祖父と私と中国

2018-09-20 13:44:10

道見朱夏

 今年、私は二十歳の誕生日を迎えました。先日、伯母に誘われ、二人でお酒を飲みながら私の二十歳の誕生日お祝いをしました。その時、私はずっと気になっていた祖父の生い立ちについて伯母に質問しました。私の祖父は中国残留孤児でした。私は今まで祖父の生い立ちを母から教えてもらったことがありませんでしたし、自ら聞いたこともありませんでした。だから、私は祖父が残留孤児であったということ以外に何も知りませんでした。祖父がなぜ残留孤児になったのか、中国ではどうやって生きてきたのか、ずっと気になってはいたものの、聞く機会もなく二十年が過ぎ、やっと伯母から祖父の話を聞くことができました。

 祖父は北海道に生まれ、兄弟の中で祖父のみが養子に出されました。そして、養子になった先の両親とともに満州開発のために中国へ渡り、残留孤児となりました。残留孤児となった祖父は、中国の東北地方の凍える寒さの中、外の小屋で寝させられたり、空腹に苦しんだり、日本人だからという理由でいじめられたりと、今の私たちの暮らしからは信じがたいような大変な苦労をしました。しばらくして、祖父は教師をする中国人の夫婦に世話になるようになりました。その夫婦は、日本人の祖父に対してとてもよくしてくれ、祖父はその夫婦に大変感謝していました。祖父はよく勉強する子で、中国で大学進学するほどの秀才でした。祖父は、村の学校の校長を務め、村の人々から尊敬されるような人でした。字もうまく、手先も器用なので、村の人々は度々祖父を頼って来ました。祖父は日本人ながら、周囲の人間に尊敬され、信頼される人だったそうです。

 伯母が祖父から孤児だった頃の話を聞くと、祖父は決まって泣きながら話してくれたそうです。私は伯母から祖父の話を聞いた時、泣いてしまいました。祖父がこんな苦労をしてきたことを、二十歳になる今まで何も知らなかったことに後悔しました。そして、大学生になり、甘えた生活を送っている自分が恥ずかしくなりました。苦しい大学受験を乗り越え、大学に入ってからは、勉強はほどほどに遊びやアルバイトばかりをしていました。しかし、こんな立派な祖父の孫として生まれたのに、自分に甘えていてはいけないと気づきました。現在、私は大学で中国語を勉強しています。中国語を話す祖父母と母は私に中国語を教えようと、中国語で話したそうですが、幼い私は中国語を学ぶことを拒否したそうです。そのことを今となっては後悔しています。しかし、大学に入ってから中国語を学び始め、中国語の魅力に気づくことができたので良かったと思っています。そして、私は今年の秋から半年間中国に留学します。留学では中国語をしっかり勉強し、中国文化にもたくさん触れ、悔いのない有意義な留学にしようと思います。また、留学終了後に、成人式の振袖姿を祖父母に見せに行く時に祖父母と中国語でたくさん会話をすることを目標に頑張りたいと思います。

人民中国インターネット版

 

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