊落は有名である。

 1960年、安保闘争の高まりの中、野間宏氏を団長とする日本文学者代表団の一行が中国を訪れた。亀井勝一郎氏、松岡洋子氏、竹内実氏、開高健氏、大江健三郎氏、白土吾夫氏という大変な顔ぶれだった。6月6日、国務院の執務室の応接間で一行と会見した陳毅副総理の話に、私は通訳をしながら、大きな感銘を受けたのを今でも覚えている。いかにも闊達で、時にはユーモアを交え、しかも中国人の言いたいことを歯に衣を着せずズバリと言ってのけた。

 「日本人民の全国的な日米安保反対闘争は幾度も高まりを見せており、この状況を目にし、正直言って自分は日本人を見直しました。これで、日本人に安心しました」と言って、陳毅副総理は言葉を続けた。

 「皆さまは文学者です。ですから率直に申し上げますが、過去長い間、日本人は実に中国人に対して傲慢な態度をとってきました」

 この発言を聞いた亀井氏が、自著『中国の旅』に、「抗日戦争を指導してきたこの将軍は、おそらく自分の過去をふりかえって、日本人を徹底的に憎悪した日を思い出していたにちがいない」と書いているのを、読んだことがある。

 「しかし、全てが過ぎ去りました。過去のことは水に流しましょう」

 そのとき陳毅副総理が言った中国語は、「過去的事情就譲它過去吧」だった。直訳すれば、「過ぎたことは過ぎたことにしよう」の意味であるが、どうも翻訳臭いので、いつだったか先輩に「水に流そう」という「日本語らしい」表現にしたらと言われたのを思い出して、「水に流そう」(中国語で「付之東流」)と訳した。今にして思えば、この訳は必ずしも適訳といえないかもしれない。

 野間団長は、この「水に流そう」という通訳の言葉を受けて、

 「われわれ日本人としては、過去の中国への侵略戦争の責任がある以上、それを忘れることはできず、水に流すわけにはゆきません」と述べた。

 陳毅副総理はハタと膝を打って、「その通り! そう言っていただくとありがたい。われわれは、過ぎたことは過ぎたことにしようと言い、あなた方は過去のことを忘れないと言う。そこで両国民の間に本当の友情が生まれるのです。もし、われわれがいつまでも日本を恨み、あなた方日本人が中国に与えた損傷をあっさり忘れるとしたら、中日両国はいつまでたっても仲良くなれないでしょう」と言った。

 「前事を忘れず、後事の戒めとする」とはまさにこのことではないだろうか?

 陳毅副総理の話は率直であり、またなんと感動的なことか。

 あの戦争の中で、日本軍の軍靴に踏みにじられたのは、紛れもなく中国の大地であり、日本軍に殺害蹂躙されたのは紛れもなく中国の民衆である。誰が加害者であり、誰が被害者であるかははっきりしている。もちろん、日本の善良な一般の人たちも、あの戦争の中で犠牲を強いられ、苦しみをなめさせられたこともよく知っている。日本の善良な人々は、被害者に対しては謝罪すべきであると主張しているが、しかし、日本の今の為政者は日本が加害者であったことを認めたがらず、過去の侵略や植民地支配については口をつぐみ、「学問的に『侵略』についてまだ定論がない」などと言い、むしろ自分を“被害者”に見立てようとさえしている。

 長年、日中文化交流に携わってこられた白土吾夫氏が、第2次世界大戦終結50周年に中国へおいでになり、語った次の言葉が忘れられない。

 「日本が起こした中国侵略戦争に対して……日本は中国におわびすべきです。しかし、残念ながら、日本の政界のごく少数の者は侵略の歴史を美化しようとしています。この人たちと闘わなければなりません。日本人はまず自分が加害者であることを認識すべきです。確かに日本は原爆の被害を受けました。しかし、なぜ被害を受けたかを考えるべきです。日本が先にあの戦争を発動したからそうなったのです。われわれは自分たちが加害者であることを認めるのが前提です」

 陳毅副総理が日本の友人に言わんとされたのは、加害者が他人に害を加えた責任を忘れないという態度をとって初めて、被害者は受けた傷を癒やすことが可能であるということではないだろうか? ある意味で、これは人間同士の交わりのモラルであり、歴史問題に対する正しい態度でもあると思うが…。

 あのときの会見の中で、陳毅副総理はさらに当時米国が中国を封じ込め、国連における中国の合法的権利の回復を妨害していることに触れた。『孟子』の言葉を引きながら、中国にとって「外患」の果たす役割の重要性について語った。

 「……敵国外患無き者は、国恒に亡ぶ。然る後に憂患に生じて、而して安楽に死することを知るなり」(「……無敵国外患者,国恒亡。然後知生於憂患,而死於安楽也」)

 一口で言うと、「外患なければ、国危うし」ということである。当時の中国は、米国を最大の外患とすることによって、国内の体制の強化に力を入れていた。米国の果たしていたのは、ほかでもなく、中国人民の抵抗と団結をいっそう強めるという反面教師の役割であった。

 このことを強調した陳毅副総理の言葉がいまだに記憶に新しい。

 陳毅副総理のこの会見について、亀井勝一郎氏は後日『中国の旅』の中で、次のように述べている。

 「孟子の言葉を引用したことが、私には興味深かった。アメリカ帝国主義の台湾軍事基地化は大きな外患である。(中略)その時期での最大の外患を設定することによって国内の体制を強めようといふのだ。中国流に言ふなら、アメリカ軍が台湾にゐることは、思ふつぼなのだ。なぜなら中国人民の抵抗と団結をいよいよ強めるための、それは『反面教員』の役割を果たしてゐることになるからである。」

 「『反面教員』といふ言葉も中国へ来てはじめて聞いた言葉だ。悪い実例を示すことで、逆に生徒を覚醒させる教師のことで、自分たちを抑圧し攻撃するその敵が、逆に自分たちを教育し、抵抗力をつよめてくれるといふ意味である。日本軍の中国侵略によって、中国人は団結し、革命を成功させることが出来たといふ筆法である。」(旧仮名遣いは原文による)

関連文章