贛江に映る滕王閣の輝き 辛香漂い龍舞い踊る水都
「落霞与孤鶩斉飛、秋水共長天一色(低く落ちかかる夕焼け雲と共にただ一羽の水鳥が飛ぶ 秋の水は果てなく遠い空と一色に連なる)」。1400年以上前、唐代の詩人・王勃が筆を振るってつづった『滕王閣序』の一節は、贛江の夕暮れを中国の高校の国語教科書に刻み込み、多くの人々が贛江のほとりにある楼閣とそれが守る町・南昌の存在を初めて知るきっかけとなった。
南昌は、古くは豫章、洪都と呼ばれ、2200年以上の歴史を持つ町だ。ここには千年の名楼と漢代の遺宝という歴史の厚みがあるだけでなく、「拌粉」(あえビーフン)と「瓦罐湯(陶製つぼ煮込みスープ)」という、熱気あふれる日常の営みもある。
先月号では婺源の古村で石畳を散策し、田園詩画のような静寂を味わった。今月号の「美しい中国」では江西省の省都・南昌を訪れ、贛江の水流の音と町の生活の息遣いの中で、歴史と現代が熱烈に交差する様を体感する。
光と影が織りなす古今の対話
「四方を緑の樹木と水に囲まれ、町じゅうに樟樹と湖が広がる」という描写は、南昌の自然環境を的確に表している。西に西山を抱き、北に梅嶺を望み、贛江が町を貫いて流れる。中国最大の淡水湖・鄱陽湖が町の北端に翡翠のように輝き、数百の大小さまざまな湖が点在し、生命あふれる緑地を育んでいる。
毎年晩秋から初冬にかけて、数十万羽の渡り鳥が鄱陽湖に飛来し越冬する。羽ばたきが空を覆い、波のように空から湖面へと流れ落ちる。夏になると、贛江沿岸の「両湾七灘」と称される9カ所の天然の水場は市民の避暑地となり、金色の砂浜には子どもたちの歓声が響き渡る。水は町の心臓部をつなぐ大動脈のように、ここに生きる全ての生命に絶え間なく活力を送り続けている。
贛江を舟で巡る水上観光は、町の機微を感じ取るための旅だ。汽笛を響かせ、遊覧船「滕王閣号」が秋水広場埠頭から静かに出航した。西岸には、ネオンが輝き高層ビルが林立する紅谷灘新市街が広がり、現代都市の活力が迫ってくる。東岸には、古雅で雄大な滕王閣が暮色の中に静かにたたずみ、反り上がった軒先が空の輪郭を描く。滕王閣の前で写真を撮る漢服姿の観光客や、川辺を散歩する市民の姿が、この古今融合の絵巻に生き生きとした息吹を加えている。

鄒世傑さん(21)は、南昌の大学生だ。授業のない夕方に川辺を散歩するのが習慣になっている。南昌で学び始めて3年、滕王閣は当初の「観光スポット」から、次第に身近な存在へと変わった。彼によれば、昼間の滕王閣は雄大で、まさに「盛唐の気風」を感じさせるものの、最も心に響いたのは日没後の光景だった。
「一番印象的だったのは、ライトアップされた滕王閣を初めて見た夜です」と、彼は赤いはりと緑の瓦が目立つ楼閣を見つめながら振り返る。「まるで建物全体が突然『生き返った』かのようで、言いようのない衝撃を受け、思わず川辺に長い間立ち尽くしてしまいました」
夜のとばりが降りると、滕王閣は緑色とオレンジ色が交じったライトに包まれ、視覚の供宴が幕を開ける。両岸の600棟以上のビルを連動させた巨大LEDスクリーンが一気にともり、「きらめく現代の光」と「輝く古楼の影」が川面で見事に溶け合う。ライトショー「一江両岸」は船旅のハイライトであり、「世界最多の建築物が参加する固定型音響ライトショー」としてギネス世界記録に認定されたこともある。光と影は音楽に合わせて形と色を絶えず変え、時に滕王閣の軒先のシルエットに、時に鄱陽湖を舞う渡り鳥のアニメーションに変化する。古典音楽に現代の電子音響が加わり、ビルの壁面は動く水墨画と化し、流麗な筆致の詩句が光の文字となってビル群を流れていく。波の上を船で進むと、まるで時空を超えた対話を見届けているようだ。
千古の駢文と漢代の遺宝
天才詩人による驚天動地の名作
南昌の歴史の流れをゆったりと感じたいなら、水上遊覧の他に、陸路で観光バス「王勃号」を利用する方法もある。
「チリンチリン」という澄んだ音と共に、古風に飾られた観光バスが停留所にゆっくりと入ってくる。「こんにちは! 『王勃号』へようこそ」。車内では、運転手が「王勃」に扮し、青い広袖の唐代の衣装をまとい、ハンドルを握る姿さえもどこか古風な趣を漂わせている。車内の壁には王勃の生涯を記した掛け軸が飾られ、ガイドは竹簡のような形の説明板を持ち、王勃が筆を振るって賦をしたためた歴史上のエピソードを詳しく紹介する。
穏やかで優しい解説の声に包まれながら、「王勃号」は滕王閣前にゆっくりと停車する。「江南三大名楼」の一つに数えられる雄大な建築物を仰ぎ見ると、王勃と滕王閣にまつわる古い逸話が聞こえてくるようだ。
唐・高宗の上元2(675)年の重陽節の日、洪州都督の閻公が滕王閣改修完成を祝い、大宴会を催した。当初は娘婿の呉子章に序文を書かせて名を上げようと計画していたが、宴席にいた若き旅人・王勃がその場で筆を執った。閻公はその作品を見て「これぞ真の天才、不朽の名作となるだろう!」と感嘆した。この即興の作品こそが、「千古第一の駢文(中国古代の詩的な散文。華麗な修辞、対句と音韻の美を重んじる文章の様式)」とたたえられる『滕王閣序』だ。全文わずか773字でありながら37の典故を含み、「人傑地霊」「萍水相逢」(赤の他人と偶然に巡り合う)など40以上の成語を生み出し、今もなお中国人の言語生活に息づいている。伝説によれば、『滕王閣序』を書いた翌年、王勃は27歳で不幸にも水死した。この雄文は、彼の人生の最後を飾る作品となったのである。
この千古の雄文を「生き返らせる」ため、滕王閣観光エリアでは「『滕王閣序』全文暗唱で入場料無料」キャンペーンを継続している。今年初頭までに、幼児から高齢者まで幅広い年齢層の13万人以上が暗唱に成功した。同エリアのスタッフは感嘆して言う。「この前、山東省から来た2歳半の子どもが、こんなに難しい文章を一字も間違えずに暗唱したんですよ。本当に『チャガ』(南昌方言で「すごい」)です!」
滕王閣に登り、遠くを見渡せば、巣に帰る鳥たちが、落陽の余韻が残る空を飛び交い、夕焼けが川面に金色のきらめきを投げ掛けている。教科書の文字、千年前に王勃の目に映った光景が、瞬時に生き生きとした画面となり、眼前に躍り出てくる。
再び日の目を見た「地下宝庫」
贛江のほとりに息づく文化の系譜は、詩詞に刻まれているだけでなく、この大地の奥深くにも眠っている。2011年、市街地北部の紫金城遺跡で、画期的な考古学発掘が行われ、伝説的な漢代の貴族――海昏侯・劉賀の物語が、2000年の眠りから覚めた。
劉賀の人生は激動に満ちていた。5歳で山東で王位を継ぎ、19歳で権力者・霍光に擁立されて皇帝となるが、わずか27日間で1127もの罪状を突きつけられて廃位されたため、史書では「漢廃帝」と呼ばれる。29歳で海昏侯に封じられ、南昌に移され、33歳で失意のうちに世を去った。11年、その墓が発見され、考古学的発掘が進むうち、数万点に及ぶ貴重な文化財が世間を驚かせた。
墓園から出土した文化財の豊富さは、まさに地下の宝庫と呼ぶにふさわしい。金製品は115㌔に達し、馬蹄金(馬のひづめに似た金塊)、麟趾金(麒麟の足を模した金塊)、金餅などが含まれる。五銖銭は約200万枚、重量は10㌧以上。さらに大量の青銅器、玉器、漆器、木器、そして重要な歴史を記した竹簡・木牘も出土した。これらの器物は、漢代貴族生活の豪華さの極致を示すだけでなく、「酎金制度」(諸侯が封国の人口に応じて皇帝に黄金を納め、祭祀の費用に充てた制度。諸侯の忠誠心を確認し、その勢力を抑制することを主な目的とした)などの漢代の政治経済制度を明らかにし、その歴史的価値は金銀自体の価値をはるかに超えている。

これらの宝物を一日も早くよみがえらせるため、南昌漢代海昏侯国遺跡博物館の文化財修復室では、修復師たちが日夜、時間との対話を続けている。
修復師の王雨夕さん(28)は、チーム最年少メンバーの一人だ。デスクライト、数本の筆、数袋の顔料、それに粉末と紙やすりが、彼女が毎日使用する道具である。彼女は慎重に筆を執り、漆器の盆に色を補っていく。「一番難しいのは色合わせです」と静かな声で説明する。「新しく補った色漆を文化財の元の色に限りなく近づけるには、時に何百回も調整を繰り返す必要があります。これは単なる技術ではなく、古人の審美眼との隔世の交流のようなものです」
修復師たちのほとんどは、修復に不可欠な生漆にアレルギー反応を示す。王さんの作業台には、皮膚炎の治療薬が常備されている。「これは決して機械に取って代わられることのない仕事です」と彼女は言う。「一つの文化財の修復を終えたとき、全ての苦労は達成感と幸福感に変わります。私はこの仕事が大好きです。微力ながら、地中深くに埋もれていた貴重な文化財に新たな命を吹き込むお手伝いができればと思っています」
舌に宿る熱と指に宿る技
町に息づく熱く辛い日常
南昌の人々の一日は、たいてい1杯の辛い「拌粉」と、温かく煮込まれた「瓦罐湯」で始まる。梅嶺の麓で17年間、龍さんが営んできた拌粉の店は、この界隈で「老字号」(老舗)として知られている。
「ジュージュー」という音と共に、白いニンニクのみじん切りと鮮やかな赤い唐辛子が油の中で強烈な香りを放ち、路地の朝を目覚めさせる。「ビーフンは冷水で二度締めしてこそコシが出るんです」と、龍さんは手際よく作業しながら説明する。
「タレが命です。生抽(薄口醤油)でうま味を引き立て、老抽(濃口醤油)で色付け、米酢で食欲をそそり、さらに甜麺醤とオイスターソースを半勺ずつ加えます」。テーブル際の腰掛けに座り、ビーフンをすすりスープを飲めば、湯気の立つ熱々の一日が始まる。
なめらかな「拌粉」が口に入ると、最初に味蕾に触れるのは表面の濃厚なタレの風味だ。ビーフンの上に散りばめられた大根の漬物が食感に心地よい歯応えを加える。続いて、弾力あるビーフンとほのかな甘みの米の香りが、辛味を若干和らげる。さらに、瓦罐(陶製のつぼ)でとろ火で長時間煮込まれた卵とミンチ肉のスープを一口飲めば、ほのかな灼熱感の後、温かな汁が口中の辛味を溶かし、胃へと流れ落ちる心地よい爽快感をもたらす。

江西は山と水に恵まれ、地元の人々は湿気を払うために辛いものを好んで食べる。しかし江西料理は辛味だけではない。昼下がりの大士院、万寿宮などのエリアは活気に満ち、さまざまな屋台が道端に並ぶ。蜂の巣状の「白糖糕」は黄金色に揚げられ、粉砂糖をまぶされ、柔らかく甘い。梅の花の形をした「冰糖糕」はふっくらと弾力があり、キンモクセイのジャムをかけられ、甘すぎずあっさりしている。ぷっくりと「金魚」のように膨らんだ「泡ワンタン」は皮が薄く具がたっぷりで、のりと干しエビが香ばしい。辛いものが苦手な人も、本場の「南昌の味」を楽しむことができる。
日が暮れて街灯がついても、南昌の活気は夕焼けと共に消えることはなく、夜のとばりと共にさらに濃厚になる。広場では、舒新華さん(71)と友人達が、熱意のこもった広場ダンスを終えたところだ。彼女はこの町で生まれ育ち、今や古稀を超えた。20年来、雨の日も風の日も欠かさず南昌の公園や広場に通い、無償で広場ダンスを教えてきた。
「毎日、親友とここでダンスをしています。体も鍛えられるし、おしゃべりも楽しめるんです」。ダンスの後、舒さんはよく友人達と近くの夜食屋台に行き、ザリガニの辛味炒め、タニシの炒め物、レンコンの辛味あえなどを注文する。「子どもの頃、学校が終わると、校門の前でおばあさんたちが小さな屋台を出して、このような唐辛子あえのレンコンを売っていました。1分(0・01元)で2切れ、香ばしくて辛くて歯応えがあり、今でも手頃な価格でおいしいんです」。昔を思い出し、舒さんは南昌の変化の速さに感慨を覚えつつも、「唯一変わらないのは、おいしい食べ物が人々の心に与える温かさと慰めですね」と語った。
世界へ飛び出した龍灯
南昌の生活の息吹は、路地裏の食卓に漂う香りだけでなく、祝祭のときにきらめく龍灯の光の中にも輝いている。南昌市青雲譜区城南村の龍舞の歴史は700年以上に及ぶ。地元の人々にとっては、毎年春節(旧正月)に太鼓やどらの音が鳴り響き、龍灯が登場すれば、それだけで十分に新年の雰囲気が盛り上がる。
「一点、額にともせば、国泰らかで民安らぎ(10)業栄える。二点、眼にともせば、瑞雪豊年の良き世の景色。三点、口にともせば、五穀豊穣で年々良し……」。旧正月の元日、歓声と共に村で徳望の高い老人が龍灯に「点睛」(瞳を入れる儀式)を施すと、城南村の龍舞隊が、威勢よく出発し、家々を巡って村民に新年のあいさつをする。
史克濱さんの父親は龍舞隊のベテランであり、その影響で彼は幼い頃から龍灯作りに親しんできた。最初の「腰掛けを連ねた龍」から、「布製の龍」「明かりをつけた龍」、そして現在の軽量な「彩帯龍」まで、彼は繰り返し改良と革新を重ね、この「中国の龍」を世界へと送り出してきた。米国のチャイナタウン、フランスの旧正月の祝祭、エジプトのピラミッドの前でも、城南龍灯の姿を見ることができた。2020年の旧正月前、南昌市と日本の高松市の友好都市提携30周年を記念し、城南龍灯の龍舞隊は、現地で開催された「歓楽春節in四国」文化交流イベントに参加した。そして、その日に舞った龍灯を日本の友人に贈呈し、熱烈な反響を呼んだ。 「城南龍灯が友情の懸け橋となり、世界中の人々がそれを通じて中国文化に関心を持ち、理解し、好きになってくれることを願っています」と史さんは期待を込めて語った。
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