ティン姐さんと私

2018-09-20 17:29:45

齋藤あおい

 「中国留学に行くと、人生変わります!」

 留学説明会でそう言い放った先輩を覚えている。聞いた当初は、なんだか怪しい宗教勧誘のようだなあと思った。しかし自分が中国留学を経験して、発言の真意が少し分かったように思う。日本人グループを離れようとしなかった子が、ある時ふらりとそこから抜けて、一人旅に出かけたり、広場舞に入れてもらったりする。「人生が変わる」とは、精神的に自立するということかもしれないし、周りを気にせずやりたいことを優先できるようになるということなのかもしれない。私はといえば、進路が大きく変わった。留学前は、「卒業後はなんとなく就職」するつもりだったのが、気付けば「絶対進学!」になっていた。私に変化をもたらしたものは何だったのか。振り返ってみると、良い影響を与えてくれた存在がいたのであった。

 学部時代、私は交換留学制度を利用して、上海師範大学で中国語を学んだ。1年間の留学生活で、多くの魅力的な中国人の友人ができた。中でもある女性は、私に「上海女性」が何たるかを示し、研究の道を選ぶ動機を与えてくれたという点で、強く印象に残っている。

 その人の名はティン姐さんという。上師大で出会った日本人の友人から紹介してもらった。友人は、私がせっかく中国にいるのに中国人と交流しようとしない点を憂いていた。なぜなら私は当時、中国語の発音に全く自信がなかったのである。しかも街で聞く中国語はすごく早口なので、同年代の中国人と渡り合える気がしなかった。私を心配した友人は、中国人であり日本語にも長けているティン姐さんを紹介してくれたのだった。

 ティン姐さんは私より5歳年上で、日系企業でOLをしていた。おしゃれで可愛く、日本に一度も来たことがないのに日本語が上手だった。日本のドラマとアニメで覚えたという。語学のセンスも彼女の凄いところだが、何より、中国語だろうと日本語だろうとよく通る声でキッパリものを言うところを尊敬した。この人から色々学ばなければならない、そう思い敬意をこめて「ティン姐さん」と呼ばせてもらった。ティン姐さんは、仕事が休みの時によく遊んでくれた。おしゃれなもの、おいしいものへのアンテナが非常に高く、移り変わりの激しい上海で、常にいちばん良いものを探求していたように思う。私は後ろをついていくばかりだったが、それで文句を言われることもなかった。彼女は、身内には毒舌だが私には甘く、拙い中国語でも褒めてくれた。おかげで萎縮することなく中国語会話に挑戦できた。

 ティン姐さんとその友人が集まる時、話題の中心はもっぱら婚活だった。公園で老人たちが我が子の結婚相手を探している光景はよく見かけた。当人たちも自ら婚活アプリで相手を探し、何度もお見合いをするのだという。いつも猫のように自由なティン姐さんが悩んでいる姿を見て、漠然と、上海の女性のことで卒論が書きたいと思った。

 帰国後はすぐに卒論に取り掛からなければならず、ティン姐さんともあまり連絡をとらなくなっていた。テーマが定まらず焦る日々の中、彼女から婚活が成功した報告と結婚式のお誘いが同時に来た。中国の結婚式のマナーをネットで調べている途中、偶然、中国の伝統的な産後ケアについて書かれた論文を見つけた。留学した国の慣習なのに知らない事ばかりで、すぐに卒論のテーマが決まった。書き進めるうちに、上海女性のライフコースに強い関心を持つようになり、気付けば進学の道を選んでいた。

 中国留学を経て、これほど大きく「人生が変わる」とは思いもしなかった。ティン姐さんには本当に頭が上がらないのだが、きっと彼女はいつものように「应该(当然のことをしたまで)」とクールに言うのだろう。

研究論文は、誰に読んでもらいたいかを意識すると分かりやすくなると聞く。私はもちろん、ティン姐さんへの感謝の気持ちを込めて修士論文を書くつもりだ。

人民中国インターネット版

関連文章