おもてなしチャイナ

2018-09-21 14:38:23

萩原李子

今年3月、私は友達と福建省の世界遺産「土楼」を観に行った。そこで土楼に住む人々からうけたサービスがとても印象深かかった。中国は目下、めざましい経済発展をしているとはいえ、接客サービスではまだまだ発展途上であると思っていたので、こんなにも気持ちの良い接客を受けられるなんて思いもしなかったのである。

 近年、日本の「おもてなし」、つまり日本式サービスは海外から非常に高い評価を受けている。多くの外国人観光客はこの日本流のきめ細やかなもてなしに感動し、日本のファンになってくれている。私もサービス業の仕事を通して日本的接客方法、例えばおじぎやしぐさ、さらには表情に至るまでしっかりと教えられてきた。「360度お客様に見られていると意識すること」と姿勢や身なり、しぐさに注意をし、また口角を常にあげ目尻は下げて、優しく、話しかけやすい印象をもってもらえるよう求められた。まさに日本流の接客の基本、最低限のルールがそこにはあった。そんなわけで、日本のおもてなしが話題になり、評価されるたび自分の日々の頑張りが認められているかのようで、とても嬉しかった。とはいえ、あまりにきっちりとしてマニュアル化されたそのやり方には、形式的な空虚さも感じられ、少々疑問やもどかしさを覚えていた。

 そんな折、福建省に出かけた。目的地の観光案内所で現地ガイドやタクシードライバーは笑顔と早口で私を出迎え、「まあ、座って。お茶いくらでも飲んでいいよ、それでどこに行きたいの?泊まるところは決まっているの?」と矢継ぎ早に質問をされ面を食らった。一息ついてから、日本で用意した観光プランを見せたところ、効率良く回るため、また見学の目玉と考えていた土楼によりたくさん行かれるようにプランを組み直してくれた。たどたどしい中国語を親身になって聞いてくれ、結果、現地のコネクションを色々あたって、ワクワクするプランを立ててくれた。中国元が足りないと言えば、自分の財布から人民元を取りだし、その日のレートで両替までしてくれた。どの対応もその時の私にとって「神」対応と感じられるものだった。スマートではないかもしれないが、マニュアル的ではない、相手の状況に合わせ、相手のためを思ってくれている、とても自然で、柔軟な接客の姿勢だった。お客として大切されていると感じられた。

 土楼には宿泊もできた。すると「おもてなし」レベルはさらに増して、現地の暮らしを体験できる以上に、ほとんど「ファミリー」というほどに親しく交流した。私はその家の小学生の娘さんと遊び、彼らは私達に朝ごはんを用意してくれた。生活に溶け込み、困っていることは相談した。彼らの、そして自分の、温かな気持ちに出会えた。もてなしとはお互いの気持ちと感謝なのだと感じた。もちろん今回私はお金を払っている「客」なのだが、だからこのくらいのサービスを受けて当たり前というようなものとは違う、それを超えた「なにか」を感じられた。

高度にマニュアル化され、均一で、間違いのない、だからこそスピーディーで質の高い接客が提供できることは、すごいことである。しかし、客のニーズをよく見、よく聞き、ときには臨機応変に対応できる心ある接客は、つたないところがあったり時間がかかることがあっても、心から満足を得られることを今回の旅行で教えてもらった。マニュアル化したサービスは、何回でも、誰でも同じように高水準を保てる。しかし人間味というか「個」を感じないこともある。一方、今回のようなサービスは、誰でも、何回でもとはいかないかもしれないが、人間味、個性にあふれている。日本的接客に今回私が体験した「心」ある温かなサービスを併せたら、それこそ最強の「おもてなし」になるだろうと、オリンピックという絶好のおもてなしのチャンスを前に、学べたすばらしい旅行であった。

人民中国インターネット版

 

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