吉村美里
“你好!”そう言って始まった新学期の出会い。私は新学期から中国語の授業を取り、勉強し始めた。そしてクラス替えがあり、昨年、中国の天津から来た女子留学生と同じクラスになった。その留学生は日本人の私を上回るくらい、日本語が上手だった。世界には同じ年代でもすごい人がいるのだと知り、いつか絶対私が彼女のもとに会いに行くと私は決心した。
私と彼女は名簿が近く、席が近かったことがきっかけで話すようになった。中国語の授業でわからないことやもっと知りたいと思ったことを聞いてみると、嫌な顔一つせずたくさんの表現方法を教えてくれた。むしろ、彼女は学ぼうとしてくれることが嬉しいとまで言った。授業が終わるたびに“辛苦了”と言って会話がはずんだ。彼女の優しさはそれだけではない。私が中国語の授業で習ったことを彼女に言ってみると発音のアドバイスに加え、文法についても的確に教えてくれた。それからというもの、私は中国語の授業が楽しみでならなくなった。もうすでに中国の虜になっていたのだ。
気づけば一緒に移動しては、中国について教えてもらうようになっていた。そしていつの間にか私は中国に興味を抱いており、いつか中国に留学できる日が来るといいなと感じた。中国人というと最近話題の爆買いをするマナーの悪い観光客というイメージが強くあり、心のどこかで負の印象を持っていた。しかし、彼女は私が勝手に抱いていた中国の悪いイメージを払拭した。彼女は誰にでも優しく接し、常に努力していた。彼女を見ていて、日本人である私も見習うべき事がたくさんあると感じた。例えば、中国の教育は一人っ子政策であったため、「高考」のような大きな試験に挑むために、授業のレベルが高い。そのことを彼女に聞いてみると、特に理系科目は授業の進むスピードが早いと言った。私は人生の中で1度も外国に行ったことがないため、日本以外のことを全然知らない。だから私がもし中国で生まれていたら、落ちこぼれてしまうのかもしれないと考えさせられた。さらに彼女に今後の目標を聞くと、日本の大学に入りたいと語っていた。そのことを聞いて私自身も世界に目を向け、飛び出していかないといけないと感じさせられた。と同時に、彼女の国がとても大きく、魅力ある素晴らしい国だと思うようになっていた。
そう思っていた矢先、彼女は1年間の留学生活を終え、帰国する日がやってきた。できるものなら中国語で最後の挨拶をしたかった。ただただそれだけが心残りである。しかし、なんとか手紙と口頭で自分の思いを伝えることができた。
最終登校日に、彼女は私に中国の結、切り絵、手紙をくれた。たった1学期間という短い間しか関わることができなかったが、最後の最後まで中国の文化を私に伝えようとしてくれていた事が今になってよくわかる。彼女と過ごした毎日や結、切り絵、手紙は今もそしてこれからも私の大切な宝物である。出てきそうになる涙を必死にこらえて感謝の気持ちを述べ、最初で最後の写真を一緒に撮った。
彼女がつい1週間前に帰国したことで私は感じた。個人個人では仲が良いのに、なぜ国同士は充分な友好関係が築けないのだろうと。SNSで見聞きする中国は本当の中国ではない。私が実際に出会った留学生こそが、本当の中国であると信じたい。グローバル化が進んでいる今、友好関係を築くためには、自分自身の目で真実を確認することが一番の近道であると感じた。彼女から学んだこと、感じたこと、真実を周りの人に伝えていくことが今の私にできることだと思う。彼女の努力を見習い、そして彼女の温かい思いが込められた結の力を信じて、中国語のスキルを上げる。そして最後の挨拶を中国語でできなかった悔しさをバネに、絶対にいつの日か彼女に会いに行く。絶対に!
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