善意と熱意込めて通訳 中国手話の若き担い手

2021-03-18 09:43:22

 

19歳の陳鑫さんは、南京科学技術職業学院で客室乗務員課程を専攻する大学2年生だ。また若くして活躍する手話通訳者でもある。高校2年生の時、陳さんは中国の手話通訳の資格を取った。昨年、新型コロナウイルスがまん延した時期、南京にいた陳さんは、武漢の聴覚障害患者のために何度もビデオ形式による手話通訳ボランティアとして働いた。

 

手話を実演する陳鑫さん(写真・顧思騏/人民中国)

そんな彼の働きぶりがネットで紹介されると大きな反響を呼び、さまざまなメディアから取材を受け、テレビ番組への出演依頼もひっきりなしだった。陳さんは、これはもっと多くの人に中国の手話文化を理解してもらい、聴覚障害者の生き方について社会にもっと関心を持ってもらう格好のチャンスだと思った。

00後」初の手話通訳者

陳さんが手話と出会ったのは4年前のことだ。この年、南京特別教育師範学院(南京特師、大学)の女子大学生と知り合った。この先輩を通じて陳さんは何人かの聴覚障害者と友達になった。「彼らとの交流を通して、初めてろう者の日常生活の不便さが分かりました。中でも病院で診察を受ける時、体の痛みを医者に口で伝えることができないのです」。手話通訳を必要とする多くの聴覚障害者に比べ、手話通訳者は圧倒的に不足している。

 

人民中国雑誌社での青年交流で簡単な手話を教える陳鑫さん(右)(写真・顧思騏/人民中国)

「南京には2万人ほどの聴覚障害者がいますが、手話通訳者はたった6人です」。耳の聞こえない友人たちをもっと助けたい――陳さんは手話を学ぼうと決心した。

陳さんは18年春、南京特師で行われた「中国手話通訳士養成クラス」に参加した。受講料が高かったので、取り立てて裕福ではない家庭の陳さんは、放課後にアルバイトをして受講料を稼いだ。この研修を経て陳さんはすんなり初級手話通訳に合格。全国で初めて「00後」(2000年代生まれ)の手話通訳者になった。

「手話通訳は奥の深い学問です。ただ単に何千もの手話単語やよく使う手話文法を覚え、資格証明書を手にすれば、手話通訳者として合格というわけではありません」と陳さんは話した。

その後、高校2年生になった陳さんは週3、4回、放課後に片道1時間半かけてバスに乗って南京特師に通い、ろう者の大学生から手話を学んだ。彼らと一緒にいる時間が長くなると、この大学生たちは陳さんに、「君の母校は高校じゃなくて南京特師だな」と言ってからかった。

ボランティアに積極参加

より良く手話を学ぶため、陳さんは武偉星氏や陳景渝氏などの手話専門家について勉強することにした。陳景渝氏は、なるべく多くのボランティア活動に参加し、障害者とのコミュニケーション交流を支援するよう陳さんを励まし続けた。陳さんもそうしてきたところ、昨年2月、手話交流グループチャットで、武漢の火神山病院が聴覚障害のある75歳の女性患者を受け入れたことを知った。病状についてのやり取りで医師と患者が困り果てていたため、自ら志願しビデオ通話で医師と患者の間の意思疎通を助けた。

陳さんはその時のことを振り返ってこう話す。「責任重大に感じ、その前夜は一睡もせず関係資料を調べました。当日、患者のおばあさんは、僕に手話で病状を説明した時には少し感動していたようでした。おばあさんは治療と助けを切望している様子でした。僕は泣きそうになるのをずっと我慢しました。老人がたった一人で入院する。しかも満足に人とコミュニケーションが取れないなんて、きっとすごく心細かったと思います。その気持ちはとてもよく分かりました。だから、病状に関連する情報を通訳する以外に、おばあさんには『全てうまくいくから心配しないで』という医師の励ましの言葉も伝えました」

 

病院で医師と患者のコミュニケーションをサポートする(写真提供・南京科学技術職業学院共青団委員会)

似たような経験を経て、陳さんは手話研修にさらに責任感と使命感を感じるようになった。

感染拡大中、陳さんは南京科学技術職業学院と南京市江北新区の障害者連合会と協力し、手話による感染症対策の動画を何種類か製作。さらに多くの聴覚障害者の感染症予防に役立てた。

感染状況が改善されると、陳さんは南京江北人民病院で手話ボランティアを続け、聴覚障害を持つ患者の診察を手伝い、さらに会議や非営利活動の手話通訳も受け持った。さまざまなボランティア組織や奉仕活動組織、社会団体のために手話の普及講座を開き、これまで500時間余りもボランティア活動を行ってきた。

昨年9月、陳さんが学ぶ南京科学技術職業学院は「鑫」火(燃え盛る炎)伝承ワークショップを設けた。陳さんはその責任者として全校の学生に手話研修を行い、今後は聴覚障害者に無料で手話通訳サービスを提供する予定だ。

手話と聴覚障害者の文化

手話の学習と通訳の実践で、陳さんは手話に対して新たな認識を持った。聴覚障害の友達と交流する中で陳さんは、手話は不思議な言語だと気付き、その探究に引き付けられた。

健常者はよく(中国の)手話は中国語の語順一字一字に対応していると考えているが、実際は違う。手話は一種のこう着語で、その語順は中国語とは異なり、むしろ日本語や韓国語と似たところがある。健常者の中には中国語の思考の流れに沿って手話を行う人がいるが、それが聴覚障害者の誤解を生む。

陳さんは一つ例を挙げた。もし中国語の思考に沿って「滅火」(火を消す)を手話で表す場合、まず「滅」を表してから「火」を表す。だが聴覚障害者の自然な手話は、まず「火」を表してから「滅」と表す。また、手話はさまざまな顔の表情、ジェスチャーを組み合わせて表現する非常に生き生きとした言語である。これらは全て中国語の既存の枠組みを超え、健常者が知り理解する必要がある。

招請を受けて活動に参加し、健常者に手話を紹介するたびに、手話は一つの独立した言語であり、一つの言語をマスターするには、その背後にある文化を学び理解する必要がある、と陳さんは強調する。手話について言えば、ろう者の文化を学ぶことである。

これは、中国語と対等な地位を(中国の)手話に与えることを意味する。また、同じ目線と敬意を持った態度で聴覚障害者とその文化に接し、身体障害者が社会に溶け込むのに便宜を図ることを意味するのであり、決して社会のメインストリームへの適応を求めることではない。

これまで中国社会が身体障害者に提供した支援とは、例えば聴覚障害者に補聴器や人工内耳を装着して健常者と交流できるようにしたり、身体障害者向けの福祉工場を建設し、まとめて就職させたりするなど、その多くが「リハビリ」の具現化だった。

 

朝の自習時間を利用して同じ大学の学生に手話の授業を行う陳鑫さん(写真提供・南京科学技術職業学院共青団委員会)

今、陳さんら世代は、明らかに障害者とその文化に対して新たな認識と理解を持っている。これは、社会が障害者を助けるやり方を変えるのに役立つかもしれない。

 陳さんはこう話す。多くの国で聴覚障害はもう身体的な障害ではなく、個人の身体的な特徴にすぎないと見なされている。また社会は、聴覚障害者が自立した生活が送れて好きな職業にトライできるよう、バリアフリーな生活環境の構築に努力している。こうした意識の転換と環境の改善を少しずつ行っていく必要がある。

最近、陳さんは韓国や日本、その他の国の手話を調べており、得るところが少なくないと感じている。陳さんは言う。「われわれ国内の手話教育で最大の問題は、健常者に教えてもらうということです。もし日本語を学ぶなら、必ず日本人に学びます。手話も同じ道理です。日本で行っている手話教育の動画を見ましたが、年配の聴覚障害者が手本を示していました。また、どのジェスチャーも正面と左右の三つの角度でそれぞれ示され、とてもきめ細かなやり方でした」

手話辞典を編さんするために、日本の研究者は80年の時間をかけて関連する研究を行い、執筆に十数年の時間を費しており、細心の注意を払って専門的である。陳さんは、こうした点は中国が学び参考にする価値があると考える。しかし、またこうも指摘する。日本の大学にはまだ手話通訳学科がないようだが、中国では現在、南京特別教育師範学院と鄭州工程技術学院、浙江特別教育職業学院の三つの大学に手話通訳学科が設けられている。これらが国内の手話通訳の成長と発展をけん引するよう、陳さんは望んでいる。(高原=文)

人民中国インターネット版 202134

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