馬頭琴で「町おこし」 会社設立し雇用生む

2020-08-11 10:29:12

 

受賞した馬頭琴を持つトンリゲさん 

5月になると、内蒙古自治区ウランチャブ(烏蘭察布)市のチャハル右翼後旗は春の種まきのシーズンに入り、至る所で人々が忙しそうにしている光景を目にするが、チャガンオボ民族工芸品製作会社もその例外ではなかった。ここは蒙古族の伝統工芸品を専門に製作する会社で、店頭には馬頭琴、蒙古族の伝統家具、骨の彫刻品、銀器、皮絵などの商品が陳列され、奥の作業場では、職人たちが木材を準備したり、家具を磨いたり、楽器の胴部の彫刻をしたりしている。

この整然とした忙しそうな光景を見ると、ここが設立して2年しかたっていない企業とは思えない。会社設立のきっかけについて、会社の創業者兼技術顧問のトンリゲさんは、「偶然でした。でも確かに機運に恵まれたと思います」と笑って語った。

 

馬頭琴の製作は普段の技術の鍛錬にかかっていて、一彫りずつ全神経を注ぐ必要がある。写真は馬頭琴を彫刻するムーレンさん 

工芸美術との縁

トンリゲさんはチャハル右翼後旗で生まれ育ち、小さい頃から半農半牧畜地帯で暮らしていた。彼の記憶の中では、祖父や父親の世代のほとんどが養殖や栽培の仕事に就いていた。彼は小さい頃から絵を描くのが好きだったが、自分が工芸美術という仕事に就き、父親たちとは異なる道を歩むとは思っていなかった。

1997年、17歳のトンリゲさんは中等専門学校を卒業し、ウランチャブ市の蒙古族師範学校(2000年に集寧師範高等専門学校に合併)に入学し、美術を専攻した。トンリゲさん一家にとって学費はとても高かったが、両親は何としてでも息子を学校に行かせようとした。「当時学費として1万元が必要でしたが、わが家では200頭余りの羊を売り払い、学費に充てました」

入学後、トンリゲさんはデッサンや中国画、版画など、さまざまな形の美術創作に触れたが、中でも彫刻と絵画を好んだ。「私は蒙古族なので、後に創作するようになった時には、現代工芸美術と民族文化をどのように融合させようかと考えるようになりました」

トンリゲさんには小学校から中等専門学校まで、ムーレンさんという親友がおり、ムーレンさんは後に彼の創業パートナーともなった。トンリゲさんにとって、ムーレンさんは友人であり、兄弟であり、さらには先生でもあった。

 

さまざまな馬頭琴の頭部。トンリゲさんは実際の馬の動作や表情を常に観察し続けることで、創作のインスピレーションを得ている

 

チャガンオボ民族工芸品展示室には、蒙古族の伝統的な民族家具や車輪など、さまざまな手工芸品が並ぶ

2001年に師範学校を卒業後、トンリゲさんは就職の道を選び、ムーレンさんは外に技術を学びに行って、腕を磨くことを選んだ。13年、2人は工芸美術の創作に専念することを決め、馬頭琴をテーマにした。「学生時代すでに私とムーレンはこの分野でチャレンジしたことがありますが、その時は技術がまだ未熟でした。起業を決めた時、ムーレンの技術はかなり成熟していたため、私は彼に馬頭琴の製作技術を学んだのです」

内蒙古の草原では、馬頭琴が1挺誕生するたびに人々が盛大な儀式を催す。儀式後に牧畜民は馬頭琴の試奏会を開くが、これは内蒙古の草原に伝わる文化の名残といえる。蒙古族として、トンリゲさんは生まれつき馬頭琴に親近感を抱いていた。彼は馬頭琴の材料選び、彫刻、磨き、ニス塗り、調音技術の学習研究を始め、とうとう数十もの工程が必要な技術の精髄をわが物とした。

13年、トンリゲさんとムーレンさんは起業という道を歩み始めた。

起業から故郷の貧困脱却まで

14年、トンリゲさんは馬頭琴100挺という大口注文を受けた。彼とパートナーのムーレンさん、そして弟子のメンダさんは共に大きな精力を注いでこの注文をこなした。

「馬頭琴の製作には材料選びがとても重要で、これは馬頭琴の音色に関係してきます。また、馬頭琴の彫刻にも奥深さがあります。われわれは馬頭に蒙古馬の精神状態と身体構造を表現することを追求しています。その注文は、コストが高く、儲けがいくらも出ない仕事でしたが、馬頭琴文化を広めたいと思い、その仕事をしっかりやろうと決めたのです」とトンリゲさんは振り返る。

その後、トンリゲさんの作る馬頭琴は次第に知られるようになり、彼はどのようにしたら事業をさらに拡大できるかを考え始めた。そして18年、彼はチャンスをつかんだ。

 

 

来店客に蒙古族の特色ある皮絵について説明するトンリゲさん 

18年にチャハル右翼後旗で貧困脱却援助政策が実施されました。15の村のガチャ(村民委員会)が、それぞれ集団経済プロジェクトを申請することになったのです。そこで、私が従事している民族工芸品製作を、みんなが参加する集団経済プロジェクトにできないだろうかと考えたのです」。トンリゲさんは事業化レポートを書き、当時の副旗長だったハーインツさんに渡した。ハーインツさんはこのプロジェクトを認め、この年、トンリゲさんのチャガンオボ民族工芸品製作会社が成立したのである。

「旗政府は多くの政策で支持してくれました。1年目にガチャは80万元の資金を投入し、翌年にはさらに50万元追加してくれました。こうした渡りに船の初期資金のおかげで、私たちはこのお金で大型設備を買い、作業場を拡張し、売上高も30万元余りまで増えました」。当然、この130万元の資金は無償援助ではない。「3年以内にこれを分割返済し、この他、ガチャに利益配当をする必要がありました。設立後の2年間、15万元余りの利益配当を納めました。ガチャはこのお金で貧困家庭に対する援助を行ったのです」

この他、トンリゲさんの会社は設立1年目にして7世帯の貧困家庭の人を雇い、彼らは1年で1人当たり平均6500元の収入アップとなった。もし熟練の木工職人だったら、その収入はさらに高くなる。トンリゲさんの会社に勤める人はすでに、「1人就業すれば、その家庭は貧困から脱却できる」という目標を実現しているといえる。

 

チャガンオボの一部の製品はコンピューター彫刻機で彫刻する。トンリゲさんと彼のチームはまず装飾をデザインし、それからコンピューターにデータを打ち込む 

伝統文化保護のための努力

トンリゲさんにとって、18年は多くの収穫があった年となった。この年、彼は会社を立ち上げただけでなく、旗クラスの無形文化遺産の伝承者に選ばれたのだ。後者は彼が会社を運営する中での「意外な収穫」だったといえる。

ある時、トンリゲさんとムーレンさんは内蒙古自治区が行う研修に参加し、日本に留学したことがある講師に深い印象を抱いた。「その先生は主に無形文化遺産伝承に関する基礎知識を紹介していましたが、無形文化遺産保護の重要性も教えてくれました。うちの会社は馬頭琴や民族家具、パオ(蒙古族の移動式住居)の製作技術に関わっているため、全て無形文化遺産として登録することを目指したいと思ったのです」

同年冬、トンリゲさんは無形文化遺産保護プロジェクトへの申請に着手した。彼とムーレンさん、メンダさんの3人はそれぞれ馬頭琴製作技術、蒙古族伝統家具製作技術、パオ製作技術の伝承者の申請をし、どれも許可された。

「今年6月、私が計画建設したウランチャブ市民族工芸教育訓練拠点と民族文化研究学習拠点が完成しました。政府が大々的に支持してくれ、われわれに20万元の補助金をくれました。ここにいる貧困家庭、失業者、若い牧畜民はみんなここで技術を習うことができます。これは集団経済の新たなプロジェクトであり、無形文化遺産伝承の場でもあります。私はこの場を通してふるさとの人々に収入をもたらすだけでなく、村の生活状態や文化的雰囲気を改善できればと願っています」とトンリゲさんは語る。張勁文=文 秦斌=写真

 

人民中国インターネット版 2020810

 

 

 

 

 

 

 

 

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