女性を支援するカウンセラー 子を失った親に第二の人生を

2023-05-25 16:10:00

高原=文

白髪が目立つ70歳近い孫一江さんは北京紅楓女性心理カウンセリングサービスセンター(紅楓センター)で業務主任をしている。紅楓センターは中国で最初の女性支援を行う民間団体だ。1992年にここで中国初の女性の人権ホットラインが開通し、女性の健康保健、子どもの教育、法律に基づく権益保障やドメスティックバイオレンス防止など多方面にわたる相談に乗り、またたく間に極めて大きな社会的反響を巻き起こした。30年余りで紅楓ホットラインは延べ20万人余りの相談に対応し、計24期の講習で1000人以上のボランティアカウンセラーを育成した。ホットラインを通じて紅楓センターは女性を支援する多くの社会事業を起こした。 

自分の人生の2回目の春は紅楓から始まった。孫さんはそう話す。 


天津の消防士に心理カウンセリングをする孫さん(写真提供・孫一江)

ホットラインで水際対策 

昨年末、孫さんは紅楓センターの業務主任になったが、彼女と紅楓センターとの縁は2012年にさかのぼる。 

当時57歳の孫さんは心理カウンセラーの資格を取ったばかりで、実習に行く必要があった。そこで紅楓ホットラインに専門的なカウンセラーチームと監督指導制度があることを知り、ホットラインボランティアに申し込んだところ、どういうわけか紅楓センターの事業部に入った。 

事業部で孫さんが最初に担当した業務は、出稼ぎ労働者の親と共に都市部に住むが、都市部に戸籍がないために義務教育を満足に受けられない「流動児童」を対象にした「1日30分の家庭教育」だった。その名の通り、保護者に代わって毎日10分間子どもに愛情表現を伝え、10分間道徳を教え、10分間質の良い勉強の習慣を身に付けさせるという内容だ。 

業務の傍ら、孫さんはホットラインで相談を受け付け始めた。失恋したから川に飛び込んで自殺したいという少女の電話を受けたときのことをこう語る。「初めてこんな相談を受けてプレッシャーを感じましたし、驚いたのは間違いありませんが、自分が彼女を感化できると思ったらだいぶ落ち着きました。たいていの場合、未来が見えなくて思い詰めるものですが、それはそう思い込んでいるだけで、本当に未来がないわけではないと言い聞かせました。それから、自分をもう愛していない人間のために死ぬのは意味がないと時間をかけて諭しました。彼女にもっと多角的に自分を見つめるようにさせたんです」 

だが、ホットラインは電話をかけた人の気持ちをなだめるだけで、深刻な心理的問題はやはりちゃんとしたカウンセリングを受けないと解決できないと孫さんは率直に話す。紅楓ホットラインがスタートした1990年代当初、波が押し寄せるように電話がひっきりなしにかかってきて、当番のカウンセラーはいつも夜9時まで残業し、大みそかの夜にすら担当者がいたという。今では金銭面での援助不足により、夜と週末は電話を受け付けておらず、オペレーターの席も二つしか残していない。「低所得者の方々に心理的サポートを提供するせめてもの方法です。心理カウンセリングの料金を払うのが困難な人もまだたくさんいますから」 

子を失った親を支える 

紅楓センターでプログラムオフィサーとボランティアを11年する中、孫さんは同時に四つの業務の担当者となり、ボランティアチームを率いて地震被災地で不安に陥る教師と保護者のストレスを軽減させるイベントを開催したり、雲南省紅河流域の少数民族居住区に実地調査に行って、現地の人々のために子ども向けの性教育教材を作成したこともある。だが紅楓センターで最も印象深かったプロジェクトは、失独家庭の心理的援助プロジェクトだ。 

「失独家庭」とは、一人っ子(独生子女)を失い、もう子どもを産めず、養子も取らない家庭を指す。中国ではこういった人たちに多くの社会機構がさまざまな支援と援助をしており、紅楓センターは主に一人っ子を亡くした両親――ほとんどが母親――を悲しみから抜け出させ、再び社会に溶け込ませるという姿勢で社会的な心理サポートをしている。 

孫さんが2014年に失独家庭プロジェクトを始めた当時、対象となる失独母親(一人っ子を亡くした母親)は自分の年齢とほぼ変わらない、50~60歳だった。当初、主に彼女たちの大きな心の傷を治すのが仕事だと考えていたが、実際に仕事をしてみてあることに気付いた。「彼女たちには他にもとりわけ大きな問題がありました。劣等感です」 

「中国の伝統文化で、子どもは特に大事です。母親という肩書きは妻という肩書きよりも重要です。アンケート調査を取ったところ、失独母親の70%が劣等感を抱いていて、鬱や不安になりやすいことが分かりました」 

「失独母親の集会に参加したとき、集合写真を撮る段になって、顔見知りの女性に後ろから肩をたたかれてこう言われたんです。孫先生、どうして私たちと一緒に写真を撮るんですか?って。まるで自分たちが他人と同じ写真に写るのがとても縁起が悪く、一緒に写った人が不幸になると思っているようでした。それを聞き、とてもやりきれなくなりました。また、年越しのときには一般的に親戚に会いに行きますが、彼女らも親戚の家に行きます。そしてその家の子どもを見たとき、心を揺り動かされますし、親戚も幸せそうな様子を彼女らに見せるのをためらいます。だから彼女たちの多くが年越しに実家に帰らず遊びに出掛けるんです。これを『年躱し』と呼んでいます」 

さまざまな心理療法セミナー、個別のカウンセリング、訪問調査などを行うのは、失独母親の心の痛みと劣等感をなくさせ、彼女たちに再び自分の価値を見いだしてもらうためだと孫さんは言う。「彼女らが徐々に社会に再び溶け込み、人生をやり直したとき、私たちの仕事は成功したといえます」 


2013年に四川省雅安市蘆山県で地震が発生し、紅楓センターは被災地の子どもたちの心理的サポートをした。写真は現地への再訪問で子どもたちと記念撮影する孫さん(写真提供・孫一江)

人助けのノウハウ後世に 

そのため、プロジェクト終了後に孫さんは失独両親のためにさらなる社会福祉事業を行った。 

「失独両親のために何かできないか悩み、彼らに社会福祉事業に参加したいかアンケート調査をしたことがあります。存在価値がないと思い込んでいるのなら、他人の手伝いをさせてみてはどうだろうと考えたんです。調査の結果、80%以上が社会福祉事業に参加したいと答え、とてもうれしくなりました」 

「そのときちょうど知り合いの女の子が、ボランティアを募って福祉施設の高齢者や目の見えない子どもにギョーザをつくる『まごころギョーザ』という活動を企画しました。失独両親の活動は今まで全て無料で、そのときは参加者に材料費を出してもらったので少し不安はありましたが、ふたを開けてみるとあっという間に満員になりました」 

「活動に参加した失独母親のことが特に印象に残っています。深刻な不安障害を患っていて、心臓発作のようなパニック障害を起こすので普段は外出しませんが、そのときは夫に付き添われて来たんです」。活動終了前に参加者から感想を聞くと、多くの人が満足したと答え、自宅近くの介護施設にボランティアに行きたいと言ってくれた人さえいた。「彼女たち以上にうれしかったです」と孫さんは振り返る。 

15年に孫さんは紅楓のプログラムオフィサーを辞め、心理学を体系的に学んだ。昨年、紅楓センターに戻って業務主任に就いてから、真っ先に思い浮かべたのが、失独両親という人々だった。だが当時の紅楓に失独プロジェクトの資金的援助がなかったため、資金ゼロでもできるサービスの形を模索した。 

孫さんが失独両親のための微信(中国版LINE)のグループチャットをつくると、1週間もしないうちに500人の定員が埋まった。そのグループでは毎月、紅楓のボランティアが親たちに付き添って、落ち葉アート、高齢者へのスマホ教室、集合写真や旅行写真のアルバムづくりなど実際にイベントを行った。 

今年の春節に孫さんはみんなでパーティーを開く予定だったが、その頃は新型コロナウイルス感染症の拡大が深刻な時期だったため、微信のグループ内で行われることになった。大みそか夜、新たな試みとなる「紅楓春晩」がメッセンジャーアプリで開かれた。みんな、ボランティアたちが投稿する年始のあいさつ動画を視聴し、なぞなぞやお年玉の奪い合いといった新春の催しを楽しみ、グループにいる社会団体のスタッフ20人によるダンス、戯曲、楽器演奏を鑑賞し、普段とは違う春節のにぎやかさとぬくもりを味わった。 

孫さんはさらに自身が編さんした『失独を考える』に失独プロジェクトの経験を書き記すことで、「ホットラインから問題を見つけ、アンケート調査を行い、社会福祉事業の申請と計画を行い、実施後に経験と成果をまとめて出版し、後世の参考にする」という紅楓の優れた伝統を継承した。 

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