戦争を断ち切れない日本と向き合って――敗戦81年の8月を送る

2026-09-02 09:43:00

文=ジャーナリスト・木村知義

敗戦81年の夏、8月が終わった。

「戦後」81年を経てなお、われわれが抱え続けてきた課題を越えることができないのは何故なのかという、重く深い問いを抱いたまま、また次の1年を過ごさなければならないのかと思うと、言葉を失って立ち尽くすばかりである。

それよりなにより、中国はじめアジア、太平洋地域の人々の日本のわれわれへの失望と喪失感の深さを思うと、自身の無力感に苛まれる。

では、依然として越えることのできていない課題とは何か。

「過去の歴史と真摯に向き合う」という、たった一言に尽きる、それができない日本のわれわれの「あり方」を根本から変えることができていないことである。それどころか、むしろ、後退はなはだしいとしか言いようのない「世情」となっていることである。かつて中国を侵略し、台湾、朝鮮半島を植民地支配し、アジア太平洋の各地に「進出」という名の下に兵を進め、暴虐を重ねた、過去の歴史に対する責任の自覚と、その自覚を、現在の「暮らし」のなかで実体あるものとして実現できていない、すなわち、依然として戦争を断ち切れない日本と言うべき状況を克服できていないのである。

明確にしておかなければならないのは、これは、中国はじめ他国、他者から批判されたから問題なのではないということである。それ以前に、日本のわれわれ自身の内在的な課題として直視、正対しなければならないことであるがゆえに、問題としてあり続けているのである。このことをまず確認して、論を進める必要がある。

「ポツダム宣言受諾」を天皇の名の下に宣した「終戦の日」、8月15日、高市早苗首相は「靖国神社参拝」を諦め、「全国戦没者追悼式」が開かれる日本武道館の駐車場から靖国神社に向かって神道の形式に則って「遥拝」した。かねてから「首相に就任したら靖国神社に参拝する」と断言していた自身の主張を「抑えて」遠隔からの参拝形式をとったのだが、二重の意味で人を欺くものだと言わざるを得ない。

遠隔からの「遥拝」であれ実地の参拝であれ、靖国への「参拝」は本質においてなんら変わりはない重大な誤りだということは言うまでもない。加えて、もし、譲ることのできない確固とした信念において高市氏が靖国参拝を己の使命と考えていたのであれば政治生命を賭してでも靖国に赴くべきであった。そうではなく、日本国内閣総理大臣の地位にしがみつく一念で、「遥拝」でお茶を濁したのであれば、高市氏が常々言ってきた「国策に殉じられた多くの方々に、尊崇の念をもって哀悼の誠をささげる」ということが、まさに空虚と言わざるを得ないことになる。こうした「二心者」の姿は、まさしく欺瞞、姑息と言わずしてなんと言えばいいのであろうか。

今回の「遥拝」について、内閣支持率が下落基調に転じる中で「参拝見送りによる保守層の離反を警戒したためだ」と指摘するとともに、「首相周辺からは『遠隔地から拝む行為まで批判されることはないだろう』と楽観論も漏れる。ただ、周辺国が実際にどう反応するかは読み切れない。首相の『台湾有事』発言で日中関係が冷え込む中、首相と距離を置く自民閣僚経験者は『中国は参拝と同じだと見るだろう』と突き放した」と伝えたメディアもあった(時事通信8月16日)。ここで「周辺国」とされた中国、韓国からは、時を置かず、厳しい批判が上がったことは、言うまでもない。

さらに各メディアは、「全国戦没者追悼式」における高市氏の「式辞」に「反省」という言葉がなかったという指摘を重ねた。しかし、ここでは、高市氏の認識に内在する問題とメディアにおける「批判」のあり方、両面において問題を孕むことを知る必要がある。

まず、高市氏の過去の歴史への認識に内在する問題である。

すでに知られていることではあるが、かつて国会の場において高市氏は、「(私は)当時の戦争の当事者とは言えない世代ですから、戦争の反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております」と言い放った。(1995年3月16日衆院外務委員会での発言)。さらに、テレビの討論番組で、先の戦争は「自存自衛の戦争だった」とも言い切っている。

こうした夜郎自大としか言えない高市氏の「口吻」が日本の世情をさらに煽り、共振して、歴史を省みず、過去の歴史を捻じ曲げて恥じることのない世情を一層亢進させる深刻さを、われわれは、真剣に知る必要がある。

言うまでもないが、戦後生まれが人口のほとんどを占める現在にあって、戦争当時生まれてもいない人間が罪を問われることはない。がしかし、責任はある!のだ。このことを無視して、あるいは忘れて、「ものを言う」のは歴史に背く、許されない振る舞いだと言うべきである。

そして、このような認識にある人物を国の執政の頂点に押し上げた日本のわれわれであることへの厳しい自己省察抜きに、メディアも含め、「反省」という文言のありなしだけを挙げて批判しても説得力を持たない。問題の所在は、何を反省すべきかである。これは、「先の戦争」と向き合うメディアのあり方に対して、実に重い問いかけとなる。

一例を挙げる。「異色の政権 検証・石破政権」と題した連載記事はこう始まった。

「終戦の日の8月15日に行われた全国戦没者追悼式。高市早苗首相は式辞で『反省』に触れなかった。この1年前、戦後80年に首相として『反省』に言及した石破茂氏は21日、東京都内の講演でこう語った。『どう考えても勝てない戦争に突っ込んでいったことを反省しないで、なんで教訓が得られるんだ』…」(朝日新聞8月28日)。

こうした言説は、石破氏に限らず、現在の日本では頻繁に出会うものである。がしかし、本当にそうであろうか?!「どう考えても勝てない戦争に突っ込んでいった」ことが間違っていたのであろうか。「敗けない戦争」であったなら「突っ込んで」いっても良かったのであろうか?!

断じて、そうではない。歴史の切り取り方に吟味の余地を残すことは承知の上で言うのだが、最低限でも、1928年の「張作霖爆殺」から「満州事変」、さらに傀儡「満州国」の「建国」をへて、37年の盧溝橋における「七・七事変」へ、そして、中国全土へと侵略の兵を進めたこと、つまり、「誤った戦争へと踏み出したことを反省しないで、なんで教訓を得られるのだ」と言うべきなのである。侵略という、誤ったことをしたがゆえに、中国の民衆の抵抗に日本軍国主義は敗北したのではなかったか。その認識に立たずに、「敗戦」の歴史的意味を正しく認識できないと心得るべきなのだ。

批判されるものは、批判されることによって生きのびるという逆説を知らなければならない。批判は本質と切り結び、根本に至る批判でなければ意味をなさない。つまり、高市氏に「反省」という文言がないということだけの批判によっては、あるいは「勝てない戦争に突っ込んでいった」という批判によっては、まさに、「高市的」反省なき認識が生き延びることを許すことになるのである。このことを、メディアも、われわれも、肝に銘じなければならない。

もう一つ、今年もまた、8月は、新聞、テレビを問わず、「戦争企画」が目白押しとなった。しかし、押しなべて、戦時中の苦しかった暮らしを回顧するもの、肉親を失った悲しみを語るもの、日本のわれわれの窮状と悲しみにかかわるものばかりで、われわれの「加害の歴史」に冷厳に目を向け、われわれの足下から省察を重ねるものを探すのは容易ではないメディア状況であった。日本軍国主義による理不尽な暴虐と、そのことを担った日本のわれわれであることと冷厳に向き合うことができず、中国、アジアの人々の苦しみと悲しみを思うことのできないわれわれでいいのか、なぜわれわれは自己の加害の歴史と向き合えないのかという深刻な自問を、またもや繰り返す8月であった。

加害の側は時間と共に忘却の彼方へと身を寄せることはできる。しかし、侵略、支配によって「深い傷」を負った被害の側は、いかに時間を経ても、あるいは世代が変わったとしても、記憶は消えないということを、われわれは知らなければならない。過去は消えないのである。ゆえに、歴史に真摯に向き合い、自らの歴史に対する深く厳しい省察を忘れてはならない。このきわめて簡明な道理を忘れて日本のわれわれに未来はない。中国はじめアジア、そして世界の人々と信頼関係を築き、時代に立ち向かうことはできないのだ。

「歴史と真摯に向き合う」という、たった一言の営みが、いかに難しく重いものであるかを、またもや思い知らされた、敗戦から81年の8月であった。われわれの負うべき責任は、依然として、限りなく重いと言うべきである。

 

木村知義 (きむら ともよし)    

1948年生。1970年日本放送協会(NHK)入局。アナウンサーとして主にニュース報道番組を担当し、中国アジアをテーマにした番組の企画、取材、放送に取り組む。2008NHK退職後、北東アジア動態研究会主宰。   

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