あの時、話しかけてくれてありがとう

2018-09-17 16:59:43

中塚咲希

 私の悪い癖。それは人を見た目で判断する時があること。街に少し怖そうな人がいたら何となく避けて通ろうとするし、電車の中に宴会帰りのサラリーマンがいたら少し距離をとってしまう。そして、この日もそうだった。携帯の画面を見つめて困っている男性がひとり、電車の券売機の前に立っていた。少し離れた場所から見ても日本人ではないことは明らかだった。日本語以外の言語を話すことができない私は、彼を助けてあげることはできないから声をかけるのはやめておこうと思い、歩くスピードを少しだけ速めた。

 しかし、嫌な予感は的中した。

  「すみません、この場所に行きたいのですが。どうすればいいですか?」

  彼は一枚の写真を提示しながら片言の日本語でそう話しかけてきた。あぁなんでまた私…。半ばそんな気持ちだったが、そこは有名な観光スポットで、それがどこだかすぐに分かった。しかし、道のりを言葉で伝えるにはあまりにも難しすぎたため、最寄り駅までの切符を買ってあげた後、途中まで同行することにした。第二外国語の中国語の授業で習った、決して使うことはないだろうと思って記憶の片隅に眠らせていた単語を必死に呼び覚まして、スマートフォンの翻訳アプリに助けを求めながらも、電車の中ではたくさんの話をした。彼は中国人で日本へは桜を見に来たこと、いつか日本で働きたいと思っていること、私が中国旅行の際に訪れたことがある観光スポットの近くが彼の地元であったことも分かった。こんなことならもっとまじめに授業を受けておくべきだった、まさか役に立つ日がくるとは思いもしなかった、と後悔しているうちにあっという間に彼との別れの時になった。人助けをした、そんな気は一切なかったから、彼が無事にたどり着くことができたかという不安な気持ちは一晩寝たら忘れていた。

 数日後、私の携帯に見慣れない名前から「画像を送信しました」の文字と1件のメッセージが届いていた。開いてみると、そこには満開の桜の写真と、「今日帰国します、ありがとう。日本がもっと大好きになりました。」の文字があった。送り主はあの時の中国人だった。確かに何かあったら連絡して、と連絡先を教えたがまさかわざわざお礼を言ってくれるとは想定外だった。「人は見かけによらない一面を持っている」よく耳にする言葉だが、まさにこのことだと思った。実際に交流してみたらイメージとは全く違くて、とても優しい心を持っていた。私は言語の壁を超えてうまくコミュニケーションできなかった、最後まで案内することも、彼の言葉を理解できないことも何度もあった。まして、道案内を快く受け入れたわけではなかったのに。それなのに彼は感謝を伝えてくれた、些細なことかもしれないが、私にはその気持ちがとてもうれしかった。もし自分が反対の立場なら、もちろん感謝はするが、もう一生会う事はないであろう相手に対して実際に行動することはないと思う。

 多くの人はメディアによる中国へのイメージに縛られて、日本への観光客に対しても偏見の目で見る。マナーを守れていない方に対して、これだから中国人はと決めつける。自分が海外に行ったら完璧にその国のマナーを守ることができているか保証できるはずもないのに。私も最初はそんな多数派の一人だった。でも今は違うとはっきり言う事ができる。この出来事があって中国語の勉強を始めた。また道を聞かれた時のために、その時はきちんと会話ができるように。

隣同士の国、これからの世界経済を牽引していくであろう日本と中国。これからどんな関係になっていくだろうか。よきライバルであり、最高の仲間である、そんな関係を築いていけるだろうか。両国の未来があの時に彼が見た満開の桜のように美しいものでありますように。

人民中国インターネット版

 

 

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