民間文化に深く根差した『灶王伝奇』

2025-04-01 15:14:00

中国社会科学院日本研究所助理研究員 東京大学社会科学研究所客員研究員 熊淑娥=文 李浩=写真提供 

暦の臘月(12月)23日(主に北方)と24日(主に南方)は、中国で古くから行われてきた「祭日」(別名「小年」)だ。祭はいにしえの人々が火をあがめる風習から始まったもので、事物の名前の由来をたどる後漢の辞典『釈名』には「。造るものなり、食物を創るものなり」とある。王の職務は(かまど)の火を取り仕切り、飲食を管理することだ。仙界では最下層の王の役割は、仙界と人間界をつないで人間の道徳を監督することだ。よって「祭日」になると王は各家庭の善行や悪行をしたためた「善壺」と「悪壺」を携えて仙界に赴き、報告を行う。さらに除夕(旧暦の大みそか)には諸神に伴い下界に降臨し、各家庭に吉凶災福をもたらす。だから民は祭の日にかまどを祭り、掃き清め、糖を食べるが、そのときにはしばしば「上天言好事,回宮降吉祥」(仙界には良いことだけを言ってください、王宮に帰り吉祥をもたらしてください、との願いを込めた文言)の対聯と横批の「一家之主」をかまどの上に貼り付ける。 

李浩の『王伝奇』(北京十月文芸出版社、2022年8月)は、中国の道教文化と民間伝説をベースに、明朝の「土木堡の変」(1449年、明英宗が宦官王振に扇動されて親征し、土木堡[現在の河北省懐来県]でモンゴルのオイラート軍に敗北、捕虜となった事件)を歴史的背景とした長編小説だ。作中では民間伝説に基づき、玉帝、龍王、城隍、王など、明確なヒエラルキーで構成される中国の神仙の系譜が編まれている。そんな物語の主人公は、蔚州(現在の河北省蔚県)で小さな豆腐店にいる末端神仙の「豆腐王」だ。「一家之主」たる彼は、人間社会の複雑な人間関係をまとめ、仙界、黄泉、人間界の「三界」を結び、歴史と現実をつなぐ役割を果たしている。そして作中においては、現実と寓話の交錯を行っている。 

1971年生まれで河北省滄州市海興県が原籍の李浩は、滄州師範学院を卒業。長編小説『如帰旅店』『鏡子里的父親』、小説集『N個国王和他們的疆土』『封在石頭里的夢』『誰生来是刺客』『変形魔術師』『消失在鏡子後面的妻子』、評論集『匠人坊—中国短編小説十堂課』『在我頭頂的星辰』『閲読頌、虚構頌』、詩集『果殻里的国王』など、20余りの作品を発表している。うち『将軍的部隊』は第4回魯迅文学賞短編小説賞と第12回荘重文文学賞を、短編の『爺爺的「債務」』は第9回『人民文学』賞を、『如帰旅店』は第9回『十月』文学賞長編小説賞を、『鏡子里的父親』は第1回孫犁文学賞小説賞をそれぞれ受賞している。 

「『王伝奇』は東洋に属する中国の物語なので、東洋的な要素を強調したり際立たせたりする必要があるが、それはできれば伝統的なものが望ましい。語り部のように物語を語り、言わんとすることを伝えるためには、故事を存分に活用する必要がある」、と李は語る。中国に古くから伝わる民間文化に深く根差した『王伝奇』は、まさに「中国の物語」の王道だろう。中国の伝統文学や民間文学に物語の糸口を求め、真の「中国の故事」を書くことが、作者の目指すところだ。小説の構想に約8年から10年を費やした李浩は、2020年に張家口市蔚県を取材に訪れ、いかにも古びた風情の古城や府衙(ふが)(役所)、常平倉(備蓄庫)、王振(?1440年、明代の四大宦官の一人で、土木堡の変で明軍が大敗した原因をつくったとされている)の旧宅や家廟から得た着想を元に、21年初めから筆を執り始めた。 

王伝奇』は四つのプロットで構成されている。一つ目は心優しい平民だが戦乱で命を落とした譚豆腐家、困窮と悪臭、罵声が絶えない貧民の董家、豪奢な生活を送っていたが政治の混乱で一家全員が斬首された豪商の曹府の3軒で王を務めたこと、二つ目は豆腐王と譚豆腐家の子の小冠、小冠の生まれ変わりである王鳩盈との関係、三つ目は本作の歴史的背景となり脚注や登場人物の言葉の端々にもしばしば登場する土木堡の変、四つ目は「豆腐王」と仙界に住むさまざまな神仙との交流だ。仙界の序列は王、門神、土地神、城隍廟の使者、冥府の使者、河神などは下仙で、判官、城隍爺、龍王、玉皇大帝、王母娘娘などは上仙となる。 

王は民と最も密接に関わる神だが、現代文学で取り上げられることはまずなかった。仙人でありながら身分は低くさしたる法力もない。だからこそ、民草により近い存在になれたのだろう。そんな王を、李は大胆にも一人称で語らせている。さらに権限を持たない下仙の立場から、仙界の巨大な官僚体制下における使者、城隍、龍王、星宿(せいしゅく)、玉皇などの役割や仙界のさまざまな出来事を客観的視点で読み解いていく。 

あたかも神話がテーマのように見える『王伝奇』だが、内容は極めて現実主義的だ。作者は「土木堡の変」と「奪門の変」(明の英宗が弟の代宗から帝位を奪い重祚した事件。英宗の捕縛後に大臣が代宗を擁立した。1457年、英宗は一部の大臣の支持を得て弟の重病を機に政変を起こして復位した)を忠実になぞって物語を展開しているが、史実の裏には典型的な「志怪小説」(伝奇の基となった怪異短編小説)の要素が見てとれる。王に関する伝承は地方によってさまざまなため、作者は自身の理解と想像をもとに仙界のヒエラルキーを創作し、神仙をその設定に従わせることで、それを「現実」のものとして成立させている。 

王伝奇』は伝奇小説、志怪小説、筆記小説といった古典的要素をもとに構成されながらも、作者の豊かな想像力によって現実と史実を結び付けている。そして雑史、志怪小説、伝奇小説という異なるジャンルを混合し、歴史という大枠の中に、志怪小説と伝説小説を作品の主軸として据えることで、表現の幅を存分に広げている。多重構造の採用で人物や情感がより現実主義的な色彩を帯び、神話の構造と現実主義が巧みに結び付いている。そうした試みについて李は、「私が寓話、神話、変形を取り入れるのは、現実を拒絶するためでは決してなく、より芸術的、あるいはより芸術性のある曲折した方法で、私の現実への理解、この世界への理解、この世界の『隠された真情』を表現するためなのです」と語っている。 

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