花と刺しゅう彩る高原の都 約束の湖畔で渡り鳥と再会
「天気常如二三月,花枝不断四時春(天気はいつも旧暦の二、三月のようで、花は四季を通じて、一年中春のように咲き続けている)」――この古詩は、雲南省の省都・昆明の姿を描いている。
雲貴高原中部に位置する昆明は、標高約1900㍍にありながら、冬の寒さもなければ夏の暑さもなく、年平均気温は15度前後に保たれ、「春の町」や「花の都」として知られている。ここでは毎年冬に渡り鳥の奇観が見られ、一年中花が咲き乱れる。古くから輝かしい文明がこの地で自由に育まれてきた。
今月号の「美しい中国」では、「常春」の昆明で、ロマンチックで詩的な旅を繰り広げる。
滇池が紡ぐ物語
昆明市の南西に位置する滇池は、雲南省最大の淡水湖であり、「高原の真珠」とも称される。湖面は広大で碧波が揺らぎ、湖畔はオギの花が舞い、緑に囲まれている。多くの人々が、毎年冬に約束を果たすように訪れる「白い精霊」との出会いを求めて、ここを訪れる。
ユリカモメと冬のソナタ
夜明け前、滇池の湖面は青白いもやに包まれている。さざ波が海埂大壩(堤防)に静かに打ち寄せる音と、朝の光の中で次第に増えていく足音とが重なり合う。人々は手にカモメの餌を持ち、湖に向かって長く呼び掛ける。すると瞬く間に、何万羽ものユリカモメが水面から飛び立ち、空に流動する白い網を織り成す。シベリアから来訪するこの白い精霊たちは、昆明と41年にわたり途切れることのない冬の約束を結んでいる。
人混みの中、ボランティアベストを着た「カモメ兄さん」こと張利雲さんの姿がひときわ目を引く。10年以上もの間、カモメシーズンの毎朝7時きっかりに、彼は王官湿地に姿を現してきた。「彼らはもう私の声とベストに慣れているんです。私が声を出すと、この小さな精霊たちは皆、滇池の湖面から私を探しに来ます」。彼がカモメの餌を空中にまくと、ユリカモメたちはすぐに彼の周りで優雅に舞い踊り、羽音と鳴き声が交互に響き合う。
観光客は地元の人々をまねて、餌を手のひらに載せる。すると、大胆なユリカモメが空中からさっと舞い降り、軽くついばんで取っていく。ほんの一瞬、小さな爪がひんやりとした感触を手のひらに残す。この種を超えた信頼関係は、一日で築かれたものではない。1985年にユリカモメが初めて大群で昆明に飛来して以来、この町は絶え間ない保護活動を行ってきた。保護に関する通告の発表から専用の餌の基準づくりまで、また人手による個体数調査からAI(人工知能)モニタリングまで、昆明は2世代にわたる温かい保護活動で、はるばるやって来る「遠来の客」の信頼を勝ち取ったのである。
近年、毎年ここで越冬するユリカモメの数は約4万羽で安定している。彼らはモンゴルのウブス湖やロシアのバイカル湖などから6000㌔を旅し、一年中春のようで、生態的に住みやすい昆明を越冬地として選ぶ。
3月になると、一部のユリカモメの頭部は黒く変わり、「黒いベール」をまとう。これは前年に生まれた幼鳥が成鳥になった印で、まもなく北上して繁殖することを意味する。3月中旬からユリカモメの旅立ちが始まり、4月中・下旬には、冬の間じゅう続いた交流が一旦幕を閉じる。滇池のほとりに集まった人々はユリカモメとの別れを惜しみ、次の冬の再会を約束する。
湖を守る人々
滇池のほとりの緑の遊歩道を進むと、片側にはきらめく湖面、もう片側には風に揺れる葦原が広がる。サイクリング愛好家がメタセコイア林を抜け、数羽の白鷺を驚かせる。朝ランを楽しむ人々は展望台で足を止め、朝日を受け金色に染まった湖面をスマートフォンに収める。滇池を一周するこの生態回廊は、昆明市民にとって朝の散歩やサイクリングの名所となっている。
草海地区の桟橋では、60代の李雲麗さんと彼女の「女性清掃隊」がすでに一日の仕事を始めている。小さな舟の上で、彼女たちは手にした網ですばやく水面をすくい、浮かんでいる枯れ枝や落ち葉を拾い上げる。一見単純なこの仕事を、彼女は30年以上も続けている。
80年代、人口増加と都市化の進展に伴い、滇池の生態環境は一時悪化した。子どもの頃から滇池の近くで育ち、漁師になった彼女は、かつて澄んでいた湖が汚染されていくのを見て胸を痛めた。88年、彼女は漁船を清掃船に改造し、村の女性数人と共に滇池で自主的に水草やごみなどの清掃活動を始めた。
30年以上が経過し、滇池の様相は静かに変化を遂げた。整備プロジェクトの推進に伴い、滇池の水質は持続的に改善されている。日増しに繁茂する植物と次第に増える水鳥が、この緑地の回復を証明している。
「清掃隊で数十年活動してだいぶ日焼けしましたが、ここ数年、滇池の水質が良くなって仕事が減り、肌も少し白くなりました」と李さんは笑う。清掃船の影が澄んだ水面に映り、湖と山の景色と一体となっている。人と自然が調和して共生する物語は、今日もこの町の至る所で繰り広げられている。
春の町の花模様
白いカモメが羽ばたいて北へ帰っていく頃、春の町には別の色彩が静かに咲き誇る。
4月の昆明では、ジャカランダが咲き乱れ、街路は青紫に染め上げられる。花で飾られたバスが教場中路をゆっくりと走り抜け、窓からのぞく花枝が風に軽く揺れ、道に芳香を漂わせる。早朝の篆新農貿市場では、露を帯びたエニシダの花や苦刺花(雲南省特有の白い花)が新鮮な野菜と共に店先に並び、買い物かごを手にした主婦たちが慣れた手つきで選ぶ。街角にある花いっぱいのカフェのテラスでは、若者がノートパソコンに向かいながら、ローズティーの温かな香りを楽しんでいる。

花の香りが染み込んだこの町では、昔から伝わる「花は四季を通じて、一年中春のように咲き続けている」はもはや詩句ではなく、日常の光景なのである。
花のオークション
昆明で最も美しい花を見たければ、滇池の東岸にある斗南を訪れるのが良い。夕日が空をオレンジ色に染める頃、斗南花市場は一日で最も沸き立つ瞬間を迎える。三輪車や小型トラックが摘みたての花を市場に運び込み、瞬く間に流れる花の海と化す。空気中にはバラの甘い香りとユリの清涼な香りが交じり合う。店主は手際よく新聞紙で花束を包む。観光客はヒマワリの花を抱え、「地元では花を1本単位で買うけど、ここでは量り売りだ!」と笑う。
観光客とは異なり、プロの買い手は直接、競売場へ向かう。
午後2時、斗南花市場にある昆明国際花競売取引センターでは、900の取引席がほぼ満席になる。競売が始まると、スクリーン中央の電子取引表示板で最高競売価格からカウントダウンが始まる。カーソルが回り、価格が下がっていく中、最初に価格競争ボタンを押してカーソルを止めた買い手が購入資格を得る。ここで採用されているのは「ダッチ・オークション(競り下げ型オークション)」で、1件の取引が完了するまでの平均時間はわずか4秒だ。全国各地から集まった花商人たちは指をボタンにかけ、スクリーンを凝視し、経験と手際の良さで気に入った花を「奪い合う」。統計によると、斗南では年間100億本以上の生花が取引され、中国市場で流通する生花10本のうち7本がここから出荷されているという。
畑からショーウインドーへ
斗南の伝説は、1983年の春に始まった。村人の化忠義さんが広東省からグラジオラスの球根1袋を持ち帰り、自家菜園のうち0・3ムー(約200平方㍍)の土地を使って育ててみた。化さんの娘、化俊華さんは父の代わりに初めて花を売ったときの光景を覚えている。「花をバケツに挿し、自転車に縛り付けて町まで売りに行ったら、100元も売れました。当時の父の給与のほぼ1年分に相当しました」。この試みはチョウのはばたきのように、斗南を菜園から花の海へと変貌させる引き金となった。90年までに、村ではほとんど全員が花を栽培し、各家庭が花を売るようになった。
90年代生まれの畢茜茜さんは斗南の花農家の3代目だ。2020年の春節、新型コロナウイルス感染症の影響で家の花の販売が滞った彼女は、スマホでライブ配信を試みた。「ご覧ください、この『ストック』の花びらはベルベットのような質感で……」。専門的な説明で、彼女は1時間で20万本を売り上げる記録を打ち立てた。現在では彼女の配信ルームは「オンライン花畑巡り」の窓口となり、視聴者は収穫時間まで指定できるようになっている。
畑から摘み取られた花は「専用座席」――全行程において快適な温度環境が保たれた低温物流車に乗って空港へ向かい、翌日には北京のショーウインドーに登場するか、あるいは日本、タイ、ロシアなど世界各国の市場へと運ばれていく。
春の息吹を食す
花と共に絶え間なく各地へ運ばれるのは、食用花で作られた菓子や花茶などだ。昆明の人々の春夏秋冬の食卓で、花は季節ごとの主役の座を譲らない。
朝5時、花農家は食用バラの摘み取りを始める。朝露に濡れた花びらは香りが最高に引き立ち、雲南を代表する菓子「鮮花餅」作りに最も適している。熟練の職人たちは、バラの花びらに黒糖と蜂蜜を加えて揉み、発酵させ、36層にも重ねたパイ生地で包んで焼き上げる。「生地は薄くても型崩れせず、あんは甘くてもくどくない」と30年のキャリアを持つ職人は語る。斗南の鮮花餅は、訪れた人が必ず手にする「味わいの定番土産」となっている。焼き立てを二つに割れば、サクサクの皮がぱらぱらと落ちる。ふっくらとほのかに甘いバラあんには、花びらのかすかな食感が残り、一口頬張れば、花の香りと小麦の風味が相まって、口いっぱいに春の息吹が広がる。
現地の人々の花を食す知恵はこれだけにとどまらない。エニシダの花入り卵焼きはきつね色で柔らかく、バナナの花のスープはこってりした味をさっぱりと清め、菊の花を鍋にすれば爽やかな風味が加わる。花を料理に入れる習慣は、四季折々の恵みを食卓に昇華させる雲南独特の食哲学に根差しており、花をこの土地の生活に欠かせないものへと高めている。
受け継がれる無形の美
花が大地からの贈り物ならば、無形文化遺産は生活が育んだ知恵だ。雲南の田畑には一年中咲き誇る花だけでなく、長きにわたって息づく民俗や無形文化遺産も育まれている。昆明市禄勧イ(彝)族ミャオ(苗)族自治県では、イ族の刺しゅう職人たちの舞うような指先が、もう一つの景色を静かに織り成している。
針が刻む歳月の詩
糸をすくい、通し、引き、かけながら、平縫い、包み縫い、巻き縫いを重ねていく。色糸がひらひらと舞う中、星や草木の姿が、藍色の布地に次々と縫い出されていく。
70代の游定美さんは糸を操り、流れるような線を描く。歳月を刻んだその手の動きは、若者にも引けを取らない。
禄勧のイ族刺しゅうは1000年以上の歴史を持ち、雲南省の無形文化遺産に指定されている。禄勧で生まれ育った游さんは、幼い頃から刺しゅうに親しみながら育った。母親は地域で評判の文様描きと刺しゅうの名人だった。

家が貧しく紙や筆を買うお金がなかった若い頃、游さんは昼は家の仕事を手伝い、夜はかまどのそばで明かりを借り、木炭でかまどの石に繰り返し刺しゅうの文様を練習した。間違えれば手で拭いて描き直し、長年描き重ねるうちに、硬いかまどの石は鏡のように滑らかになるほど磨り減ったという。
十代のとき、游さんの刺しゅうの腕はすでに村で評判になっていた。刺しゅう作品を仕上げるため、ランプの下で夜を徹することも珍しくなく、針が指に刺さっても意に介さなかった。「美しい完成品を見ると、とてもうれしく、満足でした」。技術への取りつかれたような思いによって、彼女は過酷な環境の中でも確かな刺しゅう技術を磨くことができた。
技術を磨くため、游さんは村から村へと渡り歩き、民間に散らばった古い縫い方を一つ一つ記録し、継承の上に絶えず創造を加え、次第に65種類の縫い方、80種類以上の文様の刺しゅうの制作法を会得した。文様を現代の審美観に合わせるため、本を参考に絵画も独学し、さまざまな民俗儀礼や民間行事の儀式図案を自身の刺しゅう作品に込めた。
ここ数年、游さんの足跡は日本、ドイツ、メキシコなど8カ国に及んでいる。彼女は常にイ族の刺しゅう衣装を身にまとい、自信と誇りを持って自民族の物語を伝え、一針一針、イ族の文化を世界に静かに「縫い出して」いる。現在、高齢になった彼女は依然として教育と伝承の第一線で忙しく、若い弟子たちが手で糸を翻すのを見つめる彼女の目には、少女の頃、かまどのそばで文様を練習したときと同じく、熱く躍動する光が宿っている。
屋根の上の「守り猫」
かまどの炊煙がゆっくりと田舎の古い家屋の軒先を伝い、屋根の上に行儀良く座っている「瓦猫」を包み込む。この陶土で焼き上げられた小さな獣は大きく口を開け、頭を高く上げて大棟の中央にうずくまり、体にはほこりが積もっているが、なお威厳を漂わせている。雲南の村里では、かつてこのような光景が至る所で見られた。
瓦猫は、名前は「猫」だが、実際には虎を原型としている。雲南の民間において屋根の棟や門の上部に取り付けられる鎮宅の神獣で、四方の邪気をのみ込み、家屋の安泰を守るとされる。その歴史は2000年以上前の秦・漢時代までさかのぼることができる。

昆明市古滇路の角にある小さな博物館で、無形文化遺産・瓦猫の昆明市級代表的伝承者である張航さん(33)が作業台の前に座り、陶土を丹念に彫り上げている。2012年、雲南芸術学院の民間芸術の授業で、彼は初めて瓦猫に出会い、その自由奔放な芸術形式に一瞬で魅了された。それ以来、旧市街の市場や工事現場に足を踏み入れ、瓦猫の跡を探すことが彼の生活の重要な一部となった。
瓦猫を真に理解するため、張さんは雲南省の多くの古村落を訪れ、古い瓦猫の実物と映像資料を収集した。あるフィールドワークで、彼はほとんど人が住まなくなった古い村まで車で向かい、廃屋の前で門の上に立つ1体の瓦猫を発見した。車のルーフに乗って取り外して保存しようとしたが、何度やってもうまくいかなかった。数日後、再びそこに戻ってみると、古い家はがれきと化し、あの瓦猫もまた消えていた。
「家が倒れ、壁が崩れても、瓦猫は依然として家の一部なのです」と張さんは感慨深げに語る。「それは土から生まれ、人と家を守り、最終的には土に還るのです」
この出来事は、古い家屋が次第に消失し、瓦猫の「家」が減りつつあること、伝承がますます追い詰められていることを彼に強く認識させた。
張さんが19年に設立した「心房瓦猫博物館」には、雲南各地から集められた700体以上の瓦猫が所蔵されている。博物館の展示棚には、瓦猫たちが静かに並び、あるものは威風堂々と猛々しく、あるものは愛嬌たっぷりで、あるものは頭頂に「王」の字を戴き、あるものは胸前に八卦を抱えている。
瓦猫を現代生活に溶け込ませるため、張さんは瓦猫の姿勢を調整し、頭と体のバランスを変え、ミニ瓦猫の置物、茶玩(茶席の玩具)、香立てなどの文化クリエーティブグッズを開発した。また、無形文化遺産体験講座を開講し、学生や観光客に瓦猫制作を指導している。「古い家が倒れ、かつての屋根がもう存在しなくとも、瓦猫が『心房』に飛び乗って、人々の心に歩み入る。それが私の答えです」
夕日が西に沈み、博物館の展示棚で、一体一体の瓦猫が夕映えに長い影を落とす。彼らはかつて屋根の上に立ち、家屋を守った。今は机の上に静かに立ち、茶や書物に囲まれながら、生活に対する人々の美しい思いを守り続けている。
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