日中の絆-長崎と福建

2018-09-18 15:34:59

森井宏典

長崎。ここは異国情緒あふれる和・華・蘭文化が花開いた日本最西端の都市。長崎の街を見渡すと、鎖国時代の中でも、日本で唯一、海外に港が開かれ、さまざまな人や文化が行き交った名残を多く感じることができる。僕は、大学進学と共にこの長崎の地にやってきた。この地を選んだ理由は、中国への強い憧れからだ。高校三年生当時の僕は、進路に悩んでいた。中国について学びたい。ただその一心であった。しかし、当時の僕は英語が絶望的に苦手で、とても外国語学部に行けるような成績ではなかった。それでも、中国について学びたいという希望を諦めきれず、古くから中国との交流が深い長崎県の大学に進学することを決めた。大学への入学が決まると僕は、懸命に中国語の勉強に励んだ。中国語の先生の熱心な指導のおかげもあり、中国語だけではなく、中国の文化や歴史についても理解を深めていくことができた。さらに、大学の中国人留学生と交流に努め、多くのことを共に学んだ。

 長崎は、第二次世界対戦時、広島に次いでプルトニウム原子爆弾「ファットマン」が落とされた被爆地でもある。僕は、中国人留学生と共に長崎の平和公園を訪れ、被爆体験者の講話をきき留学生と共に平和について考えた。この原子爆弾は、多くの日本人を死に追いやった兵器である。しかし、それと共に、日本人に些細なことでとがめられ、浦上刑務所に入れられた多くの中国人、朝鮮人も死に追いやった。人間はどうしても自分中心に考えてしまう。中国人留学生と共に学んだことにより、我々は被害者だけではないということを、改めて気づかされた。

 僕は長崎に来てから、“長崎に居ながら中国を感じる”そんな場面を多く体験してきた。その中でも、長崎ランタンフェスティバルは特筆すべき長崎の一大イベントであろう。この祭りは、長崎新地中華街の人たちが春節を祝う行事として始めた。長崎の街は約15千もの中国ランタンで埋めつくされ、極彩色の灯で彩られる。中国雑伎団による変面ショーや、浙江婺劇団による演舞も楽しめ、日本にいながら中国を感じることができる。それはこのランタンフェスティバルの右に出るものはない。

長崎県は、日本の自治体の中でも特に日中交流に力を入れている県であるといえる。19729月の国交正常化から1ヶ月もたたないうちに、日本の地方自治体としては初めて、久保知事自らが団長となり、友好訪中団を派遣するなど、全国に先駆けて中国との交流を進めてきた。僕自身、長崎に来てから様々な日中交流事業に参加した。その中でも特に印象深いのが昨年9月に行われた「未来へつなぐ日中青少年交流事業」だ。僕はこの事業で、約1週間、北京・上海・福州を訪問し、中国人学生と交流をした。福州で、僕は一人の中国人大学生と「日本と中国がどうしたらよりよい友好関係を築いていけるのか」について、夜が明けるまで話し合った。その時、彼が言った言葉が今でも忘れられない。

「『国の交わりは民の相親しむに在り』両国の友好促進には、相手の国に対する親近感を高めることが何より大切である。相手の国に好感を持つには、まず相手の国のことを知らないといけない。私は日本語専攻で日本語を学んだことがある人、日本へ留学や旅行に行ったことがある人など多くの知り合いがいる。その中に、日本が嫌いな人はいない。同様に、中国語を学んだことがある人、中国に長く滞在したことがある人の中にも、中国が好きな人が圧倒的に多い。だから、日本と中国がよりよい友好関係を築いていくためには、相手のことをできるだけ多く学び、誤解と偏見を解消することが大切だ。」と。

日本と中国。両国は2000年以上の交流をもつ隣国であるが、互いの思いがうまく伝わらず、すれ違うことも少なくなかった。しかし、「国の交わりは民の相親しむに在り」というように、我々一人一人が直接親しく付き合いお互いのことを思いやることこそが大事なのだ。

人民中国インターネット版

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