世界最大規模の海上橋 独自開発で成功に導く

2019-07-23 12:55:26

 

201811日、世界から注目を集めていた港珠澳大橋の大陸区間が正式に開通した。3月には香港区間も開通する。香港と広東省珠海市および澳門(マカオ)をつなぐ全長55の橋は世界最長の海上橋であり、中国の交通史で最も技術が複雑で、建設要求と基準が最高ランクのプロジェクトの一つだ。

海上の人工島と海底沈埋トンネルはいずれも難度が非常に高いプロジェクトだった。中でも、6.7の沈埋トンネルは中国が初めて外海に建設する沈埋トンネルであり、世界最大の規模を持つ道路沈埋トンネルであり、世界で唯一深い場所に設置された沈埋トンネルであり、自他ともに認める「世界で最も難しいプロジェクト」だった。

「世界で最も難しいプロジェクト」に挑戦した中国の交通建設チームを率いたのは中国交通建設チーフエンジニアであり、港珠澳大橋人工島海底トンネルプロジェクトマネジャー兼チーフエンジニアの林鳴さんだ。

独自開発で問題解決

港珠澳大橋が国外で特に注目されたのはその難しさにあった。工事の規模の巨大さと建設条件の複雑さが世界の同類のプロジェクトでも過去に類を見ないものだった。

港珠澳大橋を構成する橋梁と人工島とトンネルのうち、人工島とトンネルの工事がプロジェクトの運命を握っていた。10万平方の人工島を二つと長さ6の海底沈埋トンネルを造り、それから橋梁とトンネルのジョイントを成功させることは、建設プロジェクトで最も技術が複雑で建設の難度が高く、大きな困難を伴っていた。

林さんは2005年から港珠澳大橋前期準備計画プロジェクトに参加し、1212月には人工島トンネルプロジェクトのチーフエンジニアを担当した。港珠澳大橋沈埋トンネル建設の難しさは「四つの最」で形容できると林さんは語る。一つ目は最も長い沈埋トンネルであり、これまで世界には4以上の沈埋トンネルはなかった。二つ目は最も幅が大きな沈埋トンネルであり、これまで片側三車線のトンネルはなかった。三つ目は最も深い沈埋トンネルであり、世界の一般的な海底トンネルは深さ2の場所に造られるが、珠江河口の主航路に30のタンカーが通る空間を確保するために、海底22の場所にトンネルを造らなければならず、水深を加えるとトンネル全体は水面から50下にある。四つ目は最も規模が大きいことであり、これまで5万を超える沈埋トンネルは世界になかったが、港珠澳大橋の沈埋トンネルは8万近い規模を誇る。

07年、技術者たちは沈埋トンネルプロジェクトの準備のために世界各地の実例を見て回った。当時、世界には3を超える沈埋トンネルが欧州のエーレスンド海峡と、韓国の釜山(プサン)にある巨加大橋に2本あった。後者はオランダの専門家による全面的な支援があり、トンネル構造体の沈埋函をつけるときにはそのたびに56人の専門家がアムステルダムからプサンまでやって来たという。

林さんは、港珠澳大橋の建設には世界最高のレベルと外海沈埋トンネル設置経験を持つ会社と協力しなければと考えた。そして林さんたちは当時世界で最高レベルの沈埋トンネル技術会社と交渉したが、相手側は15億ユーロという天文学的数字を提示してきた。当時の金額で15億元に相当する。

林さんは『21世紀経済報道』のインタビューで次のように答えている。「その会社と最後に商談したときに、もし3億元を出したら何をしてくれるのかと尋ねたことがあります。相手側の返事は、賛美歌でも歌いましょう、でした。その後彼らは中国で特許を申請しましたが、これがわれわれに独自開発を決心させました。港珠澳大橋人工島トンネル建設プロジェクトでは深海沈埋トンネル、人工島の急速な建設、トンネルのインフラ整備など64の新技術を開発し、一連のプロジェクトの難関を克服しました。中国の技術者が世界の海底トンネル施工技術に新しい知識とモデルを提示したのです」

 

国が一丸となり克服

努力で難題に取り組み、林さんチームはついにオリジナルのパイプ設置方法を編み出した。13年5月1日、作業員たちは96時間も苦戦し、とうとう港珠澳大橋海底トンネルの1本目の沈埋函の設置に成功した。林さんはこのときのことを、まるで自動車教習所に行ったこともなければ運転経験すらない新人ドライバーがトラックやバスを運転して北京の高速道路を走ったようなものだと例えている。

1本目の沈埋函の設置が成功したとはいえ、その後の32本全てをそれと全く同じように設置すればいいというわけではない。過酷な外海の環境と地質により、その後の施工リスクは全く予知できなかった。

このような設置作業の危険はとても高く、林さんは作業に行く前にいつも自分の部屋を振り返って見るという。なぜなら出掛けたらそのまま戻ってこられないかもしれないからだ。林さんにとって、2回も設置できずに撤退した15本目の沈埋函の設置作業は忘れられないものだった。1回目の撤退は141117日のことだった。その日の海の状況は非常に悪く、珠江河口ではめったにない10度以下の気温で、波の高さは1を超えていた。作業者たちが沈埋函を無事にドックまで送り届けたとき、クレーン船班のリーダーがこらえきれず「帰れた。やっと帰れた」という言葉をもらした。

この沈埋函の2回目の設置は15年2月24日に行われた。この設置準備のために数百人いるチームは春節(旧正月)期間中、一日も休みなく働いた。しかし設置現場に回流が発生し、船は引き返すしかなかった。当時のチームにのし掛かるプレッシャーは非常に大きく、沈埋函を15本しか設置できず、残りまだ18本も設置する必要があるのだから、このペースで続けたら工事は終わるのかと皆が考えていた。だから、林さんが「引き返すしかない」とやむなく宣言したとき、多くの作業員が涙を流した。

3回目の設置作業は15年3月のころだった。当時、回流現象は珠江河口の砂利採取と関係あることが明らかになった。林さんは当時を振り返る。「珠江河口の砂利採取企業は7社あり、200艘以上の船が操業し1万人余りが働いていましたが、港珠澳大橋建設のために操業を中止してもらいました。プロジェクトに参加した外国の専門家が、これは中国でしかできないことだと感心していました」

これらの企業の協力をむげにしないためにもチームが一丸となってあらゆる困難に耐え、プロジェクトが3カ月延期している状況で15年に10本の沈埋函設置が完了した。これは当初の計画より1カ所多く作業が進んだということだ。

 

満足のいく最後の作品

外海沈埋トンネル設置作業は困難だが、最後の1カ所のドッキングはさらに難しかった。世界を見渡しても格別に効率の良い方法はなく、中国の技術者は4年の研究と実験を経てようやく全く新しい解決策を見つけた。

17年5月2日、最後の1箇所の設置作業が始まった。従来の方法ならこの設置に少なくとも8~10カ月を要したが、新しい方法ではたった1日で連結が可能になった。沈埋トンネル建設プロジェクトで林さんが最も喜んだ出来事である。その後林さんは、33本の沈埋函を設置したのは、まるで33回受験してついに清華大学(中国の名門大学)に合格したようなものだと感嘆した。

現在の港珠澳大橋は徐々に開通していっているが、60歳を過ぎた林さんは間もなく退職する。「港珠澳大橋人工島トンネルプロジェクトは私の生涯最高の仕事で、最後にふさわしい建設物です。しかし中国の建設プロジェクトにとってこれは単なる始まりにすぎません。香港、珠海、マカオの人々がこの橋に、特にわれわれが建設した島とトンネルに満足してもらえるよう心の底から祈っています

大橋施工期間中、林さんは毎朝5時にジョギングをし続け、雨の日でもやめたことはない。プロジェクトの宿営地から出発し、途中で淇澳島と大陸を結ぶ淇澳大橋を通り、最後に伶仃洋に浮かぶ淇澳島まで往復十数の道を走る。「毎日が時間との競走で、自分の人生との競走でした。外からのプレッシャーが大きくなったときは自分の体にさらに圧力をかけることで疲労を感じさせなくすことができます。毎回ジョギング前に、ゴールに到達するまで休まないという目標を設定します。何年もやっていますが自身に失望したことはありません」

林さんはいつか港珠澳大橋全体を走りたいと思っている。

ある日、林さんはこんな質問をされた。

「大橋はきれいですか」

「きれいですね」

「自分の工事に点数をつけるとしたら何点ですか」

林さんは答えた。

「満点です」

(高原=文)

人民中国インターネット版

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