心のバリアフリー

2018-09-17 16:21:06

井内英人

昨年のちょうど今頃の出来事である。「俺、中国に帰りたい!」泣きながら訴える僕に、母は、困るというより、不思議そうな顔をしていたのを覚えている。その理由は、こうだ。

2014年から2017年にかけて、丸三年間、父の仕事の都合で、母と弟とともに上海で暮らした。出身は東京、国籍は日本、両親も日本人、それまで中国とは全く縁のなかった僕が、中国に「行きたい」ではなく、中国を我が故郷のように想い「帰りたい」という言葉を発したことに驚いたらしい。ただ、僕としては、「帰りたい」という言葉は、何か考えがあったわけではなく、純粋に、自然に出てきた言葉だった。あの頃は、帰国直後で日本での中学校生活に慣れるのに必死で、また高校入試のことなどもあって、確かに、精神的に少し不安定だったのかもしれない。しかし、一年経った今でもはっきり言えるのは、僕の心の故郷は中国であり、この想いをいつまでも大切に抱いていきたい、そんなことを思わせてくれる中国での生活があった。

父の赴任が決まった当時、日本人学校に隣接するマンションで暮らすことが決まり、そこから歩いて通学する予定だった。しかし、学校との面談の結果、弟は合格、僕は不合格となってしまった。理由は、僕の身体障がいのためだった。日本では皆と同じく普通学級で過ごしていたので、僕も両親も何の問題もなく編入できると思っていたが、そうではなかった。高層マンションの眼下に広がる日本人学校を眺めながら、ここは日本ではなく中国だから仕方ないと自分に言い聞かせた。

ところが、そんな僕たちが通うことになったのは、なんと上海市立の現地校だった。王校長先生から「義務教育だから、明日からでもいらっしゃい」と言っていただいたのだ。もちろん、障がいのことなど問われなかった。授業も全部中国語で、当初、先生が何を言っているのかさっぱりわからなかったが、何もかもが初めての事だらけで、刺激的で、毎日ワクワクした。何より、予想に反して、皆が好意的だった。困っていると皆がわっと集まって色々助けてくれて、それが少し恥ずかしく、でも、とても有難かった。すまなそうに礼を言うと「没事、没事!」と明るく返事をしてくれて、今、思うと、僕の上海での学生生活は、このような日々のささやかな出来事の中で、勇気と元気をもらって支えられていたのではないかとあらためて感じる。もちろん、家族ぐるみで付き合えるような友人もできた。また、学校生活だけでなく、地下鉄やバスでも、よく席を譲ってもらった。それに気付かないでいると、服の裾を引っ張ってまでして、座れと教えてくれた。そして、時には、「もっと豆を食べなさい」とか、こちらがもう勘弁してくれと思うほど、大きな声であれこれアドバイスをしてくれたりした。日本では席を譲られた経験などなく、まして、見知らぬ人が、僕の身体を心配して食事のアドバイスをしてくれることはまず無いわけで、上海でのこの出来事には、今でも時々思い出しては笑ってしまう。

中国の中でも、上海は、世界有数の大都市であり、道路や歩道も整備され、地下鉄にもエレベーターやホームドアが設置されていて、僕からみても、バリアフリー化は進んでいると感じた。しかし、それ以上に思うのは、言葉がわからないとか、障がいがあるとか、そういったことに煩わされることなく、僕なりに充実した生活を送ることができたのは、中国人の心の中に、真のバリアフリーがあるからではないかと思う。

僕は、現在、日本の高校で中国語を学んでいる。今年の夏休みは、知人を訪ねて、北京でホームステイをする予定だ。僕がお願いしたところ、二つ返事で了解してくれた。即断即決なのも中国人の良い所だと思う。将来は、中国人の本質的な良さを分かってもらえるような仕事に就きたいと思っている。

人民中国インターネット版

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