音楽は自由にする、自由はマルチへ

2020-06-09 09:24:09

 

『音楽即自由』

坂本龍一(日)著

何啓宏 訳

(中信出版社 20174月 48元)

劉檸=文

 音楽家としての坂本龍一は、他とはかなりかけ離れた存在であり、今の日本、世界でも同じような存在はなかなかいないだろう。

 

 坂本は出身から趣味、生活から創作まで、常に「ずば抜けた」存在であり、エリート中のエリートとも言える。坂本家は特別裕福というわけではなかったが、典型的な中産階級だった。父親は河出書房の編集者で、三島由紀夫や野間宏、中上健次などを担当した。青春時代は読書に明け暮れるようになり、彼の家を出入りする名作家たちの話に次第に魅せられていった。また、母方の祖父は航空会社の会長だったが、母自身は帽子デザイナーで銀座の宝石商で働いた、独立した女性だった。

 

 ピアノが必修の自由学園幼児生活団(幼稚園)でピアノを習い始め、東京芸術大学在学中にスタジオ・ミュージシャンとして活躍するようになった。こうした家庭環境と受けてきた教育により、彼の思想と創作には左翼の色が一層濃くなった。このことも、中国において彼の作品自体は誰もが知っているというわけではないのに、彼自身の知名度が高い要因の一つである。中国人にとって、戦後日本の左翼知識人には、ある共通点があると考えている。それはすなわち、「文明批判」だ。

 

 坂本龍一の自伝『音楽は自由にする』の中にも、日本の社会体制、文化環境、さらには資本主義制度全体に対する反感と反省が満ちているように思う。しかし、彼が他と違うのは、彼の反逆は、反逆の対象物から逃げずに、新たな要素を溶かし込んで、もともとの対象物のイメージを「薄め」、テキストの多義性によって包囲からの突破と超越を求めていることだ。

 

 例えば、彼は西洋音楽を極限まで極めたと感じた際、「伝統的な音楽の束縛から、聴覚を解放させなければならない」と思い、エレクトロニカ(電子音楽)を始め、当時まだ珍しかったパンチテープ制御式のシンセサイザーを使って創作した。最近中国でもネット配信が始まった日本のドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』の中で、彼は雨の日に屋根裏の天窓を開け、ガラス瓶の中に雨の音を集めた。ジャングルの中では、金属棒を使い廃棄容器をたたいていた。まさに彼の都市と資本主義文化の批判を表しているようだ。しかし、都会から遠く離れ、田舎で「のどかな暮らし」をすることは選択せず、彼は逆に東京からロンドン、北京へ行き、またいっそのことニューヨークに移住して、コスモポリタン(世界主義者)になったが、彼の文明批判は今でも依然として続いている。

 

 こうしたエリート主義の立場と趣味の影響力は次第に音楽界だけではなく、国境を越え、中国のSNSにまで浸透してきた。もちろん音楽以外にも理由がある。それはまさに、坂本龍一自身の魅力、マルチな才能にある。

 

 坂本龍一の生きざまは自由気ままであり、おおよそ全ての「すべき」と「すべきでない」を経験してきた。客観的に言っても、彼のゴシップは少なくない。他の人であればとっくに芸能記者によって淘汰されていたかもしれないが、彼の音楽生命には影響を与えない。これは彼の「個性」によるものだ。

 

 すなわち、そのマルチな才能だ。芸術家、芸能人、知識人の三位一体で、時が経てば経つほど、よりマルチに、多様な側面を持つようになった。坂本本人にとっては、そうしたさまざまな面がうまく溶け合い、一体の存在になっていたのだろう。

 

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