新元号を巡って議論

2019-04-22 11:22:52

 


 日本では今年は改元の年だ。現在の明仁(あきひと)天皇が4月30日に退位し、皇太子の徳仁(なるひと)殿下が新天皇として、5月1日に即位する。1979年に公布された「元号法」によれば、「元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」とある。4月1日には菅義偉官房長官が新元号「令和」を発表した。そして5月1日からは、いよいよ令和時代が幕を開ける。

 政府の説明によると、この年号の典拠は日本最古の歌集『万葉集』の、「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」(書き下し文)である。


 元号発表後の談話で、安倍首相は『万葉集』の魅力を強調し、『万葉集』は「防人(さきもり)(古代の辺境防衛に当たった兵士)や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書である」と述べた。

 
 日本では、改元は国家的な行事で、さまざまな政治的な意味合いや思惑が含まれており、新たな元号の発表はあらゆる方面で議論を巻き起こした。

 
 1、新元号は、皇室や専門家が決めるのではなく、安倍首相が最後に決定する。もちろん、彼一人だけの考えではない。元号を中国の古典から取るこの伝統を改めたのは、日本の民族的な感情の高揚を映し出している。英国紙『デーリー・テレグラフ』は、「日本の新元号は伝統を打ち破り、中国ではなく日本の古典から選んだ。これは安倍保守政権のナショナリズム的な傾向をはっきり表している」と伝えた。また同じ英国の『インデペンデント』紙は新元号の発表前、「タカ派の安倍は中国古典からの使用を避けるだろう」と予測した。また同『デーリーメール』紙も、新元号は「安倍首相の保守政権による国家的な威信強化の狙いを反映する」と見ていた。さらに米CNNネットは、テンプル大学アジア研究所のジェフ・キングストン氏の以下のような見方を紹介した。「新元号は日本の政治の右傾化を反映している。和という字は、徳仁皇太子の祖父の裕仁(ひろひと)天皇の時代の『昭和』の和と同じで、日本の過去の戦争について、よりポジティブな物語を推し進めようとする安倍の動きと合致するだろう。元号を中国の古典からではなく日本の古典から取ったのは、明らかに安倍首相の保守的な政治基盤へのご機嫌取りだ」


 2、日本は、中国古代の紀年法の影響を受け、現在でも元号を使う世界で唯一の国だ。西暦645年に日本で初めての元号「大化」が使われて以来、「平成」まで1374年間に247の元号が使われた。これらの出典はすべて漢籍である。明治維新後もこの伝統は変わらなかった。「明治」は『易経・説卦伝』にある「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)いて治む」から「明」と「治」を取った。「大正」は、『易経』第十九卦の中の「『大』亨は以って『正』天の道なり」が典拠だ。「昭和」の由来は、『書経・堯典』の「百姓『昭』明、協『和』萬邦」である。「平成」は『古文尚書・大禹謨』の「内『平』らかに外『成』る、地『平』らかに天『成』る」から使われた。


 今回の新元号の由来は日本の古典『万葉集』だ。中国の古典との関係について、どの専門家が知っているか分からないが、実は中国の典籍にはすでにあった。『万葉集』は全20巻あり、4500余りの和歌が収めれ、多くの人の手により編集された。「令和」の典拠は「『万葉集』巻5、梅花の歌32首併せて序」である。


 『万葉集』に関連し多くの著作がある歌人の佐佐木幸綱氏は、「『万葉集』は明治から昭和前期まで『国民歌集』として、日本人の心の原点と見なされてきた」「しかし、新元号の『令和』が取られた序文は、中国の有名な文章を踏まえて書かれたというのが、研究者の間では定説になっている」と語る。


 また、中国思想史が専門の小島毅・東大教授は、「今回の元号の選択が、中国の古典ではなく日本の古典からだというが、ふたを開けてみると、日本の伝統が中国文化から来ていることを実証した」と話す。また小島教授は、『万葉集』を研究する別の東大の名誉教授も、新元号の出典となった序文は『蘭亭集序』を参考にしており、「日本の漢文作品の元をたどれば、中国の作品となる」と述べる。


 さらに、日本の上代文学が専門の村田右富実・関西大学教授は、「(新元号の)典拠は、6世紀の中国南朝・梁(りょう)の全30巻の詩文集『文選』にある後漢の張衡が作った『帰田賦(きでんのふ)』だ」と考えている。原文は「仲春令月、時和気清(以下略)」(書き下し文は「仲春の令(よ)き月、時は和らぎ気は清し」)とある。


 3、中国の古典の『礼記』には、「発号出令し民悦ぶ、之を和と謂(い)う」という一文がある。この「令」とは「命令」や「秩序」のことで、「和」とは「和やかで調和が取れている」ことを示す。「令和」も、上に立つ者が号令をかけ、下の者がこれに従い、国全体が仲睦まじく暮らすこと――と理解できる。これが、安倍が心に深く秘めていた意図だったのかもしれない。

 
 4、元号そのものは重要ではない。むしろ新天皇の政治的な立場や歴史観がどうであるかが、もっと大事だ。徳仁新天皇の一般的なイメージは、進歩的で国際的な視野とバランス感覚を兼ね備えているというものだ。これなら歴史問題で右翼に安易に利用されることはないだろう。つまるところ、「令和」がどういう時代になるか、それは時間だけが証明できるということだ。

 


王泰平 中国国際問題研究基金会シニア研究員、元駐大阪総領事(大使級)

 

 

 

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