次世代AIチップの開発者未開の分野に創造力が眠る

2022-08-12 16:24:18

高原=文 新華社=写真

「五一労働奨章」は、中華全国総工会が社会の各事業の中で際立った貢献を果たした労働者を奨励するために毎年授与する最高の栄誉だ。今年の受章者の中には、中国科学技術大学少年クラスの卒業生で、人工知能(AI)の分野で画期的な貢献を果たした科学者がいる。かつて世界初のディープラーニング用プロセッサIP「寒武紀1号」を研究開発し、その分野の先駆者とけん引者としてたたえられた彼こそ、中国科学院計算技術研究所副所長・研究員の陳雲霽氏だ。 

  

ゲーマーの「神童」 

陳氏は1983年に江西省南昌市の一般家庭で、歴史教師の母親と電気技師の父親の間に生まれた。父親の影響で、陳氏は子どもの頃から科学者を志し、そして確かに人並み外れた数学の才能を発揮していた。小学3年生で小学校の算数の全課程を、小学校卒業時の9歳で中学校の数学の全課程を終わらせ、5年後に中国科学技術大学少年クラスに入った。 

中国科学技術大学少年クラスは、正規の中等教育の教育課程をまだ修了していないが理工学の分野でずば抜けた能力を持つ青少年を募集していることでよく知られており、ここに入れるのは全国でも特に賢い子どもたち、つまり本物の「天才少年」だと言われている。 

少年クラスに入った陳氏は「天才」たちに囲まれ、賢さや努力で一度もトップに立ったことがなく、成績も下位にとどまり、ビリになることもあった。このことで彼はとても悩んだが、このおかげで自分の最適な位置付けと成長の方向性を絞るパワーを生み出せた。少年クラスの学生は自分の興味によって専門分野を決めることができ、多くの学生は数学か物理を選んだ。「少年クラスには、有名数学者の陳省身がした『トップを目指すな』という言葉があります。トップを取れなくても問題ありませんが、興味がある方向に進まなければと思ったんです」と陳氏は振り返る。それで彼はコンピューターを選んだ。 

小さい頃からパソコンゲームで遊ぶのが好きだった陳氏は、コンピューターに対して強い興味を持っていた。大学3年生の前期、コンピューターサイエンス学部の研究室を片っ端から訪れ、学部生を受け入れているか聞いた。最後に「コンピューター・アーキテクチャ」を教える周学海教授の研究室に拾われた。研究室では教授や先輩の雑用係をしていたが、しばらくして4年生になると、中国科学院コンピューター技術研究所で国産汎用CPU(龍芯1号)の研究開発が始まると聞き、参加したいと思った。龍芯1号の研究開発チーム長の胡偉武教授は陳氏の面接官の一人だった。「私のことを、ゲームがうまく科学研究の伸びしろもあると思った胡先生が反対意見を退けて、学部での成績が特に傑出していない私を大学院生として受け入れてくれ、幸運にも国産CPUの研究開発チームの最年少メンバーとなりました」。彼から見て、チップの設計ひいては科学研究は非常に複雑で刺激的なゲームだった。「このゲームに攻略法はなく、相手もいません。やらなければいけなかったのは、方法を探し、自分の限界を超えることです」 

  

科学研究チームと設計プランを話し合う陳氏 

  

AIチップ開発を目指す 

陳氏にとって、汎用CPUの研究開発は神聖であり挑戦だった。汎用CPUは情報産業のコアパーツであり、その地位はまさに従来の工業や産業のエンジンだ。そのようなハイテク製品の研究開発には、分厚い技術蓄積が求められる。「そのようなものを中国が独自でつくり出せるのか?」は陳氏の頭から離れない疑問であり、龍芯プロジェクトに参加する重要な動機でもあった。 

胡教授の指導を受けながら、陳氏は中国科学院コンピューター技術研究所で修士課程と博士課程を修了し、科学研究の道を歩み続けた。「龍芯1号」の参加者だった彼は「龍芯3号」の中心的な設計者となり、龍芯チームで12年奮闘し、仲間と共に経験を積みながらメキメキと成長していった。1号、2号と違い、3号はシングルコアからマルチコアになった。陳氏はこの変化をこう例える。「以前は一テーブル分の料理を一つのテーブルに出すようなものでしたが、今は一テーブル分の料理を八つのテーブルに出すようなものです」。この研究開発の経験から陳氏は多くを学び、胡教授からチップの設計方法だけではなく、深い道理をさらに理解できたと語る。「科学研究に最初から近道などなく、精いっぱい努力するしかありません」 

2008年、陳氏はHPCA(ハイパフォーマンスコンピューティング国際研究会)でプロセッサアーキテクチャに関する重要な論文を発表した。そしてその年、彼の弟で、中国科学院少年クラスを卒業し、AIアルゴリズム理論を研究する陳天石氏も中国科学院コンピューター技術研究所の客員研究員となった。兄弟は話し合い、AIチップの研究開発を目指した。「コンピューターをより賢くさせ、最終的には人間の頭と同じぐらい働ける」ものをつくり出そうとした。これが後の「寒武紀1号」だ。 

使命を早いうちに見つける 

兄弟がAIチップをつくると決心した時期はAI研究の低迷期でもあり、AIとチップ設計の学際的研究は業界内の有識者からなおさら認められていなかった。陳氏は学生から、この分野はマイナー過ぎるから論文を発表できず卒業できないかもしれないと不安を打ち明けられた。それで陳氏は学生たちに人気のある研究をやらせ、自分は大半の時間をAIチップに費やした。「これは私の学術的な夢であり、私がやらなければいけないことでした」。努力し続ければ、AIチップに対する世界の学術界の見解も徐々に変えられると信じていた。 

「良い基礎研究者になろうとすれば、きっと孤独になります。霧に覆われた森を歩いているように、出口の場所どころか出口があるのかすら、自分が何をしているのかも分からないのです」と陳氏は言うが、こうも話す。「未踏の分野には創造の空間があります。画期的だったり創始者になったりする仕事はきっと未開の地です。科学研究で一番興奮するのは、誰もやっていない仕事をすることです。社会からすぐに認められるわけではありませんし、数年や数十年たっても認められないかもしれませんが、その過程は創造に満ち、形容しがたい快楽があります」 

努力は人を裏切らない。14年に陳氏はフランスの科学者と初のディープラーニング用プロセッサアーキテクチャの設計を終わらせた。そのプロセッサアーキテクチャは「電脳」と命名され、英語では中国語の読み方で「ディエンナオ」と呼んだ。これによって陳氏は国際的な学術の舞台で頭角を現した。その後、彼と同僚は世界初のディープラーニング用プロセッサを着実につくり出し、実際のデータでその潜在力を示した。彼は自身で研究開発したそのチップを「寒武紀1号」と名付けた。地球で生命大爆発が起きたのは、5億年前のカンブリア紀(寒武紀)だからだ。陳氏はこのチップでAIチップの新紀元を切り開こうとした。 

「寒武紀1号」は16年の世界インターネット大会で公の場に姿を現し、各界から広く注目された。スマートフォン、防犯カメラ、ウェアラブル端末、ドローン、無人運転などの各種端末に使われ、一般的なインテリジェントアルゴリズムを用いた際の電力性能比はCPUとGPUをはるかに上回る。世界的に権威のある学術誌『サイエンス』は、「寒武紀」シリーズの成果はディープラーニング用プロセッサの分野で「画期的な貢献」を果たしたとして、陳氏と彼のチームをその分野における先駆者でありけん引者だと評価した。 

16年、中科寒武紀社が成立し、陳天石氏が最高経営責任者(CEO)に就任し、兄の陳氏は引き続きコンピューター技術研究所で研究に打ち込んだ。「人間が生涯で一つのことをやり遂げるのは容易ではありません。だから私は会社の経営に参加せず、研究所で基礎研究に専念することにしました。私のことを寒武紀社の創始者と誤解している人もいますが、それは正しくありません」 

20年5月、陳氏は「中国青年五四奨章」を受章した。「科学研究においてチームの役割は疑う余地がありません。孤軍奮闘ではできることは限られます。奨章は私に授与されましたが、本当にこの栄誉を受けるべきなのは研究所と研究室です」 

現在、陳氏は自分の能力を惜しまずに使って周囲の若者をできる限りサポートし、彼らの科学研究の歩みをさらに速く安定させようとしている。彼はある報告でシュテファン・ツヴァイクの「人生において、若くパワフルなときに自分の使命を発見する以上の幸せはない」を引用した。「研究や仕事をしているとき、この言葉に支えられています。個人の生活には一定の価値が必要です。特に科学研究に従事する青年にとって、自分の使命を見つけることができれば、それは非常にありがたいことです」 

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