おふくろの味

2021-05-26 14:13:11


唐波清=文

鄒源=イラスト

すでに2カ月近く実家の両親に会いに帰っておらず、母が電話で「ここには毎日都会から人が遊びに来ているから、父さんと私は家で田舎料理を振る舞っていて、すごくはやっているんだよ。お前たちも時間を作って見に来ないかい?」とくどくど言うのを聞いていた。

「もういい年なんだから、無理しないで、体を休めたら?」

私の口ぶりには心配と不満がこもっていたに違いない。

国慶節にわれわれ一家3人は帰省した。車を降りると、実家の母屋の中がとてもにぎやかで、四つの大きな四角いテーブルが置かれ、長椅子に座りきれずに、立って食べている人すらいた。

母さんは台所で腕を振るっており、てんてこまいで立ち働いていた。父さんはお茶を運んだり、水を渡したりしていて、笑顔がしわとともに浅黒い顔いっぱいに広がっていた。母屋にいた四つのテーブルのお客さんは、私たち3人が食事に来た客だと思い、背の高い男が自慢げに、「遅かったね。この家には1回の食事に4テーブル分の客しか取らないという決まりがあるんだ。別の家を探しに行きなよ」と言った。

私は妻と息子を連れて両親にあいさつをしに行ったが、両親はおしゃべりしている時間すらなく、興奮を顔に浮かべ、忙しそうに仕事を続けた。客がほぼ去ったとき、母は興奮した様子で私に言った。「今日もまた400元以上稼いだわ。今月は少なくとも1万元はいったわね」

私と妻もそれに続いて興奮してきて、「こりゃいい調子だね。もしコックと数人のお手伝いさんを雇って、8テーブルや10テーブルにしたら、毎日もっとたくさん稼げるんじゃないの?」と言った。

母さんは落ち着いた口調で、「それはダメよ。毎回4テーブルだけ。これは決まりなの。誰かに手伝ってもらおうとも思わない。自分で作らなきゃ」と答えた。父さんは私と妻の考えに傾いたらしく、「やってみてもいいんじゃないか、何人か雇って手伝ってもらえば、俺たちも楽になる」と言った。

父さんは私と妻の側につき、母の絶対反対を顧みず、コックとお手伝いさんを雇い、テーブルも3倍に増やし、母屋の数部屋を全部使うということになった。ただ母さんを失業させることになる。

1日目、商売は順調で、毎食12テーブルが埋まった。2日目、不思議なことに昼にテーブル一つ分の客しか来なかった。

母さんは怒り狂って騒いだ。「私の意見も聞かず、ただ金儲けだけを企んで、お客さんがどんな味を求めているかも考えないなんて。私もお金はたくさん稼ぎたいけど、私にはお金を稼ぐための原則っていうものがあるの」

3日目、1人の客も来ず、父さんは焦り、私と妻も焦った。母はまったく焦る様子はなく、他人の不幸を喜んでいるかのようだった。4日目、母は顔色一つ変えずにコックとお手伝いさんに暇を言い渡し、余分なテーブルと椅子を片付け、母屋の中に四つの大テーブルだけ残して、再び自ら台所に入っていった。

不思議なことに、母さんが戻った日、母屋の四つの大テーブルにかつての光景がよみがえり、毎食満員御礼で、予約の電話も相次いだ。

国慶節の最後の日、われわれ一家3人が帰宅する準備をしている時、いつもご飯を食べに来ていた数人の若い社長たちが、わざわざ母さんに額をプレゼントしに来た。さらに母さん自身にこの額にかけられた赤いシルクをめくらせたが、その瞬間、「おふくろの味」というまばゆい金文字に目を奪われた。

私はその若い社長たちに付き添って食事をした時、真剣に母の作った料理を味わうと、子どもの頃に食べたあの味の記憶がよみがえった。私はその時、母さんが守っていたのはこの昔のままの味なのだと、はたと悟ったのだ。

 

翻訳にあたって

 「农家菜」は農村の家庭料理、あるいはそうした料理を食べさせてくれるレストランのことで、素朴な昔懐かしい味付けの、まさに「おふくろの味」といえるものだ。最近、都会の人が豊かな自然を求めて郊外に出掛けることが多くなり、こうした「农家菜」や、日本の農家民宿に当たる「农家乐」などがとても人気がある。

 また、この話の中で母に贈られている「匾牌」は、金属あるいは木の文字が書かれた板であり、通常まぐさ(門の上方にある横木)や壁に飾られるもので、一般的に「扁額」「横額」「看板」などと訳される。日本でもおなじみの建物の名前が書かれたもの、名句などが書かれたもののほか、病気を治してもらったお医者さん、命を助けてもらった人などに感謝の気持ちを込めて贈ることもある。(福井ゆり子)

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