「うっちゃんと私と中国と」

2018-09-20 11:26:04

和田結希

今年の春に人生で初めて、大学院の仲間と4人で中国へ旅行に行った時のことである。その中で一番騒がしい「うっちゃん」は、旅行初日もおどけて「今日も私はかわいいなー」と独り言を言っていた。うっちゃんは、青島出身の中国人で、今回の旅のキーパーソンだ。

 うっちゃん以外は日本人で、中国語が話せない。初めての中国旅行で不安が無かったわけではないが、それ以上に私はこの旅行が楽しみで仕方なかった。私にとって中国がそれだけ身近な存在だったからだ。

 どういうわけか、私は中国人の友達が多い。特に中国語を学んでいたわけでもないけれど、私の活動する先々で中国人と出くわした。大学で半年間一緒に住んでいたルームメイトは中国人だったし、留学先の北欧ではクラスメイトにもバイト先の同僚にも中国人がいた。さらに、彼らに東京に住んでいる中国人の友達まで紹介され、東京にいけば必ず一緒に中華料理を食べる友達もできた。おかげで、口説き文句くらいは中国語で言えるようになってしまった。

 そういうわけで、旅行前に中国について知識は多少あったのだが、実際の中国をまだ私は経験していなかった。本物の中華料理の味や、現地で生活しているひとの様子などまだ見ぬ中国に渡航前の私の心は躍った。

私たちは旅行の間ずっとおそろいのパーカーを着て過ごした。中国ではよく家族でおそろいのTシャツを着てピクニックへ行くという、うっちゃんの話をきっかけに、私がそのパーカーをデザインした。私たちは重慶で別の中国人の友達と合流したのだが、最初の彼女の一言が「Seriously(本気?)」だった。その言葉と冷静な表情から「おそろい」は中国文化というわけではなく、どうやら「うっちゃん文化」らしいということを察した。

その後、彼女は美味しい火鍋を食べに連れて行ってくれた。本場四川の料理は辛くて、顔中から汗が吹き出た。唇を真っ赤に膨らませて、悶絶する私たちを見て、彼女は「修行が必要ね」と笑っていた。日本の中華料理も好きだが、本場の四川料理は甘みの少ない刺激的なうまさである。結局私たちは火鍋が大好きになり、次の日も火鍋を食べた。

旅行中はトラブルも絶えなかったが、その度に中国人の優しさに触れることができた。地下鉄の乗り方が分からず右往左往していたときに、女子大生が道案内をしてくれたり、私が携帯電話を紛失した時は、駅員さんが親身になり話を聞いてくれた。青城山で進行方向が分からなかったときも、山登り暦の長いお年よりに助けてもらった。そして何より、うっちゃんが通訳や交渉をがんばってくれなければ、私たちはホテルにたどり着くことさえ難しかったかもしれない。

 こういう経験をすると、儒教でいう性善説の考えは正しいと感じる。確かに色々な理由で人間はいやな態度をとるし、互いに争う。メディアに映し出されるのは人間の悪い部分ばかりだ。けれども私たちが中国にいる間であった人たちの笑顔を思い出すと、世の中捨てたものじゃないなと思える。山で助けてくれたお年よりは、川で拾った綺麗な石を「宝石」だといって私たちにくれたり、「我是日本人的可愛的代表」という渾身のギャグに笑ってくれたりもした。駅構内で道案内をしてくれた女子大生が、「外国人と話すのは初めてで、日本に留学している中国人や、日本人の話を聞けてうれしい。」と目を輝かせていたのも印象に残っている。中国のご飯も美味しかったが、やっぱり中国の人の優しさや愉快さに触れることができたのがこの旅最大の収穫である。

 私は大学院でうっちゃんたちと日本語教育を学んでいる。私が日本語を教えている中国人の生徒たちは日本語がまだ話せないけれど、私という日本人の出会いが彼らにとって、私が中国で感じたような楽しいものであってほしいと願う。「今日も私はかわいいなー」という、うっちゃんの独り言を聞きながら、私は今日も授業準備に勤しむのであった。

人民中国インターネット版

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