世界で生きる中国語

2018-09-20 17:27:40

細津真優

 私は今年の2月カナダへ1ヶ月の語学研修へ行きました。なぜ最初からカナダでの話題を出したのか疑問に思われるかもしれません。しかし、そこで私は運命的な出会いをし、中国語に対しての意識を大きく変えさせられました。

 友人とバスに乗ってショッピングモールへ向かっていた時のことです。一人の中国人のおばあさんと出会いました。彼女もバスに乗っていて、どこかに行きたいようでしたが、運転手に向かっても中国語で話しかけています。必死にメモを見せながらですが、あまりうまくいったようには見えませんでした。すると、今度は私たちと目があい、親近感を持ったような話しぶりで私たちに話しかけてきました。メモにはいくつかの数字が書いてありましたがそれがどこに行きたいのか、どのルートかを示したものではなく、私たちはずっと戸惑っていました。しかし、彼女はなぜ私たちが戸惑っているのかわからない様子で、一生懸命中国語で話しかけてきました。私たちは勢いに圧倒され、緊張してしまいました。そんな時、私の口からとっさに出た言葉は「不起。我是日本人。我是日本大学生。」の一言だけでした。私はこの時、もっと気の利いたことが言えたらよかったのに、もっと授業で一生懸命学習していたらこの人の役に立てたのかもしれないとずっと考えていました。しかし、中国人の彼女は「你是日本人?我想你是中国人了。谢谢。」と笑いながら言ってくれました。そのあと私たちは目的のバス停についてしまったのでお別れをしましたが、私が先に降りる際「再!」というと彼女も「再!」とニコニコしながら挨拶を返してくれました。

 私は彼女に対して、直接的に役には立てませんでした。しかし、少しのコミュニケーションですが、少しは良い関係になれたと思います。相手が一生懸命に話しかけているのにも関わらず、わからないからと言って無視し続け、何も反応しないよりは、「すみません、わかりません、お役にたてなくてごめんなさい」といった姿勢を示すほうがずっと好印象であると思います。これは日本にいても同じことです。そもそも人としての行い、自分が逆の立場なら、ということを念頭に置いて行動することはとても重要なことだと思います。これには日本人だから、中国人だから、カナダだからということは全く関係ないのです。結果的に、もし私がもっと中国語を理解できており、トロントの町についてより詳しく知っていたら彼女はもっと助かったのかもしれません。しかし「私は日本人の学生でわかりません、ごめんなさい」ということが伝えられたことで彼女は、日本人学生なら仕方ないかと思ってくれたと思います。

私はこの時初めて中国語を勉強していてよかった、と思うと同時に中国語をもっと勉強し、身に付けて流暢に話せるようになりたいと思うようになりました。これまでも外国語を学習するうえで、「言葉はあくまでツール」ということをよく耳にしており、私もまさにその通りだと思っていました。伝えたい、発信したいことがないのに、ただただ様々な外国語に触れても意味がないのではとも考えたことがあります。しかし、今回の経験で少し考え方は変わりました。やはり相手何かを伝えるためには語学力が必要です。外国語を操る技術がとても重要です。中学生のころとは違い年を重ねるにつれて思考力が身に付き、熟考できるようになり、何を伝えたいのかということも考えられるようになりました。ここからはいかに外国語のスキルを伸ばし、外国語を用い、多くの人に伝えられるかが課題となります。私が学習している中国語話者は英語に次いで多く、とても需要があります。そして、中国語が話されているのは中国だけではないことを今回の研修から学びました。これからはより一層中国語への理解を深め、学習に励み、いつの日か世界の懸け橋となるような人になりたいです。

人民中国インターネット版

 

関連文章