全ての若者に届け! 習近平主席、日本の若者への願いをつづる

2019-07-01 15:28:21

 

627日、習近平国家主席は大阪で安倍晋三首相と会談した

 

628日、G20大阪サミットが今日開幕した。その前日の27日、来日した習近平国家主席は安倍晋三首相と会談し、「中日民間友好交流の積極的展開、相互理解の増進、民心の疎通の促進の同意」を含む10つの項目についてコンセンサスを得た。今年の「中日青少年交流促進年」をきっかけに、修学旅行などで内容豊富で多彩な相互訪問交流を積極的に展開し、様々な場で友好の種がまかれることが望まれる。

来日前に習主席は「Panda杯 全日本青年作文コンクール」受賞者の中島大地さんから送られた手紙に、「両国関係の美しい明日のため、両国青年には積極的に貢献してほしい」と返信。中国の国家主席が日本の青年に宛てた返信ということで、大きな注目を集めた。当然中島さんのもとには各メディアからの取材申し込みが殺到したが、『人民中国』の取材に真っ先に応じてくれた。

この返信はまさに習主席がまいた「友好の種」だ。感激などという単純な言葉では済まされないものが、中島さんの胸には去来しただろう。習主席からの手紙に何を思ったか、手紙を読み、両国青年の未来に託されたものについて何を感じたか。様々な思いについてたっぷりと語ってもらった。

「ウソでしょ?」スマホ片手にしばし呆然

「まさか習主席からお返事があるとは思わなかったです。本当に光栄です」

返信から2日経った今も。中島さんは驚きと喜びを隠しきれないといった様子で、満面の笑みをたたえた。

「習主席にお手紙を書いた時は、返事が来るとは夢にも思いませんでした。返信のことを最初に教えてくれたのは中国の友達でした。記事のウイーチャットを転送してくれて、一緒に喜んでくれました」

 

Panda杯の訪中旅行を「本当にいい経験でした」と語る中島さん(左端)。中国留学とはまた違った体験ができたと言う。北京、上海、南京、四川など中国各地で、新しい中国の友人との出会いがあった

しかし「とても感激したのでは?」という記者の問いに対しては、「いいえ」と意外な答えが返ってきた。「友人からの連絡はスマホで見たんですが、最初はとにかく感激でも興奮でもなく、スマホを握りしめたままただただ『呆然』」と笑う。しかしそのあとから感動と興奮がじわじわと湧き上がってきたと振り返る。

 

取材を受ける中島さん

「家族には今日になってようやく、習主席からの返信について話しました。なぜってびっくりしすぎて信じられず、家族にも言えなかったからです。家族も私と同様、なかなか信じられないといった感じでした」

大学に入ったばかりの中島さんは日本人の多くがそうであるように、『三国演義』や『水滸伝』がきっかけで中国と関わるようになったが、当時は中国の知識がほとんどなく、中国人の友達もいなかったという。しかし中国旅行や留学を経るうちに、中島さんにとっての中国は「物語」の中の存在ではなく、目の前に鮮やかに映る「今の中国」へと変わっていった。

中国の古典文学が好きな中島さんは、2017年の夏休みに復旦大学漢語言文学専攻の高級進修生として留学。中国語のブラッシュアップにつとめた。半年の留学期間中、授業の合間を縫っては中国南方の各地を巡ったという。そのほとんどが一人旅。一人旅だからこそ多くの出会いに恵まれたと、中島さんは振り返る。「美しい風景を眺め、当地ならではの美味を楽しむ旅行でした。そこには多くの中国の人々との出会いがありました。どんな体験も印象的なことばかりで、留学生活の良い思い出です」

次の中国旅行で行きたいところは?との問いには「中国は大きいので、行ったことがないところに行きたいとは思います。でもやはり上海に行きたいと思ってしまいますね」と笑いながら答えた。

 

進修生として復旦大学に留学した中島さん。半年という短期間だったが、上海にすっかり魅了された(写真提供:中島大地)

中国理解を深めたきっかけは、中国語の習得だけではなかったようだ。「Panda杯のおかげです」と中島さんは言う。応募した作文がみごと受賞、のちにボランティアとして運営に関わった。受賞者として訪中交流に参加した際は、本物のパンダにも会えた。何より素顔の中国との出会いは欠くことのできない財産だったと言う。その後もボランティアとして関わり続けたのは、中国語や留学での知識を活かし、中国と日本の友人たちの交流を結ぶ懸け橋になりたかったからだ。

習主席からの返信を受け取った喜びが落ち着くにつれ、中島さんはこの返信が自分だけに寄せられたものではないと感じるようになったと言う。「今年の『Panda杯』に参加して習主席への寄せ書きを送った若者、Panda杯関係の若者、そして日中交流に関わる全ての若者はもちろん、このメッセージは日本の若者全てに向けられたものだと、今は考えています」

若者に託された友好の礎

取材中、中島さんの口からは「信じられない」という言葉が頻繁に飛び出したが、「日中交流」の言葉がそれを上回っていた。

G20開催前日、日本のメディアは習主席と安倍首相が中日関係について「『永遠の隣人』と位置づけられている」と繰り返し述べたと報じた。また、両国首脳による10のコンセンサスには「青年交流の強化、相互理解の増進、民心疎通の促進」が含まれている。1992年生まれでまさに青年と呼ぶにふさわしい中島さんはその決定について、「日本と中国は永遠の隣人であることは、将来に至っても変わることがない事実です。日中両国は元々地縁があり、似通った文化を持つ国同士であり、交流と相互理解はとても大切なことです。今後、文化や若者などの方面での交流がより深まっていってくれればと思います」とコメントした。

 

両国政府は2019年を「中日青少年交流促進年」と定めた。414日には北京で開幕式が行われ、中日両国の来賓が青年交流に熱い期待を寄せた

今年4月に大学を卒業して就職した中島さん。今後はどんな形で両国の交流関係事業に関われるかはわからないが、中日間の青年交流と相互理解には力を貸したいと意欲を見せる。「まだ就職して社会人になったばかりなので、将来のことはよくわかりませんが、微力ながら日中両国の相互理解を深めるための活動には関わっていきたいと思っています。目覚ましい経済発展を見せる中国は、文化方面でもたくさんの魅力的な作品が作られています。私は今、児童書や絵本の出版社に勤めていますが、今、中国では日本の絵本がとても人気です。中国の出版社も面白い作品をたくさん出しているので、中国の作品を日本に紹介したいとも思っています」

「今回のことは一生の宝物です」と語る中島さんへの取材が行われたのは、梅雨のさなかで小雨が降る日の午後だった。梅雨の恵みが田畑を潤すように、両国の若者の相互理解と長きにわたる友情の木は、恵みの雨ですくすくと成長するはずだ。そして中日関係の未来は、両国青年の友好という恵みの雨で大輪の花を咲かせるだろう。習主席が中日両国の若者に託した思いは、恵みの雨を受けていま、育ち始めた。(文:続昕宇)

人民中国インターネット版 2019629

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