自尊心

2019-03-19 14:16:19

愛迪=文 砂威=イラスト

 

 

 

夫がある名門高校で教えていたため、私たちはその学校の敷地内に住んでいた。その日、一人の女子生徒が玄関をノックし、彼女の後ろには一人の中年男性がいて、目鼻立ちからすると、女子生徒の父親のようだった。

部屋に入れると、その親子はぎこちなく腰を下ろした。彼らは特に用事があったわけでなく、ただ、父親が自転車に乗って40キロ離れた家から学校の宿舎にいる高校生の娘に会いに来ただけだった。

「ついでに先生にごあいさつしようと思って」と父親が言った。「農村には今あんまり旬の作物がなくて、産みたての卵を十数個持ってきただけなんですが」と言って、肩に掛けていた布製の袋から恐る恐る卵を取り出した。布の袋にはたくさんのぬかが詰められていて、十数個の卵を守っていた。明らかに、卵が割れないようにと彼が気を配ったためだった。

私はお昼にみんなで餃子を作って食べようと提案した。親子は恐縮して何度も断ったが、私は先生の威厳で彼らを「震えあがらせた」。餃子を食べている時も、親子は相変わらずぎこちなかったが、とてもうれしそうだった。

女子生徒とその父親を見送ると、夫がいぶかしげな顔をしていた。今までずっと、贈り物を持ってきた人を追い返してきた私が、どうして十数個の卵のために腰を低くし、いつになく親子を引き留めて餃子をごちそうしたのかと、彼はいぶかしんだのだ。夫の不思議そうなまなざしに、私はほほ笑んで、20年前の自分の経験を話した。

私が10歳の夏、遠くに住むおじに、父が電話をかけなければいけないことになった。もう外は暗く、私は父の後に付いて、暗くて歩きにくい道を5キロ離れた村の郵電局(郵便電信局)まで出掛けて行った。

私は家にある梨の木から摘んだ七つの大きな梨を布の袋に入れて肩から下げていた。この梨の木は3年目にしてようやく七つの梨を実らせたのだった。妹は毎日水をやって、梨が大きくなるのを楽しみにしていた。しかしその晩、梨は父の手で全て摘み取られてしまった。

妹はじだんだを踏んで抗議したが、父は大声で「これを遣い物にしなきゃならないんだ」と叱りつけた。

郵電局はとっくに終わっていた。電話を管理していたのは私の家族の遠い親戚で、父は私に彼のことをおじさんと呼ばせた。家に入ってゆくと、彼らはちょうど食事をしているところだった。父親が来意を告げると、おじさんは「ウン」と言ったっきり、動こうとしなかった。

私と父は玄関の近くに立っていたが、ぼろぼろの服が明かりの下でとても惨めだった。おじさんが食べ終わり、つまようじで歯に詰まったものを取り、腰を伸ばすのをずっと待ち続けていると、ようやく彼が「番号をよこせ、ここで待っていろ。私が通じるかどうかかけてみる」と言った。

5分後、おじさんは戻って来て、「通じたよ。話しておいたから。電話代は9毛5分(095元)だ」と言った。父はすぐにズボンのポケットからお金を取り出した。そして私に「早く梨を出しなさい」と言った。しかし、おじさんは手を払い、大声で、「いらない、いらない。家に山ほどある。豚小屋に行って見てみなさい、豚だって食べきれないほどだから」と言った。

帰り道、私は父の後に付いて、布の袋を抱えて、ずっと泣いていた。

私たちが貧しいがために、血縁も肉親の情も薄くなり、貧しいがために、他人にとって、私たちはこれっぽっちの自尊心もない人間だった。

それから後の成長の過程で、おじさんの手を払う動作が、私の心の奥底にずっと深く刻み込まれていた。

これはしなやかなむちのようなもので、時に私の心をむち打った。私はおじさんのあのような動作を、女の子の記憶の上に灰色の傷痕として残したくなかった。私は今日の餃子は、女の子にとって忘れられない記憶となったと信じている。なぜなら愛の力は傷つける力よりもはるかに大きいのだから。

 

翻訳にあたって

「重点中学」とは、政府が重点的に予算や人材を投入する高レベルの中学・高校のことで、日本でいう「一流校」や「名門校」に当たる。中国語で「中学」といった場合、日本の中学校に当たる「初中」と、高校に当たる「高中」を併せて呼ぶ名称であるため、日本語では「高校」に当たる場合があり、「高校」と書かれていても、「大学」を意味する場合もあるので、翻訳の際には注意する必要がある。また、中国ではかつて、職場の敷地内または近所に住宅が与えられて住むシステムがとられていたため、この話のように、学校の敷地内に先生が住んでいるケースが多い。

文中の「姨爹」という呼称は、一般的に母の姉妹の夫、祖母の姉妹の夫などに使うもので、中国語ほど親族の呼び分けが細かくない日本語では表現が難しい。ここでは、単に「おじさん」としておいた。

 

 

 

 

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