三毛猫の近所付き合い

2019-07-01 09:44:15

田頭 尚大


 「猫をカワイイと思うのは、中国人も同じなのですね」と、TV番組の猫特集に出演していた司会者が言っていたのを覚えている。私達家族の住むアパートのベランダにもいつの間にか住み着いてしまった三毛猫がいるが、確かにカワイイ。海の向こうの人が同じ感情を持っていると言われても当時まだ小学生であった私には想像がつかなかったが、大学の授業で『日中関係』という言葉を改めて聞いて、不意にそんなことを思い出してしまった。

 十年前、隣の部屋に中国人の家族が引っ越してきた。珍しいシャム猫を連れていたので、猫好きの私は是非とも挨拶に行きたかったのだが、外国人とは無縁な田舎で育った私の両親は、彼らをひどく警戒していたようだった。当時から日中関係の悪化がTVや新聞で取り上げられていたし、思えば近所で外国人絡みの事件が起きた直後であったから、そんな態度も無理はないと思っていたが、新たな土地で孤独に生きる彼らを見ていると、幼心にも何となくもどかしかった。

 そんな思いを抱きながら一か月程たったある日、ふとベランダを見ると、いつもの三毛猫が軽やかに隣のベランダへ渡っていくのが見えた。隣の部屋との壁の隙間からそっと覗いてみたところ、例のシャム猫と一緒に日向ぼっこをしているようだった。猫は目が合うと対立するという話を聞くし、言葉も違うであろう異国の猫同士がどのようにして気を許す仲になったのかは今の私にも分からないが、彼らには『文化の壁』というものはあまりないらしい。改めて観察してみると、その三毛猫は毎日シャム猫のもとへ遊びに行っているようである。のんびりと過ごす平穏な二匹の姿は、住宅地の昼間という平和なひとときを象徴しているようであった。

 そんな二匹を見ていると、人間とはなんと愚かで残念な生き物なのだろうと感じる。確かに、最近話題になっている『日中関係』は猫には何ら関係のない話であるから、この行動に対して猫の優位性を主張するのは間違っていると言われるかもしれない。私達人間は、つい数十年前に終わったばかりの辛く悲しい戦争の歴史や、終わることを知らない経済的・政治的対立を知りつつ今を生きている。日本のマナーをわきまえないと言って、中国人を含む外国人観光客の増加に反感を抱く日本人が多いのも事実であるし、そんなことを含めて日本人に悪いイメージを持っている中国人がいるのも事実であろう。しかし、私達はそれぞれの国のイメージを、よく知りもしない個人に押し付けすぎてしまっているのではないだろうか。少なくとも多くの日本人においては、教科書やTVから学んだ浅はかな知識を13憶人以上いる中国人全員に偏見的に当てはめてしまい、近所付き合いを含む個人の友好関係に自ら支障を作っていると言わざるを得ない。私の両親もそうであろうし、そんな状況に何も出来なかった当時の私もきっとそうだったのだろう。ただ、今の私はこのような現状に疑問を抱かずにはいられない。私は、今後出会う多くの人々に対し、中国人か日本人かなどという単純な判断をせず、一人の個人として評価しあう関係を築いていきたい。『日中関係』の諸問題には解決されないことが山ほど残っているし、全てを帳消しにしてはならないことは十分に理解しているからこそ、私達は三毛猫とシャム猫のように、個人レベルで互いを見ることが求められているのではあるまいか。

 ちなみに後日、私の母を呼んで二匹のことを話したところ、彼女も私に共感してくれたようで、二か月遅れではあるものの中国人の家族へ挨拶に行くことになった。意外にも彼らは日本語が達者で、日本に来たきっかけやシャム猫のことも色々と話してくれた。この街が気に入ったらしく、あれからずっとこの場所に住んでいる。海を越える小さな友好関係をまた一歩深めつつある私達のすぐそばでは、今日も二匹の老猫が肩を並べて眠っている。

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