王岐山副主席による即位の礼参列は何を反映したか

2019-10-24 10:10:56

法政大学教授 王敏(談)

新天皇の「即位礼正殿の儀」(即位の礼)が1022日、東京で行われた。王岐山国家副主席が習近平国家主席の特使として参列したことは、日本の各界から注目され、議論の的となった。中国は1990年、当時の呉学謙国務院副総理を前天皇の即位の礼に派遣したが、今回出席した王副主席はレベルもランクも明らかに格上だ。これは中日関係の好転を反映するとともに、中国が今回の即位の礼を重視していることを示している。また、もっと突っ込んで言えば、今回の王副主席の訪問は、中国の自己認識および対外認識に対するより深い現れだと思われる。インドネシア大統領の就任式や天皇の即位の礼など、隣国や友好国との高度な交流のイベントに、90年代より格上の特使を派遣したことは、中国が自身に対してより高い要求と目標を持つようになったことを示すとともに、使命を担い、平和に貢献していく意向を世界に伝えた。

 

今回の新天皇の即位について、中国の一般大衆が比較的関心を持っているのは、日本の皇室および新天皇が中日関係にどのような態度をとるかということだ。まず明らかにする必要があるのは、第2次世界大戦で敗戦した日本の平和憲法が「象徴天皇制」の実施を規定していることである。つまり、天皇は日本の国家と国民全体の精神的な象徴で、日本のイメージを表すのみで、実際の政務を行う職能を持っていない。このため厳密に言えば、天皇は、中日関係に関して、政治的な影響を与えたり、日常的な物事の処理に直接干渉したりすることはできない。

しかし、天皇は、中日の国民感情の良好な発展および中日文化交流の促進において、重要な役割を担っている。

敗戦後、日本の皇室は、内心の深いところで、中国など戦争の被害を受けた国に対して、言葉にできないほどの悔恨を抱いてきた。特に平成の天皇は、戦没者の追悼式などで、「過去を顧み、深い反省」などと何度も述べてきた。前天皇が日本の皇室の悔恨を言動によって日本社会全体ひいては世界に率直に伝えたことは、間違いなく大きな進歩だった。

92年に天皇の史上初の訪中が実現したことは、文化的意義においても政治的意義においても、深遠な影響があった。周知のごとく、日本の敗戦の位置付けについて、日本国内には依然としてさまざまな意見がある。当時、天皇、皇后両陛下の訪中前、日本国内の保守勢力から直接的あるいは間接的に大きな抵抗があった。しかし、彼らは圧力と危険に屈することなく、中国に向かって最も重要な一歩を断固として踏み出した。当時の訪中は戦後の中日の国民感情のさらなる発展を力強く後押しした。

 

 

中日の文化的絆の強化における天皇の役割は、漢字文明の角度から垣間見ることができる。「天皇」という言葉は中国の古典籍が由来で、例えば、前漢の歴史家司馬遷の『史記』に「天皇」に関する記述が見える。また、日本で今も使われている「元号」の伝統も中国と深い関わりがある。日本の皇室事典編集委員会編著の『皇室事典』(角川学芸出版)は「元号」について、「律令などの制度や儒教仏教などの思想と同じく、中国から漢字の文献により日本へ伝えられた。いわば漢字文化の一つである」と明確に定義している。日本の皇室が「元号」を使用し続けていることは、皇室が一貫して自身の文化的根源――広大な漢字文化圏を守っていることを意味する。まさにそのため、近代になって、日本は明治維新を経て西洋文化の洗礼を受けたが、皇室が堅持したことによって、自己の文化の根源を終始失わなかった。中日の政治的関係がどうあろうとも、両国の文化的絆は終始一つにつながっているのだ。

現在のところ、新天皇は前天皇の路線を引き継いでいるようだ。今年815日、令和の時代になってから、過去の戦争について、新天皇がどのような態度を示すかが、国内外から特に注目された。その重要な公式発言において、新天皇は、前天皇の意思と表現を全面的に引き継ぎ、「過去を顧み、深い反省」などと述べた。新天皇は日本の象徴として、今後も引き続き東アジア地域の平和や安定、友好交流の推進に尽力していくと思われる。

筆者の知る限り、新天皇は人文歴史、環境科学を専門とし、多くの面において前天皇の言行を手本として、中国を含む歴史文化、人文地理について造詣が深いようだ。現在、日本国内では、来年春、習近平国家主席を「国賓」として迎える準備を積極的に進めている。中日関係の歩み寄りに伴って、新天皇が遠くない将来に中国を訪問することを筆者は信じている。(聞き手構成=呉文欽)

 

人民中国インターネット版 20191024

 

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