中国と日本の私

2018-09-20 15:16:22

銭悠宝

 私は銭という苗字を持っている。日本では珍しい苗字だし、中国人によくありそうな苗字だから、私はよく「中国の人なの?」と聞かれる。その度に私は、「親は中国人だけど、私は日本生まれの日本育ちだよ」と答える。そう答えると大抵、怪訝な顔をされるが、実際にそうなのだ。私の母も父も中国で生まれ、20歳くらいまで中国で過ごしているし、大学も中国の大学を出ている。生まれも育ちも完全に中国だ。二人は卒業後に渡日して、母は日本で私を出産した。私が物心ついたときから親は日本語をとても流暢に話せており、家でも日本語で会話するので、私自身はほぼ完全な日本人で、中国語(上海語)は意思疎通ができる程度にしか話せない。いわゆる、苗字だけの「なんちゃって中国人」なのである。

 一般の日本人と違う点は大きく二つある。一つは、一年に一回は母方の祖父母が住む上海へ里帰りすること。上海には祖父母を含め、叔母や叔父、姪やいとこがおり、日本に母と父以外の家族がいないため、大家族というものに憧れている私は、里帰りするたびに少し安心感を覚える。日本語しか話せない私に上海の家族は皆おおらかで、優しく話しかけてくれるし、有名なショッピング街や遊園地へ連れて行ってくれる。小籠包が大好きな私を有名な小籠包のお店へ連れて行ってくれたこともある。このようにあたたかい家族が中国にいるので、テレビに中国人が出ていたりスポーツの試合をしていたりすると、思わず応援してしまうし、友達が中国人はずるいと文句を言っていると少し腹が立ってしまう。そう、私は中国語も満足に話せないのに、中国というものになぜか愛着を覚える、奇妙な日本人なのである。

 もう一つは、母や父から、中国の話、中国人の話を日常的に聞いていることだ。中国人の目に日本人がどのように映るかもよく聞いている。確かに中国人はずるいところがあると母や父は言う。自分の利益に対して敏感だから、どうしてもルールや常識を無視しがちなのだと言う。けれど知人かそうでないかに関わらず、屈託なく接してくれる人が多いとも教えてくれる。上海で移動に電車を使っていたとき、椅子が空いたので座ろうとすると、隣の女性がこの席は前の人が濡れた傘を置いていたからやめておいた方がいいわよ、と注意してくれたことがある。見ず知らずの私に親切な助言をしてくれ、とても嬉しかったことをよく覚えている。日本人は、中国人からすれば礼儀正しいし上品の人が多いけれど、身内とそうでない人の線引きがはっきりしているから少し冷たいと感じることが多いらしい。けれど細かいところまで丁寧に接してくれる人が多いから、住んでいて居心地がいいと父や母は満足げだ。

確かに中国と日本では風習や国民性が大きく違うのはよく知られていることで、それぞれに良さがあり直すべきところがあるのだろうが、私個人がもったいないと思うのは、身の回りの日本人が、中国の悪いところばかりを見てその魅力的な文化に目を向けようとしないことだ。私の母や父はあまり中国語を勉強しろとは言わないが、中国語を学べば中国三千年の歴史がよく分かるようになる、中国の歴史や文化は本当に素晴らしいから、学んだ方がいいとはよく言っていた。三国志や西遊記などの心踊る物語や、李白や杜甫らの詠んだ素晴らしい詩歌を、中国に対する悪いイメージだけで遠ざけてしまうのはあまりにも惜しいと思う。日本人にはもっとこの雄大な歴史や文化に抵抗なしに触れて欲しい。私が「なんちゃって中国人」で良かったと思うのは、曲がった見方をすることなく、素直な気持ちでこれらの文化に触れることが出来た点にある。中国に対して愛着を持ってほしいとは思わないけれど、中国の絶えず変化してきた歴史の面白さや世界一の楽器の種類を誇る音楽、洗練されてきた詩にぜひ真っさらな気持ちで目を向けてほしい。きっと中国への見方が変わるはずだ。

人民中国インターネット版

 

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