人気・職場・超うれしい「プレママ」

2020-02-27 17:02:58

劉徳有=文

 「人気」という言葉はもともと中国にもあったが、日本のように、「あの歌手は今人気絶頂だ」というような使い方はしなかった。それがいつの間にか、日本と同じように、「人気」の意味で使われ始め、今では「人気のある」新語の一つになっている。

 若いころ、中国で「人気」と言えば、別の意味で使われていた。例えば、人間の意気込み、気質、人いきれ、気分、人間らしさ、人間味の意味だった。1978年の改革開放前後から、中国人が「某教授の授業は学生の間で、すごく人気がある」という使い方をするのを耳にするようになり、正直、違和感を覚えた。

 その「違和感」であるが、「違和」という言葉の中国語本来の意味は、体の調子が悪いとか、調和が取れない状態を表すのに使われていたようである。しかし、今では、日本人が「違和感」という言葉を使うように中国でもふんだんに使われるようになったが、聞く方も別に「違和感」を感じなくなったから、コトバというのは不思議なものである。

 日本語から中国語に新しく入ってきた言葉には、このほか、職場、新鋭、解読、視点、親子、放送、達人、完勝、完敗、点滴、量販、新人類などがある。

 「職場」は以前、中国では単位と言っていた。中国で「職場」が職場の意味で使われているのを、筆者が初めて発見したのは、2003年9月18日の『中国文化報』。タイトルは『職場流行新名詞(職場で流行している新語)』だった。

 このほか、改革開放後に日本から伝わった新語に、「超」「准」がある。「超党派」とか「超現実」などは中日両国共、以前から使われていたが、1990年代の終わりころから日本で、「超むかつく」「超うるさい」「超多忙」というような言い方が流行し始めたと記憶している。「超△△」という言葉は今、中国でも大流行だ。先日、友人が家に見えたので、家内がギョーザを作ってもてなしたところ、後から、「餃子很好吃。超飽,謝謝夫人(ギョーザはおいしかったわ。超満足。奥様によろしく)」と微信(ウィーチャット)で送ってきた。

 

2003年9月18日の『中国文化報』(劉徳有氏提供)

 次は「准」について。日本では以前、教授に次ぐ職務を「助教授」と言っていたのが、後に「准教授」に変わった。中国は昔も今も「副教授」と呼んでいる。

 いま、中国で流行語となっている「准爸爸」「准媽媽」は奥様が妊娠して、間もなく赤ちゃんが生まれる「パパ」「ママ」のことで、「超うれしい『プレママ』」の希望に満ちたこぼれるような笑みが見えてくるようだ。

 もちろん、新中国成立後、中国で生まれた新語も日本に伝わっている。例えば、成立初期の「一辺倒」、文革中の「活学活用」「造反」などなど。

 歴史上、日本が中国の文化を取り入れ、多くの漢籍が日本に渡り、日本の思想、文化がそれによって潤い、豊富になり、発展したことは、ここで繰り返す必要はなかろう。

 しかし、明治維新後、西洋の学問の吸収に力を注いだ日本の学者が洋書を翻訳する中で、哲学や社会科学や自然科学に関する膨大な数に上る「新語」をつくり出し、それが次第に中国に伝わって使われるようになった。

 当然のことながら、清朝末期に、中国の学者も洋書を翻訳する中で多くの「新語」をつくったが、その際に中国の古典から語句を探し求めるという方法が取られた。例えば、economicsを「計学」「資生学」に、philosophyを「理学」「智学」に、sociologyを「群学」に、physicsを「格致学」にというふうに訳語を当てたが、この方法には無理があったようで、実際上、全ての新しい事物について古典からそれに見合うものを探し求めるのは不可能であった。結局、広めることができず、日本で翻訳された「経済学」「哲学」「社会科学」「物理学」が中国でも通用するようになった。

 明治以降、日本から伝わった新語――衛生、企業、手続、抽象、具象、批評などなど挙げればきりがないが、中には中国の古語を生かしてつくった新語もある。例えば、economyの日本の訳語「経済」であるが、「経済」はもともと中国の古典にある言葉で、国を治める「経世済民」の意味があった。唐代の詩人杜甫の詩にも、「古来 経済の才、何事か独り罕に有らんや」とあるが、「国を治める才能」を指していることは明らかだ。日本は、economyの訳にこの中国の古語「経済」を当てたが、中国は日本の訳語である「経済」を借用し、今では両国共economyの意味に使っている。

 このように日本が中国の古語を借用した訳語が、両国で使用されているケースは、ほかにもたくさんある。

 例えば、「組織」。これはorganizationの訳語。『遼史』の『食貨志』に「桑麻を樹え、組織を習う」とあるが、この場合の「組織」は、紡織――「機織り」の意味だった。

 「生産」は、productionの日本語訳。元の意味は生計を立てる手段としての産業、なりわい。『史記』の『高祖本紀』に「家人の生産作業を事わず」とあるが、これが出典。

 「憲法」は、constitutionの日本語訳。この言葉の出典は、『国語』の『晋語』――「善を賞し、姦を罰す。国の憲法なり」。ここでいう「憲法」はただの国のおきて。国の根本法としてのconstitutionを訳す際に、日本が中国の古い言葉「憲法」を借用した。

 中国の国名中華人民共和国の「共和」。これは、republicの日本語訳だが、これも中国の古典から取った言葉である。出典は、『史記』の『周本紀』にある「厲王  彘に出奔せり。周公と召公協議して政を行なう。号して曰く『共和』と」。「共和」の現在の意味は、選挙によって国の代表機関と元首を選んで確立した政治体制をいう。

 当時日本の学者が訳した言葉は、中国現代語の中の科学用語や文化芸術用語の約70%を占めており、これを抜きにしては「話にならぬ」状態にある。中国の中に、外来のものは全部変えたらいいとうそぶく「勇ましい」ものもたまにはいるが、そんなことはできっこないのは明らかだ。

 最後に面白い現象を一つ。代数、幾何の「幾何」は、「いくばく」とも読め、なんとなく数学と関係のあるコトバをイメージする人が多いが、中国語の訳語がその昔日本に伝わったものであることに気付いている人は意外と少ない。

「幾何」はもともとギリシャ語のgeometria、英語のgeometryであることは周知の通り。この言葉を最初に中国が翻訳するとき、「geo」の音訳に「幾何」の2字を当て、それが日本に伝わって「幾何」と読まれるようになった。これが日本語の「幾何」の由来である。明治時代に日本の訳語が中国に伝わったものと勘違いしている人の方が、案外多いかもしれない。

清代末期に発行されていた科学雑誌『格致彙編』

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