続昕宇=文・写真
岡山市日中友好協会と神奈川大学内山完造研究会の共同主催によるシンポジウム「内山完造と岡山-内山完造没後60周年記念」が、10月26日に岡山市で行われた。内山完造は中日関係が最も大きく揺れ動いた時代に、両国の心ある人々と力を合わせ、両国に暖かな日差しを注ぎ込み、文豪・魯迅に「老朋友」(親友)と呼ばれた人物だ。シンポジウムでは研究者と関係者による報告のほか、当時上海にいた完造が日本の家族や友人に送った貴重な写真が公開された。
1959年9月15日に世田谷の自宅で撮影。これが日本で撮った完造の最後の写真となる。日中友好協会副会長として新中国成立10周年式典に参加した完造は、20日に脳出血で倒れ、北京で死去した(写真・奥田進)
わんぱく坊主が書店主に
内山完造は1885年に岡山県後月郡芳井村(現・井原市)に生まれた。母は学者の娘で、父は村長だった。当時としては恵まれた環境に育った完造だが、小さい頃はとんでもない跳ねっ返りだったようだ。
「伯父は幼少の頃からわんぱくで、勉強を嫌い、おまけに周りの大人をからかうのが大好きで、学校の先生を泣かせたこともあったようです」。完造のおいで、現在内山書店取締役会長の内山籬さんはシンポジウムでこう話し、苦笑いを浮かべた。自伝的回想録『花甲録』に、自分の名前の「完造」と薬用植物の「甘草」をかけ、「かんぞうはかねて甘しとききつるにしおのからしときいてびっくり」という句を残しているくらいだから、自他共に認める手を焼く子どもだったようだ。
写真の裏話を語る、完造のおいで内山書店取締役会長の内山籬さん
完造の扱いに困った親は、当時の高等小学校を中退させ、わずか12歳の息子をでっち奉公に出した。大阪と京都の商家で十数年間働いた完造は、1912年に27歳でキリスト教に入信し、京都教会の牧師・牧野虎次氏と知り合う。翌年に牧野牧師の紹介で大阪参天堂(現・参天製薬)本店の出張販売員として中国に渡った。
中国では漢口、九江、南昌、海門、崇明島、長沙と各地を巡り、目薬を売り歩いた。14年に完造は長沙で、目薬の販売状況の聞き取りと未収金の回収のために英華大薬房を訪ねた。顔見知りの店主は4年前に辞めていたが、前店主から売掛金を託されていた新店主は、請求通りの金額を完造に渡した。中国でこのような経験を重ねるうちに、何よりも信用を重んじる商人の心意気と、辛抱強く勤勉な庶民の生き方が、敬虔なキリスト教徒である完造の心に深く刻み込まれていった。
完造は17年に美喜夫人のために上海の北四川路(現・四川北路)に小さな書籍売り場をつくった。これが内山書店の出発点となった。書店は規模が大きくなるにつれて、中日文化サロンの役割を果たすようになっていき、魯迅、田漢、郁達夫、郭沫若らそうそうたる顔ぶれが集い、自由に語り合う「文芸漫談会」が行われた。谷崎潤一郎、林芙美子、鈴木大拙らも内山書店を窓口にし、中国の文化人との交流を始めた。
完造と15歳年下の弟・内山嘉吉さん(左)。完造の影響を受けた嘉吉さんは、1935年に東京内山書店を開店した(写真提供・内山籬)
29年には夜間日本語学校「日語学会」を開設、翌年には参天堂を辞めて、45年9月の閉店まで書店の経営に専念した。
中日間を奔走した半生
内山完造と魯迅の友情は中国ではよく知られているが、完造と中国の間にもさまざまなエピソードがある。
47年に強制帰国させられてから、完造のもとには中国の現状を講演してほしいという友人からの要請が相次いだ。それまでは著書を出版、または新聞や雑誌に記事を発表することで日本に中国を紹介していたが、「こんどは一つ口から口へ伝えることをして、日本人にほんとうの中国人を、中国を知って貰うことを決心した」(58年11月30日日記より)のだという。完造は48年2月から17カ月にわたり、「中国漫談」の全国行脚を行い、講演は800回以上に及んだ。
全国行脚は完造に素晴らしい思い出を数多く残した。「始めてみると実に愉快だ。日本人の中国人を知らんことは、魯迅先生が看破している通りである。私は懸命の力を集中して、中国および中国人の実情を訴えた」(同右)。
完造はさらに、先の戦争に対する反省と両国の平和と友好への思いを込め、日中友好協会の発起人となり、両国友好の大切さを説いて回った。中華人民共和国成立1周年を迎えた50年10月1日に東京で日中友好協会を設立し、初代理事長として『中国を語る』というテーマの記念講演を行った。以降、完造は「中日の友好はまず中国を知るということであって、これが徹底こそ為さねばならんことである」を信条とし、59年に北京で亡くなるまで中日友好に身を投じた。
内山完造の自伝『花甲録』
岡山市日中友好協会の松井三平専務理事はシンポジウムで、内山完造の精神を基礎にし、友好活動を行うべきと述べた。「今後私たちがどのような考えで日中友好活動に取り組むのか、まだはっきりした方向が見いだされているわけではありません。ただはっきり言えることは、伝えるべきは内山精神であると確信しています」。シンポジウムには、中国の若者の姿も少なくなかった。岡山大学の法学部で学ぶ中国人留学生は参加した感想をこう語った。「内山完造は中日両国の人的交流と経済交流の双方に多大な貢献をした人です。私も微力ながら中日友好に尽力していきたいです」
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