農村のアマチュアバスケ選手 プロ顔負け!観客熱狂の大会

2023-06-29 11:37:00

高原=文

3月27日、貴州省第1回「美しい村」バスケットボールリーグの決勝戦が同省黔東南ミャオ(苗)族トン(侗)族自治州台江県の台盘村で行われた。昨年夏から始まったこの「庶民」的なアマチュアバスケリーグは、SNSによって瞬く間に「メジャー」となり、微博(中国の有名SNS)のトピックに上った「貴州『村BA』決勝戦」の閲覧数は9200万以上になった。この大会はネットで、NBA(米国のプロバスケリーグ)やCBA(中国のプロバスケリーグ)をまね、親しみを込めて「村BA」と呼ばれた。 

「村BA」の決勝戦では、2万人を収容できるバスケットコートの観客席に空席が見当たらず、他の省や市から駆け付けた大勢の観客は脚立に上って見るしかなく、一時は脚立すら手に入らない状態になった。その夜、黔東南ミャオ族トン族自治州代表チームは68対65で遵義市代表チームを打ち破って優勝し、同チーム選手の欧明輝さんはMVP(最優秀選手賞)に選ばれた。身長175センチの農村出身の若者は、まさか27歳で自分のバスケの夢をかなえられるとは想像すらしていなかった。 


表彰式で優勝トロフィーを手に、銀の冠をかぶる欧さん(新華社) 


牛飼いと練習の両立 

台江県九里村出身の欧明輝さんは8歳のとき、体育教師だった父方の叔父の影響でバスケットボールに触れた。恵まれた身体能力を持ち、基本的な動きもしっかりしていて、小学4、5年生のときには中学生と一緒に試合をしても少しも引けを取ることなく、着実に成長していった。 

欧さんが子どもの頃のバスケコートは通常の半分の面積しかなく、しかも今のようなセメント製でもなく、一面黄色土だったため、ドリブルをすると手が黄色くなった。ゴールは木の棒に固定した木の板にくくりつけてあった。「体系的なトレーニングをしたことは一度もなく、他の村との試合で自身を鍛え、試合を通じて成長し、技術を磨いていきました。対戦チームに大人がいることもしょっちゅうで、私より身長が高いので、バスケへの情熱だけを武器に立ち向かうしかありませんでした」 

全てのバスケ好き同様、欧さんもNBAに興味がある。「家にカラーテレビが来たのは中学生になってからです。それまでは何年も白黒のNBAを見ていました」。彼の憧れはコービー・ブライアント選手で、コービー選手のように試合終了間際でファンタスティックな逆転劇をする自分の姿をいつも妄想していた。 

しかし欧さんの両親は息子がバスケを続けるのを良しとせず、しっかり勉強するよう口酸っぱく言っていた。それでも欧さんは勉強しても身が入らず、授業中も上の空で、授業の合間の10分間の休み時間にバスケをすることばかり考えていた。放課後には友達とバスケをしてから夜遅くに帰宅し、いつも両親に叱られた。中学校に上がり、学校の代表選手として台江県内の試合に出るようになると、ようやく家族から応援され始めた。大学を卒業した欧さんは、バスケなしの生活がもう考えられないと思い、バスケスクールを開いた。余暇にアマチュアチームの一員として試合に出場し、試合がないときは実家で両親と共に畑仕事や養鶏、牛の放牧にいそしんだ。 

欧さんの家では3頭の雄の水牛を飼育しており、彼は毎日午後4時から7時まで、川辺の決まった場所まで行って草を食べさせる。そこに放牧するのは、その近くのグリーンツーリズム施設に古びたバスケゴールがあるからだ。そこで牛を見ながらバスケの練習ができるというわけだ。 

 

ダサ格好いい大会風景 

「村BA」バスケリーグは欧さんに活躍の場所を与えた。そこで彼はコービー選手のように終了間際のスリーポイントシュートでチームを勝利に導いた。そればかりか「農村からたくさんの仲間が試合を見に来てくれたのが、一番うれしかったです。私はNBA決勝戦の舞台に上がるプロバスケ選手の気持ちにはなれませんが、彼らだって田舎のバスケリーグの雰囲気やそれに挑む私の気持ちは味わえません。彼らには彼らの、私たちには私たちの夢があって、根本的な部分は同じなんです」と語る。 

貴州省「村BA」は、毎年秋に台江県台盘村のミャオ族が豊作を祝う「喫新節」でバスケ、闘牛、歌謡などの試合を開催する祭事がルーツだ。1936年から現在まで、村では毎年バスケの試合を途切れることなく開き続けているらしく、他村のアマチュアチームや観客が大勢集まってくる。昨年は参加チームが多すぎたせいで、夜中や明け方に試合をするという状況さえあった。そのため2021年から、各地で選抜試合を行った上で、第1回「美しい村」バスケリーグのメイン会場を台盘村に置くことが決定された。 

貴州省体育局のデータによると、このリーグには同省の9の地級市と自治州、88の県と県級市から合わせて2624チームが参加し、5457試合が行われた。欧さんはこのリーグがとても長い道のりを歩いたと述べる。まず村大会を勝ち抜いてから鎮大会、県大会のように徐々に決勝戦へ進んでいったのだ。彼のチームメイトには配達業者、農家、出稼ぎ労働者、大学生もいた。大会では「アマチュア性」を確実に保証するために、試合のチケットを売らない、試合場に広告を貼らない、選手は農村戸籍を持っていなければならない、出場年齢は22歳以上、出身村を代表して出場しなければいけないというルールが設けられた。 

「村BA」がメジャーになった理由は、その「アマチュア性」と素朴さにある。試合前やハーフタイムにミャオ族の民謡や蘆笙(竹製の管楽器)などの出し物もあり、ダンサーたちが一部の観客を交えて「苗迪」(ミャオ族風のディスコ)も踊った。「恥ずかしいと思わなければ、どんなショーもできる」と台盘村の住民は言う。「苗迪」とは現地で流行している集団で踊るダンスで、「反排木鼓舞」(同省の反排村に伝わる木製の太鼓をたたいて踊るダンス)などミャオ族の民族舞踊要素を融合し、テンポが良く誰でもできる踊りに現代的な電子音楽をBGMにすることで、現地に広く浸透している。 

決勝戦後の授賞式で登場した賞品もあか抜けないものだった。優勝チームにはトロフィーの他に、ミャオ族の銀の冠と2袋の香り米が一人ずつに贈られた。準優勝チームには一人ずつにカヌーの模型とチョウザメ1匹、3位のチームの選手には台江ミャオ族の刺しゅうとアイガモ2羽が贈られた。 


上から見た試合会場(vcg)

  

金銭の発生しない楽しみ方 

「村BA」という言葉は2022年から注目され始めたが、農村でのバスケリーグは何年も前から民間で盛んだった。農村にスポーツ施設が設置され、完備されるにつれ、バスケをはじめとする大衆的スポーツがますます多くの一般人の生活に定着した。寧夏回族自治区西吉県バスケットボール協会会長の単明成さんは、以前は黄色土のコートでバスケをしていたため、「一試合すれば全身砂まみれになった」と振り返る。現在は県内に体育館がいくつも建てられ、屋内バスケットコートが二つもある学校さえあり、「週末になると、体育館はバスケをしに来た人だらけになる」のだという。貴州省の他にも、寧夏、甘粛、河南、広東などの省や自治区も独自の農村バスケ大会を開き、寧夏第6回農民バスケコンテストだけでも、191の村から延べ1万4000人余りが参加した。今年5月、国家体育総局は台盘村で次の「村BA」の開幕式を開いた。この大会は全国の農村を対象にしており、村単位でチームとなって出場し、最後に台盘村で決勝戦を行う。 

今まで見たリーグ戦の中で「村BA」が一番良かったと評価したネットユーザーは、「競技スポーツの精神が感じられるだけじゃなく、大衆向けスポーツ特有の親しみも感じられ、スポーツとは何か、人々から好まれるスポーツとは何かを余すところなく説明している」と述べた。「村BA」は専門性に欠け、プロのリーグ戦と同列に扱えないという声もあった。これに対し、台盘村村民委員会主任兼台盘村バスケットボール協会会長の岑江龍さんは次のように語る。「(私たちの)競技スポーツとしてのレベルは確かにプロリーグほど高くはありませんが、住民の参加率はとても高いです。選手の能力はそれほど高くなく、もともとの素質もプロより劣りますが、コート上でボールを奪い合う選手たちの白熱した戦いはいっそう手に汗握り、楽しいものがあります。コートもそれほど豪華ではなく、完備されていませんが、バスケファンが楽しみたいから上げる応援や歓声に観客全員が心から満足するのです」 


試合を観戦するバスケファンたち。大会の純粋性を保証するため、「村BA」は一貫してチケットを売らず、広告を打たない(vcg) 

台盘郷副郷長の張任泉さんは、「村BA」の純粋性を保ち続ければ、それを長期的に発展させられるので、そのために「投資を受けない」ことが「村BA」を長続きさせる最善の方法だと考える。「純粋なバスケ、純粋な楽しみに損得勘定は挟まれず、そこには愛しかありません」

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