水の表現に新たな境地を開拓

2017-11-01 09:53:55

画家 丁観加 氏

本誌特約ライター王金晶

 

丁観加(Ding Guanjia

1937年上海崇明島生まれ。原籍は山東省済陽県。現在、中国書画芸術委員会副主席、中国美術家協会および中国書法家協会の会員、国家1級美術師であり、国務院の特別手当てを受けている。

 

『歳月悠々』 190×176cm 1993

 

退職後に迎えた創作のピーク

 端午の節句を迎え、北京の気候はますます蒸し暑くなっていた。丁観加氏は描き上げたばかりの扇子をじっくりと眺めながら、心の中で、その扇子が収集家に一抹の涼しさを届けてくれたらと考えていた。山水は美しく、爽やかな風が心に吹き入るようだ。丁氏は言う。「やはり庶民が楽しめて収集できる作品を創りたい。民衆に愛されることこそ芸術家の命ですから」

 1960年、南京師範学院美術学部を卒業した丁氏は、傅抱石、呂斯百、陳之仏、秦宣夫ら芸術大家に師事し、書法(書道)は前後して羅叔子、林散之、祝嘉ら大家に師事した。丁氏の絵画作品は水墨の境地を追求し、自然に忠実でありながら自然をコピーせず、自然を尊び、さらに自然を昇華しており、書法作品には濃厚な文人気質がある。丁氏にとっては、書法、文学、ひいては音楽まで全て画家が備えるべき芸術の修養であり、全面的に理解してこそ人の心を打つ作品を創ることができるのだという。

 80歳の丁氏はすでに退職しているが、創作を休んだことはなく、彼の言葉を借りるなら、「退職後、私はやっと本当の専業画家になりました」ということだ。2012年、中国美術館で開催された「墨彩心意――丁観加山水画芸術展」は、丁氏にとって、02年から12年までの退職後10年間における創作の中間総括だった。ここから彼は再度出発し、さらに大胆な創作の旅に踏み出した。5年間で前後して広東美術館や深圳市関山月美術館、江蘇省美術館で展覧会を開いた。この間、丁氏の書法作品は彼の芸術創作に見どころを加え、書と絵が相まってますます輝きを増すようになった。書画で「心」を描写するという創作態度もより鮮明になり、作品の思想性もより重厚になった。

 「絵画は突き詰めると、心を描いているのです」。丁氏は、「画家はまず自分が好きな作品を描くべきです。それらの作品が集まると、その画家のスタイルになるのです」と言う。彼にすれば、画家が自分の好きな作品を描くことは自己に対する尊重であり、また鑑賞者と収集家に対する責任でもある。この5年間、丁氏はもともと創作していた山水技法の基礎の上で、山や川、湿地の作品の創作を掘り下げ続け、特有の技法で異国の自然風景を描き、中国画で世界の風景を表現する数少ない中国画家の一人となった。

 

湿地画という新しい道を開く

 近ごろ、丁観加氏は湿地を描いた作品30点を故郷である上海市崇明区に寄贈した。彼にとって、故郷への作品の寄贈は長年の願いだった。それは長江の河口に位置する崇明島(崇明区管轄)が彼の心に美の種をまき、また崇明島の湿地が彼に豊富な創作のインスピレーションを与えたからだ。情報によると、崇明区にある丁観加芸術館がまもなくオープンするという。

 丁氏は水の描き方において独自の一派を打ち立てており、書画理論の分野には「丁氏水法」という定義まである。彼の手による水面を描いた作品は光と影の変化をうまく使い、波がきらきら光っている質感をつくり出している。そして、そこで表現されている楽観的でおおらかな人生の味わいが鑑賞者に称賛されている。実際、丁氏の手による湿地を題材にした作品は、彼の水の描き方をさらに一歩進んだものとした。水の中に見え隠れする干潟や、雑然としつつも秩序のある水草が、朝日や夕日に照らされて重なりあって広がり、平凡な中にグラデーションをにじみ出させ、こまごまとした中に水の広々とした様子を主張させて、画家の独特の美的感覚を表している。

 丁氏の湿地画といえば、他にも知られざるエピソードがある。1980年代、日本画家の平山郁夫氏が訪中したとき、当時、鎮江中国画院院長だった丁氏に伴われて江蘇省鎮江市で写生をした。平山氏は鎮江の干潟を見て、大変な興味を示し、カメラを取り出して何枚も写真を撮った。その行動に注意を引かれた丁氏は、平山氏と同じ角度から干潟を見てみた。その瞬間、湿地の美しさに心を打たれた。それが丁氏水法に新たな創作の基点を与えたか、あるいは湿地の美しさが画家に少年時代の気持ちを思い出させたのかもしれない。すぐに丁氏は強烈な創作意欲が湧くのを感じた。彼は絵筆を持って繰り返し描いた。このときから独特のスタイルによる湿地画の創作が始まった。

 現在、丁氏の湿地作品は独自の一派を打ち立てている。画面の色使いが濃く、あるものは広がり続けて果てしがなく、あるものは空とつながり、天地が一体となっている。ほとんどの山水画家が仰視の角度を用いるのと違い、丁氏は水平に見た角度で作品を構成しているため、表現レベルにおいて、より難度が高くなっている。それでも、彼はやはり普通とは異なる中国画の創作の道を探し出した。

 高齢になった丁氏は依然として芸術創作の途上で足を休めていない。彼は学生を連れて海外へ行き、写生し、学び、絵画展を開き、文化芸術交流を展開している。丁氏は次のように語った。「今年10月、日本の倉敷市で書画芸術展を開催します。1987年に初めて日本で展覧会を開いてから30年が経っています。今回展示する作品が日本の鑑賞者に認められ、好まれることを期待しています」

 

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