―10年前の「あの瞬間」に今も声を詰まらせる 国際緊急援助隊員が語る四川大地震

2018-05-11 17:12:15

文:于文

 

 

四川大地震の模様を記録した写真集『大愛無彊』を手に当時の様子を振り返る藤谷浩至さん 

 

 2008年5月12日14時28分04秒、マグニチュード8.0の揺れが四川省アバ・チベット族チャン族自治州の汶川県を襲い、7万人近い死者、1万8千人の行方不明者、37万人以上の負傷者を出した。あれから10年、被災地は復興への足取りを早めて平静を取り戻しつつあるが、今でも忘れることができないのは、地震発生直後の被災地で撮られた映像だ。心温まる瞬間を切り取ったそれに、勇気と希望を与えてもらった人も決して少なくないはずだ。
 さきごろ李克強総理が訪日したことをきっかけに、両国の友好、共生とウインウインを望むムードが徐々に戻りつつあるように見える。四川大地震以降も東日本大震災、熊本大震災と地震による不幸が続いて両国民の眉を曇らせたが、互いに助け合い、苦難の中で生まれた様々な美談がひとつ、またひとつと浮かび上がってきた。四川大地震から10年を迎える今日、『人民中国』は当時現場で救出活動に当たった日本国際緊急援助隊の藤谷浩至さんに取材を行い、当時の模様を語ってもらった。

 

 

現在JICAの東・中央アジア部部長をつとめる藤谷さんは、2008年に発生した四川大地震の救援活動に当たった

 

  「震災から3年ほど後でしょうか、洞爺湖サミットで当時の胡錦濤主席が札幌に来られた際、援助隊メンバー何人かにお会いいただきました。この写真集はその時に記念品としていただいたものです」
当時の記憶をたどるように、藤谷さんは写真集のページをめくりながら私たちに語る。その手が止まったのは、日本の救援隊が犠牲者に黙祷を捧げる写真のページだった。絞り出すように「あと1日早かったら、救える生命だったのかもしれません…」とつぶやき、あとは声にならない。10年経った今でも、無念の思いが藤谷さんの心を支配しているのだ。その写真に促されるように、藤谷さんは当時の様子をぽつりぽつりと私たちに話しはじめた。

 


深夜の到着、現場に直行

 

汶川の被災地で救援活動を行う日本の緊急援助隊

 

 5月12日、中国で大きい地震があったというニュースが、確かインターネットなどでも流れていたと思います。夕方の時点で、死者の数はあまり報道されておらず、まだ1ケタレベルでした。しかし私は、震源地の四川から遠く離れた北京や上海でも揺れを感じたというニュースを聞き、これは相当大きな地震が起きたのではと直感しました。私は中国に長く勤務していましたし、中国語も若干しゃべれるので、緊急援助隊事務局に「もし救援などという話になればできるだけ協力したい」と言ったことを覚えています。

 
 中国は過去に地震を始めとする災害にあたって、国外からの物資の受け入れはしていました。しかし私の知る限りでは国際援助隊の派遣を受け入れた実績がなかったので、中国側の派遣要請が来るかはわかりませんでした。翌日が過ぎ、翌々日になっても何の連絡もありません。すでに震災発生から丸2日経ってしまったので、もうこのタイミングでの派遣はないなと思っていたところ、15日の午前中に突然来てほしいという話があり、昼には派遣が決まっていました。

 
 援助隊は2回に分けて現地に向かいました。第一陣が30人、第二陣が30人だったと思います。派遣要請を受けたその日の昼、私は自宅に戻ってパスポートと身の回りの簡単なものだけを持ち、会社の緊急援助隊事務局に戻ってそのまま出発しました。

 午後6時に成田を発ったので、北京に着いたのは夜も遅くなってからでした。しかし私たちはすぐに飛行機を乗り換え、真夜中の成都に降り立ちました。それまではどこに派遣されるのかはわからなかったのですが、成都到着後に青川県で活動してくださいと言われ、すぐ移動を始めました。

 高速道路や有料道路のような大きな道は、地震の被害で通行禁止になっていたため、細い道を通るしかありませんでした。さらに他の車もこの細い道に集中しますから、とても渋滞していました。現地に到着する時間が遅れるのがもどかしく、早く着いてくれと心の中で祈るばかりでした。



犠牲者に捧げた黙祷

 

日本の緊急援助隊が黙祷するこの写真は、犠牲者に対する心からの哀悼の意が感じられると、中国国内で大きな話題となった 

 

 最初派遣された被災地は相当な山奥で、大規模な土砂崩れが起きている現場でした。すでに人力で救い出すのが難しい状況で、我々が何らかの活動を行っても、お役に立つのは難しいと思われました。そこで次は同じ青川県の別の場所である喬庄鎮に向かいました。それがあの黙祷の写真を撮ったところです。


 喬庄鎮には16日のほぼ夕方に近い時間帯に到着しましたが、色々な建物が倒壊していたため、まずは生存者がいる可能性があるところの捜索をということで、病院の職員宿舎のようなところに目星をつけ、残っている人がいるのかもしれない、生き埋めになっている人がいるかもしれないと救助活動をはじめました。たまたますぐ近くに建設機械があり、操作ができる隊員が瓦礫を退けるなどの作業を行いました。


 救出作業は夜を徹して行われ、朝方にようやく見つかった方は、残念ながらすでにお亡くなりになっていました。生きている間に何とか助け出したかった、でも間に合わなかったという残念な気持ちと、もう少し早く来られたらという言う無念は、どの隊員も恐らく同じだったのでしょう。誰からということもなく黙祷をという声が上がり、その場に整列して救助チームの中隊長の号令で黙祷を行いました。日本と中国のマスコミが我々の活動を密着取材していましたが、この写真は恐らく新華社のカメラマンが撮られたものだと思います。黙祷の様子が中国国内で配信され、大きな感動を呼んだということは、当時現場にいた私たちは全く知らず、あとになって聞かされました。

 
 私は調整役として、中国政府との連絡役とマスコミ対応担当の副隊長で参加していたため、実際の救助作業に携わってはいませんが、実際の作業に携わった人たちは、1人でも生きて救いたかったという思いがとても強かったと思います。ですから私たちとしては必ずしも満足のいく仕事ができたとは思ってはいません。

 四川大地震は、中国が外国の援助隊を受け入れた初めての災害でした。ですから現地に入った我々を見た被災者のみなさんは、我々が何のために来たのかがわかっていなかったかもしれません。しかし我々の瓦礫撤去作業などを見るうちにとても暖かく受け入れてくださり、お湯やお茶をいただいたり、我々は食料持参で現地入りしていましたが、ちょっとした食料をいただいたりなどということもありました。中国の救助隊のみなさんは実に一生懸命作業をされていて、我々のチームも彼らとは上手くコミュニケーションを取ることができたと思っています。通訳はほとんどが中国の方でした。ほぼボランティアに近い形で、我々の活動に参加していただきました。

 


苦難の中にあるまごころの重さ

 

2011年3月11日の東日本大震災発生時には、中国の救援隊も被災地に急行した。この写真は救援隊員が岩手の倒壊家屋で生存者を探している様子 

 

  確か5年ほど前に、救助活動に携わった我々隊員を、その後の被災地に中国側が案内してくださるという招待があり、私も一行に加わりました。かなり復興が進んでいて、様変わりしていることに驚きましたが、倒壊した建物等もあえてそのまま残すことで、災害の悲惨さを伝えているようにも見えました。その視察は1〜2日という短い時間だったので正確な記憶ではなく、詳細をお話するのは難しいのですが、政府が復興に力を入れて取り組んでおられることは印象に残り、被災地の住民をその他の地域に移転させ、新たな生活を営んでもらおうという取り組みが非常に迅速に進んでいる印象でした。ただこれは東日本大震災も同じなのですが、建物を新築するのは比較的簡単なものの、コミュニティーの復興にはかなり時間がかかると思うので、こういった方面に対しても、中国政府が引き続き取り組んでいくであろうと想像しています。中国そして四川では、防災のための協力プロジェクトを現在までにいくつも立ち上げてきました。これらの取り組みをその時にも見せていただきましたが、今後も機会があれば、その後の復興の様子を勉強のために見せていただきたいと思っています。 

 
 東日本大震災では中国の救援チームに来ていただき、色々な支援をいただいたと聞きました。大規模な自然災害という、人の手が及ばない、人間としてどうしようもない状況になったときに、手を差し伸べてくれる、助けてくれる人がいるというのは、被災者の心の支えになると思います。私が四川での救助活動に参加した意義もそこにあったのかもしれません。確かに生存者を救い出すという点ではお役に立てたかわかりません。しかし我々が現地に駆けつけたことで、現地の人たちの励みになったという点ではお役に立てたのではと思いますし、東日本大震災の被災者も、支援に立ち上がってくれた中国の方々を見ることで、同じように心強かったのではないかと思います。

 

 

2016年の熊本大震災発生の翌日、『人民中国』は被災地の人々に送るはげましのメッセージとして「パンダがくまモンを慰問する」がテーマのイラストを発表した  

 
 私はJICA(国際協力機構)に入って30年以上になりますが、多くの期間を中国関連の業務と関わってきました。最近は日本と中国の関係がなかなか難しいと感じることはままあります。しかしお互いに困った時にさっと必要な手を差し伸べられる関係は非常に大切だと思いますし、お互いの関係を大切にしているという相手へのメッセージになるとも思います。 

 

人民中国インターネット版201854

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