日米同盟と日中関係の未来 続・省察のに

2023-01-03 17:00:10

木村知義=文

今月は続・「省察の秋」の筆を執ることにしました。主題は「日米安全保障条約」です。日中国交正常化に向けて、日本にとって「日米安保」は「台湾問題」と不可分の極めて「難しい問題」として存在していました。 

  

日米安保の省察が迫られている 

1972年7月、日中国交正常化に「裏方」として重要な役割を果たした竹入義勝公明党委員長が訪中、周恩来総理と会談を重ね記された「竹入メモ」によれば、周総理は「復交三原則」を前提に「日米安保条約にはふれません。日中国交回復が出来たら、中国への『安保』の効力はなくなります。共同宣言が発表されて、平和友好条約が結ばれればそれでいけます。あとは法律家にまかせれば良い。政治的信義が大事です」と述べたとされています。つまり「日米安保条約」は国交正常化の障害にはしないという中国の指導者の「政治決断」によって乗り越えることができたわけです。しかし、日米安保条約に基づく「日米安保体制」は今では「日米同盟」に置き換えられて、中国へのけん制、抑止の色を強めるばかりとなっています。すなわち、周総理の言とはまったく正反対の道をたどり、周総理が述べた「政治的信義」はどこに行ってしまったのかという状況を目の当たりにする現在となっています。それゆえ、今あらためて「日米安保」についての省察に迫られていると考えます。 


1978年10月23日午前、「中日平和友好条約」批准書交換式が日本の首相官邸で行われ、鄧小平国務院副総理と福田赳夫首相(いずれも当時)が出席した(新華社) 

 

敗戦後の歴史に深く刻印 

45年夏、敗戦を迎えた日本において全ては最高司令官マッカーサーの下にある連合国軍最高司令部(GHQ)が差配することになりました。当初は日本軍国主義に関わることごとくを解体し軍国主義復活の道を断つことが占領政策の基本となるはずでした。しかし歴史家が言うところの「逆コース」が起きます。世界はすでに米国とソ連、東西2大陣営による冷戦の時代に入っていました。そして中国共産党の指導の下に国共内戦を戦い抜いた中国の民衆による49年の中華人民共和国の成立は、その冷戦に大きな衝撃を与えることになります。「逆コース」の核心は日本を「反共の」として強化することにありました。米国の政策決定に重要な役割を果たしたジョージ・ケナンは「今日われわれは、ほとんど半世紀にわたって朝鮮および満州方面で日本が直面しかつ担ってきた問題と責任とを引き継いだのである」と「回顧録」で述べています。そこには侵略と植民地支配の歴史を歩んだ日本をいかに活用するのかという命題が垣間見えます。 

そこで忘れてならないのは岸信介氏の存在です。 

東条英機はじめ7人の絞首刑が執行されて迎えた翌朝、48年12月24日つまりクリスマスイブの朝、巣鴨プリズンから放免され「自由の身」となったA級戦犯容疑者19人の一人であり、後に内閣総理大臣となって60年の日米安全保障条約の改定を担うことになる岸信介です。傀儡国家「満州国」において枢要な役割を果たしたことでも知られる人物です。 

岸の「日記」や直接のインタビューをもとに論考を重ねている政治学者の原彬久氏の労作『岸信介』には、岸が米ソ冷戦を己の身の上にとって「好機」と捉えていたことが記されています。さらに「アメリカが対日占領政策を一日も早く断ち切って、『反共』のために闘う対等の『盟友』として日本を遇すべきことを主張する」岸は、釈放1カ月余り前の「日記」に「『東亜全体の赤化』に通じる中国共産党の『天下』を阻止するために、アメリカはドルと武器で蒋介石を助けることはやめて、アメリカがみずからの軍隊をもって直接毛沢東軍を『抑圧』すべきこと、しかもこのアメリカ軍は日本の義勇兵をもって編成されるべき」という、驚くべき「時局観」を記しています。 

ジャーナリストのティム・ワイナー氏はニューヨークタイムズ記者当時、CIA、ホワイトハウス、国務省の公文書館から入手した5万点以上の文書をはじめ2000を超える「諜報担当官、兵士、外交官らのオーラル・ヒストリー」などをもとに『CIA秘録 その誕生から今日まで』をまとめました。その中で岸について「辛抱強い計画が、岸を戦犯容疑者から首相へと変身させた」と述べた上で、「岸は日本の外交政策をアメリカの望むものに変えていくことを約束した。アメリカは日本に軍事基地を維持し、日本にとっては微妙な問題である核兵器も日本国内に配備したいと考えていた。岸が見返りに求めたのは、アメリカからの政治的支援だった」と記しています。 

51年9月、日本の吉田茂首相がサンフランシスコに赴いて、中国、インド、ソ連などを除く連合国48カ国とのいわゆる「単独講和」となる「講和条約」が結ばれ、引き続いて、会場を米軍下士官用クラブハウスの一室に移して「日米安全保障条約」に署名しました。その後、60年に岸首相の下で、より「双務性」を高め、「極東」の地域概念も広げた新たな安保条約への改定が行われたことはよく知られることです。さらにその後、「日米ガイドライン」の見直し、「周辺事態法」の制定、安倍晋三元首相の下で「安保法制」「自由で開かれたインド・太平洋」への展開など、中国を念頭に置いた日米同盟の「深化」が図られ、そして今、国家安全保障戦略をはじめとする「安保三文書」の改定と防衛費の大幅な増額など、日米同盟強化の道を突き進む状況となっています。 

  

日米・日中の関係に対称性を 

50年前に「乗り越えた」はずの「日米安保」はこのように根深く重い問題として存在し続け現在に至っているというわけです。 

では日本の私たちはこの状況にどう向き合い、どう立ち向かえばいいのでしょうか。 

そこで、読者の皆さんに一つの提案をしたいと考えます。日米関係と日中関係の「非対称性」を超えようという提案です。すなわち、日米安全保障条約を土台とした日米同盟と、日本と中国の間で結ばれて44年となる日中平和友好条約との「非対称性」を対称性のあるものに変えようということです。言葉を変えれば、中国との間には日中平和友好条約がありながら、日米はいつまで安全保障条約に立脚する軍事同盟というべき日米同盟に依って生きていくのかという問題意識です。 

「日中平和友好条約」では、日中双方が再び戦火を交えることはしないことは当然として、他に対しても覇権を求めず、脅威を与えたり戦争を仕掛けたりすることはしないという決意を鮮明にしています。であるならば、中国に敵対する「軍事同盟」の性格を濃くする日米同盟の土台、日米安保条約から「日米平和友好条約」に変えていく努力がなされてしかるべきとは考えられないでしょうか。 

「何という絵空事を、現実を知らない夢物語を……」と言われることも覚悟の上です。しかし、日中国交正常化から50年の今、回顧から次の50年に向けてどう歩むのかが一層重要になると思います。日米安全保障条約―日米同盟の超克という歴史的な課題と取り組む勇気と覚悟、構想があってしかるべし、と考えるのです。 

これが続・「省察の秋」の筆を執ったゆえんです。 

 

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