子どもたちの未来のために

2019-07-01 09:44:16
南部 健人

三年前のまだ大学生だった頃、横浜の中華街の近くにある学童保育でアルバイトをしていた。その学童は、そこの土地に宿る歴史もあって、日本人以外に、中国をはじめ様々なアジアの国にルーツを持つ子どもたちも多く通っていて、小さな多国籍社会というような空間でもあった。

アルバイトを始めた理由は、大学で学んでいる中国語を使って、特に中華系の子どもたちの力に少しでもなれればと思ったからだった。と言っても、子どもの学習能力は高く、来日して数年でも、すでに流暢な日本語を操る子が少なくなかった。そして何より、子どもたちの遊びには、言語はそれほど大きな障害ではないと働き始めてすぐに僕は知った。業務のほとんどは、元気いっぱいな子どもたちと公園で走り回ったり、ドッジボールで勝負をしたり、砂遊びをしたりと、身体で真正面から全力で関わりあうことだった。ただ時々、些細なことで中華系の子どもと日本人の子どもが衝突してしまい、日本語で感情の機微や、自分の考えを表現することが難しそうだと判断した場合には、僕が間に入って、伝えたい言葉を一緒に探すといったサポートをすることはあった。

その出来事が起こったのも、きっかけは同じように些細なことだった。遊びのルールを破った、破ってないと、小学校に上がる前の日中の子どもたちが口論していた。しかし、その後に、日本人の子どもが、中国人の子どもに言い放った言葉を僕は忘れることができない。

「これだから中国人は嫌いだ、中国人はみんな嘘つきなんだ」

そんなことはないし、そうやって決めつけるようなことを言っちゃダメだよ、とその場ですぐに彼の発言をたしなめた。本当は事の真相がはっきりしないうちに、どちらかの肩を持つことはあまり良くない。ふたりで話し合いをして、仲直りする過程に意味があるからだ。でも、放たれた言葉に孕まれている精神には、決して見過ごしてはいけない病理が潜んでいるように僕には思えた。彼の言葉は、単に中国人の子どもへ向けられた偏見であるだけでなく、発言した日本人の子ども自身の健全な精神をも蝕んでいるからだ。

誤解を招いてはいけないので、丁寧に書くが、僕は日本人の子どもとその決めつけの発言をここで批判したいのではない。真に劣悪なのは、まだ小学校にも上がらないほどの小さな子どもの心に、そのような差別の精神が根付きかけてしまっている、その背後にある僕たち大人が築いてきた社会の価値観に他ならない。そのことが、ただただ子どもたちに申し訳なかった。

日本人の子どもが放った言葉は、特に日中関係が冷え切っていた時期に、インターネット上での一部の発言や偏ったメディア報道などが植えつけていた根拠のない偏見やイメージと重なるところが多い。もし、いくつかの事件をあげて中国人はみな嘘つきであると結論づけるのなら、毎日のように報じられる日本人による詐欺事件はどうなってしまうのだろう。個別的な出来事を、全体の次元にまで無批判に飛躍させるのは、あまりにも幼稚で、暴力的であるといわざるを得ない。

結局、ふたりはその後すぐに仲直りをしてまた遊び始めた。そういう素直な感性も子どもたちの美点だ。さっきのことは気にしなくていいよ、と中国人の子どもに伝えたけれど、心の深いところに先の言葉が収まっていないことを願うばかりだ。

日中友好の気風は、僕がアルバイトをしていた三年前よりは遥かに高まってきたことを実感する。しかし、もし精神の地中深くに偏見が根付いていれば、それはまた差別としてすぐに地上に顔を出すことになるだろう。大人の責務はその芽を根こそぎ抜いて、どんな風雨にも簡単に揺らがない相互理解の大樹を育んでいくことにある。子どもたちと一緒に遊んでいると、彼らは大人よりも地面に近いところにいて、大地を深く観察しているという事実に、よくよく気がつかされる。

 
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