鳳凰古城・茶峒・芙蓉鎮 名作生んだ山里を訪ねて

2026-09-23 17:01:00

湖南省西部、武陵山脈の奥地に位置する湘西トゥチャ(土家)族ミャオ(苗)族自治州は、湖南省・重慶市・貴州省の三地が接する山あいに静かにたたずむ。ここは作家・沈従文が生涯思いを寄せた故郷であり、トゥチャ族とミャオ族が代々共に暮らしてきた、昔ながらの自然と文化が残る土地でもある。沱江だこうが町を貫く鳳凰古城では、手仕事で受け継がれてきた無形文化遺産のぬくもりに触れられ、5日に一度開かれる禾庫ヘークーの市には、山の幸と色鮮やかな民族衣装があふれる。三地の境にある茶峒には、文学作品に描かれた穏やかな水郷の風景が残り、徳夯ドーハン大峡谷では切り立った山々が雄大な景観をつくり出す。滝と共に生きる芙蓉鎮では、高床式木造家屋「吊脚楼ちょうきゃくろう」の町並みに、トゥチャ族の踊りや山里の味覚が溶け込んでいる。さらに、森に抱かれた老司城遺跡と里耶古城には、中国西南部で多民族が交わりながら築いた長い歴史が刻まれている。そんな大自然と悠久の時が息づく湘西を訪ねてみよう。 

川面に映える古城、 町に息づくミャオ族の技 

「青い山が古城を包み、澄んだ川が町を巡る」。湘西最南部にある鳳凰古城は、明代に築かれた。明・清時代の民家が120棟余り良好な状態で残り、「中国で最も美しい小さな町」の一つと称されている。町の背後にある山の稜線が翼を広げた鳳凰に似ていることが、その名の由来だと伝えられる。町は沱江に沿って広がり、水辺には木造の吊脚楼が張り出す。重なり合う軒先には赤いちょうちんが下がり、トゥチャ族とミャオ族の建築美が融け込み、江南の水郷とはまた異なる、幻想的で詩情豊かな景観になっている。 

古城の中心に架かる「雪橋」は、独特な姿を見せる。雨風をしのげる屋根付き橋「風雨橋」の要素を取り入れ、下層は真っすぐな通路、上層はアーチ状の橋身で、その頂部に展望亭が設けられている。直線と曲線が織りなす空間が、翡翠色の沱江に映えて美しい。昼は薄霧が川面を流れ、雪橋と吊脚楼、背後の山が溶け合い、淡い墨で描いた山水画のように見える。夕暮れになると空は淡い藍色に染まり、だいだい色の明かりが一つ、また一つとともる。橋や家々の暖かな光が川に落ち、さざ波が無数の光を細かく揺らす。そのとき、鳳凰の町は鮮やかな油絵へと姿を変える。 

早朝、黒いほろを掛けた小舟で沱江を下るのは、古城に泊まった人ならではの楽しみである。櫂かいが静かに水面を切り、岸辺の吊脚楼の影を揺らす。水中では水草が流れに合わせてそよぎ、遠くの河原からは、ミャオ族の女性が布生地をリズミカルにたたいて洗う音が聞こえてくる。路地にはヨモギ入りの餅「蒿子粑粑ハオズバアバア」や、もち米から造る甘酒の香りが漂い、朝の味覚が古城を目覚めさせる。 

鳳凰古城を離れ、山道をさらに奥へ進むと禾庫鎮に着く。ミャオ族の昔ながらの暮らしが色濃く残る集落である。旧暦の1、6、11、16、21、26日には定期市が開かれ、山一帯が最も活気づく。夜が明けきらないうちから、周辺の村々の人々が竹籠を背負い、民族衣装に身を包んで集まってくる。高く巻いた布の頭飾りに銀の装身具を着けた女性たちが花柄の傘を差して行き交い、銀の腕輪や首飾りが歩みに合わせて澄んだ音を立てる。 

露店は道沿いに連なる。竹籠には雨上がりに採ったばかりの天然キノコ、自家製の薫製肉、昔ながらの方法で醸造したトウモロコシ酒、ミャオ族の伝統医療で使われる貴重な薬草が並ぶ。その一角では、ミャオ族刺しゅうの布靴や手織物、打ち出し細工の銀製品が売られている。色鮮やかな刺しゅうときらめく銀器が並ぶ様子は、さながら移動する民族衣装展である。地元のミャオ族女性、70歳を超える龍妹さんは、刺しゅう片をいっぱい詰めた竹籠を背負い、低い腰掛けに座って品物を整えていた。「山の村は町から遠く離れています。5日に一度の市に刺しゅうや銀細工を持ってきて売って、生活用品を買って帰ります。久しぶりに会う近所の人たちと話をするのも楽しみです」と笑う。地元のお年寄りたちが一つ一つ手作りした品々には、千年にわたって受け継がれてきた湘西の無形文化遺産の魅力が宿っている。 

「ミャオ族には固有の文字がないので、銀飾りや刺しゅうの文様が私たちの歴史書なんです」。龍妹さんは、鮮やかな色の刺しゅう製品を並べた店先でそう語る。頭布、前掛け、布靴、匂い袋、のれんまで、扱う品は幅広い。山の草木を使った染料で染めた天然の色は、年月を経てもあせにくい。そして隣の石さんの店から、蝶を彫った銀の首飾りを手に取って説明してくれた。「蝶はミャオ族の人々にとって祖先とされています。万物は蝶から生まれたという伝承があり、衣服に刺しゅうし、銀器に刻むことで、一族の繁栄と平安を願うんです。牛の角の文様は農耕や牧畜の豊作を、花や鳥は山林の恵みを表しています」 

力強さと優美さ――表情豊かな山水 

鳳凰県から北西へ進むと、湖南・重慶・貴州の三省・市の境に穏やかな水郷・茶峒が広がる。ここは文豪・沈従文の名作『辺城』の舞台である。町の定住住民2万5000人余りの8割以上は代々この地に根を下ろした地元の人々で、過度な商業化による騒がしさはなく、川辺の生活の息吹は千年経った今も生き生きと続いている。 

『辺城』の物語では、茶峒の渡し守の老人と孫娘の翠翠が寄り添って暮らす。端午節の龍舟(ドラゴンボート)レースで翠翠は水運の裕福な家の次男・儺送と出会い、恋心を抱く。一方、儺送の兄・天保も翠翠に心を寄せる。天保は弟に敵わないと悟り、川を下って旅に出るも事故で命を落とす。儺送は罪悪感にさいなまれ、故郷を遠く離れる。老渡し守は憂いの中で病没し、翠翠だけが渡し船を守り、日々儺送の帰りを待ち続ける。物語は終わりの見えない待ちの中で幕を閉じる……。とりわけ雨がしとしと降る季節、茶峒を訪れ、湿った石畳の道や長く深い路地を散策すると、運命に翻弄され恋人と別れた翠翠の底知れぬ悲しみが伝わってくるようだ。 

雨脚が強まったら散策の足を止め、地元の料理店で郷土料理を味わうのも良い。川辺で食堂を営む田霞さんは看板料理の魚鍋を運んできて、紹介する。「この料理は『一口吃三省』(一口で三省・市を味わうという意味)というんです。スープに湖南の辛さ、貴州の酸味、重慶のしびれる風味が溶け込んでおり、一つの鍋で3地域の味を楽しめます。茶峒を訪れたらぜひ食べてみてほしい味です」。端午節になると、茶峒は地域一帯で最もにぎやかな場所となる。三省・市の龍舟チームが町を流れる清水江に集まり競う。レースが終わると数百羽の生きたアヒルが川に放たれ、住民と観光客が川に飛び込んで捕まえ、捕った人のものとなる。かつて翠翠と儺送が出会った生き生きとした光景が、今も毎年この川で繰り返されている。田さんは熱心に勧める。「端午節に来るのが一番おすすめですね。人の声、太鼓の音、笑い声が混ざりあって、とてもにぎやかですよ」 

茶峒から自治州の州都・吉首方面の山々へ戻ると、武陵山脈と雲貴高原の境の険しい山地に入り、矮寨アイジャイ鎮に到着する。地名の「矮」(背が低いという意味)からは低い土地と思われがちだが、実は標高300㍍余りの峡谷奥地である。徳夯渓と峒河がここで合流し、山々が取り囲む空間に圧倒的な峡谷の絶景が秘められている。 

「徳夯」はミャオ語で「美しい峡谷」を意味する。徳夯大峡谷の最大深度は430㍍、谷間には草木が茂り、天然の動植物宝庫となっている。落差216㍍の流沙滝が崖頂から一気に流れ落ちる。崖沿いの遊歩道に立つと細やかな水しぶきが襲ってきて、谷底の水たまりは澄んで透き通っている。岩壁に沿って造られた1・5㌔の断崖遊歩道が蛇行し、空中に突き出た100㍍のガラス区間もある。遊歩道から遠望すると青々とした山々や流れ落ちる滝、古い集落、高く架かる橋が一体化し、雄大な山野の絵巻が広がる。ここでは湘西の山水が、茶峒の穏やかで情緒に満ちた水郷風景とは対照的な一面を見せている。  

滝に懸かる千年の古鎮 

徳夯大峡谷から車で北へ向かうと、酉水ゆうすいの支流が山々の間を縫って流れ、その先に滝の上に懸かるような古い町――芙蓉鎮が現れる。旧名は王村で、1987年、謝晋監督の映画『芙蓉鎮』がここで撮影され、日本でも公開されたことから、山奥の町の名が海外にも知られるようになり、やがて町名も芙蓉鎮へと改められた。高さ60㍍の巨大な滝が町を二つに分け、川は崖上から轟音とともに流れ落ちる。水しぶきは一年を通して路地を包み、滝を望む古い吊脚楼が崖に寄り添って建つ。「滝に懸かる千年の古鎮」と呼ばれる、ほかにない景観である。 

この地の吊脚楼は、トゥチャ族が山地の環境に合わせて発達させた高床式の木造建築である。家屋全体を地元の杉で組み、鉄釘を1本も使わず、木材のほぞと継ぎ手だけで固定する。各階の用途にも、湿潤な山地で暮らす知恵が表れている。1階は全面を地面から浮かせ、農具置き場や家畜小屋として使い、湿気を避ける。2階にはいろりがあり、日常生活や客をもてなす中心の場となる。3階には板張りの広い寝台を設け、家族の寝室とする。とりわけ印象的なのは、外へ張り出した回廊である。長い柱が川辺から水中へ伸び、その下を人が通り抜けられるようになっている。空中に浮かぶような楼閣が連なる眺めは壮観だ。朝、窓を開ければ、滝の水気を含んだ草木の匂いが流れ込み、耳には水の轟きが響く。夕暮れには通りの明かりが順にともり、暖かな光が飛び散る水の幕に映る。華やかな鳳凰古城の水辺の夜景とは異なる、静かで柔らかな趣がある。 

石畳の古い路地を進むと、映画『芙蓉鎮』のスチール写真を店内に飾った「113号老店」が見つかる。映画で主人公の胡玉音が米豆腐を販売していた、実際のロケ地である。店主の向さんは30年以上この店を守ってきた。「米豆腐は大豆の豆腐とはまったく違います。米をひいて煮詰め、冷やして固めたもので、より滑らかでもちっとしているんですよ」と説明する。わんに手際よくよそい、湘西らしい香り高い辛味油をかけ、ダイコンの漬物と刻んだパクチーを添える。辛さが苦手な観光客のために、甘口のたれも用意している。木の卓で米豆腐を味わいながら絶え間ない滝の音を聞いていると、映画に描かれた素朴で穏やかな時代へ迷い込んだように感じられる。 

この米豆腐の味付けにも表れているように、湘西には「塩の代わりに唐辛子、飯の代わりに漬物」というほど、辛味と酸味を好む食文化がある。各家の庭先には唐辛子畑があり、屋内には漬物を仕込む陶製のかめが並ぶ。材料によって、野菜、肉、穀物の3種類に大別される。山で採れた青菜やダイコンはかめで発酵させ、野菜の漬物にする。いぶして乾燥させた豚の肉や川魚は、酸味のある肉・魚の保存食となる。トウモロコシやもち米も発酵させ、酸味のある穀物食品にする。いずれも副菜としても、鍋の具としても格別である。 

日が暮れると、古鎮の中心にある「擺手堂はいしゅどう」前の広場が次第ににぎわう。祝祭日には、トゥチャ族に古くから伝わる踊り、「擺手舞」を見ることができる。擺手舞は古代の祖先を祭る儀式に起源を持ち、明・清代に盛んになった。70歳を超える伝承者の向さんがどらを手に列の先頭に立つ。まず「梯瑪ティーマー」と呼ばれるトゥチャ族の祭司が供物を携え、神を迎えて送る一連の儀礼を執り行う。その後、老若男女が伝統的な錦織の衣装をまとい、輪になって踊る。腰をかがめる動作は田植えを表し、手を上げて茶摘みを、腕を振って狩猟を表現する。その一つ一つの動きが祖先の暮らしを再現し、民族移動や山林の開墾をしながら重ねてきた長い歳月をしのばせる。 

悠久の歴史を刻む遺跡

山水や民俗だけではない。湘西には、1000年を超える歴史を伝える二つの重要な遺跡がある。霊渓河畔の老司城遺跡と、酉水沿いの里耶秦代古城である。 

永順県の県政府所在地から東へ車を走らせると、霊渓河に囲まれた山あいに老司城遺跡が静かに眠っている。「東洋のマチュピチュ」とも呼ばれ、中国国内で最も完全な形で残る土司の城跡である。土司とは、歴代王朝が少数民族地域の首長に官職を授け、地域の慣習を尊重しながら統治を委ねた制度である。老司城は、その「土地の慣習に即した統治」の知恵を今に伝える。武陵山地は雨が多く湿潤で、山津波も頻発する。約800年前、トゥチャ族の祖先はすでに精巧な排水設備を築いていた。全長100㍍余りのアーチ式主排水路が地形に沿って延び、縦横の支水路につながる。階段状の溝が水勢を弱め、末端の巨石が水を分けて放流する。山地の排水問題を解決するだけでなく、非常時にはアーチ式水路を避難用の秘密通路として利用することもできた。人と自然が長く共生するための仕組みである。遺跡を見守るトゥチャ族の彭さんは、赤い石段に腰掛け、残された宮殿の壁を指しながら語った。「ここでは28代の土司が600年以上にわたり湘西を治めてきたんだ。山の民の習慣を無理に変えず、地形に沿って城を築き、それぞれの民族の暮らし方を尊重した。その包容力こそ、今に続くこの土地の文化の土台なんだよ」 

さらに東へ進むと、龍山県の酉水河畔にある里耶古城に至る。中国で唯一、全体像がよく残された秦代の郡レベルの都市遺跡である。町は山と川を生かして版築工法で築かれ、周囲2000㍍余りの土城壁は今も輪郭が明瞭である。突き固めた層は密で、2000年以上の風雨に耐えてきた。城内では縦横に走る街路の基礎がはっきりと確認でき、役所、倉庫、住居、精錬工房が区画ごとに配置されている。道路脇には石造りの暗渠が備えられ、雨の多い酉水河畔の環境に対応していた。秦代に高度な都市計画が存在したことがうかがえる。 

遺跡の中心にある「1号井」は、とりわけ重要である。2002年、ここから3万7000枚余りの秦簡、すなわち秦代の行政文書などを記した木簡・竹簡が出土した。総文字数は20万字を超え、洞庭郡の地方行政の日常を詳細に記録している。戸籍、租税、郵便・宿駅、司法、農耕、医薬まで内容は多岐にわたり、正史では分からなかった秦代の庶民生活を補う史料となった。その価値の高さから、「北に兵馬俑、南に里耶秦簡」と称されるほど。秦簡博物館では、木簡に端正な秦隷(秦の小篆を簡略化した書体)で記された文字を今も読むことができる。官吏が残した日々の細かな文書から、2000年前の普通の人々の暮らしと労働が生き生きと浮かび上がる。 

遺跡の地層は幾重にも重なる。秦代の層の下には楚文化の器物があり、秦・漢代以降の層にはトゥチャ族やミャオ族の生活遺物が数多く残る。楚、秦、そして中国西南部の先住文化が重なり合い、融合してきた。古城そのものが、湘西における多民族交流の歴史を凝縮した一冊の史書なのである。 

人民中国インターネット版

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