宇宙開発に携わり20年 率先して結果を見せる

2019-07-23 12:43:38

 

実験室で技術者にプロジェクト研究の技術的指標と性能の要求を出す王さん(中央)(新華社)

衛星測位システム「北斗」のプロジェクトが立ち上げられてからもう21年になる。王飛雪さんはそのうち20年間プロジェクトに身を投じ、チームと共にシステムに関わる鍵となる技術的問題を解決してきた。彼が率いる国防科学技術大学衛星測位システム技術センターの職員も当初の3人から300人以上にまで膨れ上がった。

「最初は北斗のプロジェクトに従事して個人の理想を実現し、いまはチームを率いて皆と共に一つの事業に努めることができています。これは国家の大きな発展と密接な関係があり、また自分の人生最大の喜びです」

行動力で不可能を可能に

さんは1971年1月に福建省西部山区にある長汀県城の知識人の家庭に生まれた。成績優秀だった王さんは高校卒業後に高校から北京大学に推薦され、通常の志願者より良い条件で受験することができたが、その時、4年前にテレビで見た国慶節の閲兵式の光景が王さんの脳裏にありありと浮かんできた。そして彼は教師や家族の反対を押し切って、国防科学技術大学を選んだ。4年後に首席で卒業したが、さらに学問の道に進み、当時の中国で最も弱く、また最も必要としていた精密誘導兵器を研究することを決意した。

94年、衛星測位システム「北斗」の研究開発プロジェクトが本格的に始まった。翌年、プロジェクトが行き詰まり、大勢の専門家による会議が何度も行われたが良い解決策は見いだせなかった。そのころ国防科学技術大学で博士課程に進んでいた王さんは寮の隣部屋に住む欧鋼さん(現在国防科学技術大学教授)と、きっと新しい方法が見つけられると信じて、この問題解決のためによく話し合った。

彼らが提出した「高速信号捕捉と受信を全デジタル化する技術草案」に中国の衛星測量技術の第一人者で、中国科学院会員の陳芳允氏は強く興味を持った。陳氏は特別に専門家を集めて審査会を開いて検討した。

しかし席では「これは国家の安全と経済の発展戦略に関わる重大な科学研究プロジェクトだ。子どもの遊びではない」「10年かかっても誰も解決できなかった難問をたった数人の若者ができるわけがない」「たとえできたとしても今後のプランはどうする」などの疑問の声が数多く上がった。専門家の多くが「まったく実現不可能だ」と思っていたのだ。

だが王さんはくじけず、仲間と共に当時としては新しいデスクトップパソコンを持ってきて、4万元のテスト費用をかけて難問解決に乗り出した。実験室は10平方もない倉庫を掃除して代用し、足りない計測機器はあちこちから借りてきた。

3年後、モニターに点滅が生じた。信号を捕捉した瞬間だった。その時、20人を超える専門家たちは自分の目を疑った。10年の時間をかけ、十数の機関と数十人の専門家が解決できなかった技術的な難題を、たった3年で無名の若者たちが解決したのだ。

王さんと彼のチームはその功績によって国家科学技術進歩2等賞を受賞した。これが彼と北斗の深い関係の始まりだ。

 

実験室で同僚と共に技術的解決策を練る (新華社)

 

3カ月で難問をクリア

2007年4月、実験衛星北斗2号が軌道に乗って間もなく、ハイパワー出力による電波障害に遭い、信号の受信成功率が50%未満となった。広大な宇宙で電波障害が速やかに解決できないということは、ネットワークを構成する十数基の衛星発射計画の無期限延期を意味し、すでに発射した衛星も期待通りの効果を挙げられなくなる。

当時は二つの解決方法があった。一つは「避難」であり、信号の周波数を変えて妨害電波を避ける。この方法は技術的な難度が低いが、すでに構築した地上システムを再建するために数十億元の損失が出るほか、電磁環境が変わるたびに衛星も周波数を変える必要があった。もう一つは「抵抗」であり、干渉耐性がある設備を増やし、電磁シールドをつくって衛星を電波障害から守る。資金面の損失は少ないが技術的な難度が高く、リスクも大きく、時間も限られているため実現は極めて困難だった。

「小さな冷蔵庫の中に大きなゾウを押し込めるようだった」。欧さんが当時を振り返って言った。衛星の体積には限りがあり、通常の干渉耐性がある設備は大きく、電力消費も多かった。小型かつ軽量で、さらに高い干渉耐性能力を持つ衛星をつくるのは当時としては非常に大きな課題だった。全員が焦り、進むのをためらっていたところ、王さんが宣言した。

「3カ月以内で解決してみせます」

時間は刻一刻と過ぎていく。今日困難に立ち向かって頑張らなければ、明日より多くの時間が必要になる、と彼は言った。そして08年5月、王さんと彼のチームはこの難関を克服し、強力な干渉耐性を備えた衛星負荷を開発し、それで北斗の干渉耐性能力を1000倍高めた。

北斗の業務に20年間従事してきた王さんはこれまで、国家科学技術進歩特等賞および2等賞、全国青年五四勲章、「求是(正しい行動を取る)」傑出青年実用工程賞という輝かしい賞を授かっている。このため彼は「北斗少帥(若い統帥者)」と呼ばれるようになった。

 

2017115日、西昌衛星発射センターで長征3号乙運搬ロケットを用い、北斗3号グローバルネットワーク衛星の打ち上げが成功した(新華社)

 

20年に北斗を世界へ

1994年に米国は10程度の誤差しかないGPSを無料で提供すると発表した。しかし各大国は自国の衛星測位システムの研究開発をやめることはなかった。ロシアは「グロナス」を開発し、ヨーロッパも「ガリレオ」の開発を進めている。その他、日本やインドなどでも衛星測位システムの研究開発がされている。

中国では20世紀後半から自国の事情に合った衛星測位システムの開発を模索し、徐々に「三歩走(3段階)」発展戦略をつくっていった。その戦略とはこうだ。2000年末までに北斗1号システムを完成させ、国内をカバーする。12年末までに北斗2号システムを完成させ、アジア太平洋地域をカバーする。20年前後までに北斗グローバルシステムを完成させ、世界をカバーする。

現在はすでに「二歩」の段階を達成しており、中国は米ロに次ぐ世界で3番目に自国の衛星測位システムを持つ国となった。

王さんは語る。「1995年に中国が北斗システムを正式につくり始めたとき、米国とロシアはすでに素晴らしい効果を発揮する自国の衛星測位システムを持っていました。われわれも同じようなものを欲しましたが当時の中国の経済力では20基以上の衛星からなるシステムはつくれませんでした。しかしそのような状況にあってもわれわれの先輩は諦めることなく、2基の衛星があれば中国周辺の土地を測位できる『双星定位』の原理を生み出したのです。現在の中国は経済成長に伴い、すでに十数基の衛星を持つ北斗2号システムをつくることができますし、今は三十数基の衛星で世界をカバーする北斗3号システムを開発中です」

2017年11月に中国は1機のロケットで2基の人工衛星を打ち上げる方法で北斗3号の第1、第2衛星(北斗システムの第24、第25衛星)を打ち上げ、北斗3号のグローバルネットワークを構築し始めた。18年末までに18基の北斗衛星が打ち上げられ、「一帯一路(シルクロード経済ベルトと21世紀海上シルクロード)」沿線諸国をカバーする。20年までに35基の衛星からなる北斗3号ネットワークが完成し、世界に向けてサービスを提供する。(高原=文)

 

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